第10話「絶対の未来」
第10話「絶対の未来」
「……私?」
レフィーナの声は、ほとんど息だった。
未来の少女は答えない。
ただ、泣きながら笑っている。
頬を伝う涙だけが、その身体の奥にいる誰かの苦しみを訴えているようだった。
けれど、口元の笑みは違う。
冷たく、人の心など持たないものの笑い方だった。
「違う……」
レフィーナは呟く。
「これは……私だけど、私じゃない」
隣で、ディートリーゼの指が扇子の縁を強く握った。
「そう思いたいだけかもしれませんわ」
レフィーナは振り返れなかった。
黒い力が世界樹へ伸びる。
枝が折れ、無数の光が落ちていく。
地上から悲鳴が上がる。
未来のレフィーナは、それを見下ろしながら泣いていた。
「私は……何をしているんですか」
答えを聞くのが怖い。
それでも、聞かなければならなかった。
「どうして、こんなことに……」
長い沈黙。
やがて、ディートリーゼが口を開いた。
「大魔王ですわ」
「……大魔王?」
「ええ」
いつもの高飛車さはなかった。
「大魔王が、あなたの体を依り代にするのですわ」
ディートリーゼは、未来のレフィーナを見る。
「あなたは大魔王に呑み込まれ」
一拍。
「そして世界が壊れていくのですわ」
レフィーナの胸が、強く締めつけられた。
「私の……体を……」
未来のレフィーナが手を上げる。
黒い力が空へ走り、空が裂けた。
その向こうに、いくつもの景色が見える。
森。
海。
砂漠。
雪原。
知らない街。
知らない命。
それらすべてへ、赤黒い闇が広がっていく。
「……こんな」
レフィーナは胸を押さえた。
怖い。
未来が。
大魔王が。
それ以上に、自分自身が怖かった。
さっきまで、新しい剣技を覚えたことが嬉しかった。
誰かを助けるために、もう一歩踏み込めると思った。
けれど、その一歩の先にこの未来があるのだとしたら。
「私が進むことで……この未来に近づくんですか……?」
ディートリーゼは、すぐには答えなかった。
「ひとつ付け加えますと」
静かに言う。
「この未来は絶対」
レフィーナが目を見開く。
「それだけは分かりますの」
「絶対……」
「何度、別の可能性を見ても。どれだけ違う道を辿っても」
扇子を握る指に力が入る。
「最後には、ここへ収束しましたわ」
未来の空が黒く染まり切る。
レフィーナの姿をした何かが、世界の中心で笑っている。
その頬には、まだ涙が流れていた。
* * *
光景が消えた。
黒い空も。
崩れ落ちる世界樹も。
泣きながら笑う、自分の姿も。
すべてが光へ溶けていく。
気づけば二人は、再び観測室に立っていた。
壁に並ぶ時計盤が、何事もなかったように時を刻んでいる。
カチ、カチ、カチ――。
レフィーナは、自分の手を見る。
剣を握った手。
誰かを助けようと伸ばした手。
さっき、人形兵の核まで剣を届かせた手。
未来では、この手が世界を壊す。
額のティアラに触れる。
今は温かい。
けれど未来では、そこに自分の光はもうなかった。
「私が……危険だと言ったのは、このことだったんですね」
ディートリーゼは答えない。
閉じた扇子を握る手が、わずかに震えていた。
「だから、あなたを塔へ入れるべきではありませんでしたの」
「じゃあ……どうして、私を中に入れたんですか」
「時空の乱流がありましたわ」
「それだけですか?」
ディートリーゼは目を逸らした。
その沈黙で、レフィーナは気づいてしまった。
帰れと言った。
力ずくで追い返そうとした。
あの時の目にあったのは、怒りだけではなかった。
「ディートリーゼさんは……」
声が震える。
「私を、止めようとしていたんですか?」
「止める、という言葉は便利ですわね」
レフィーナは息を呑む。
「未来で、あなたが世界を滅ぼすのなら」
ディートリーゼは視線を合わせない。
「今のあなたを消せば、すべてが終わるかもしれない」
レフィーナの顔から血の気が引いた。
「……私を」
「そうすれば、誰も苦しまずに済むのかもしれませんわ」
最後の言葉だけが、少し震えた。
「わたくしは、そう考えましたの」
レフィーナの手が、無意識に剣の柄に触れた。
怖い。
目の前の少女は、自分を殺そうとした。
もしかすると、出会った最初の瞬間から。
ディートリーゼは、その手を見ていた。
「怖いでしょう」
ディートリーゼは、レフィーナを見つめた。
「当然ですわ。わたくしは、あなたを殺すべきかもしれないと考えている女ですもの」
レフィーナは、すぐには答えられなかった。
眠れない夜を重ねた目。
未来を見続けた目。
何度探しても、答えを見つけられなかった目。
自分を殺そうとした人の目。
そして、殺せなかった人の目。
「……怖いです」
ようやく、レフィーナは言った。
「未来で、私が何をしてしまうのか。本当に世界を壊してしまうのか。大魔王に呑まれてしまうのか」
目に涙が浮かぶ。
「すごく……怖いです」
ディートリーゼは何も言わない。
レフィーナは、震える手で涙を拭った。
「でも」
黒い空。
崩れた世界樹。
泣きながら笑う、自分。
「未来の私は、泣いていました」
ディートリーゼが息を止める。
「笑っていました。でも、泣いていました」
レフィーナは胸に手を当てた。
「あれは、私だけど、私じゃない」
「あなたの身体であることに、変わりはありませんわ」
「はい」
レフィーナは頷いた。
「だからです」
顔を上げる。
「もし未来で、私が何かに呑まれてしまうなら」
声は震えている。
それでも、目は逸らさない。
「私の姿で、私の身体で、誰かを傷つけようとするものを」
一度、息を吸う。
「私が止めます」
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