第9話「滅びの未来」
螺旋階段は、上へ続いていた。
レフィーナは、ディートリーゼの後を追って歩く。
同じ方向へ上っているはずなのに、不思議な階段だった。
一歩進むたび、足元の段がわずかに左右へずれる。
壁に並ぶ時計盤も、まともには動いていない。
逆回りするもの。
針が止まったままのもの。
何本もの針が重なり、震えるように動いているもの。
カチ。
カチ、カチ――。
音だけが、塔の奥へ重なって響いていた。
レフィーナは手すりに触れながら、慎重に階段を上る。
その時。
横の窓に、青い海が映った。
「……?」
塔へ来る前に見た、西の海だった。
静かな波。
遠くに浮かぶ雲。
けれど、瞬きをした次の瞬間。
景色が変わった。
真っ白な雪原。
吹き荒れる雪。
その向こうに、氷に覆われた砦が見える。
「今のは……」
さらに景色が揺れる。
今度は。
燃える街だった。
黒煙。
赤い炎。
崩れる建物。
レフィーナは思わず足を止めた。
「ディートリーゼさん」
「気にしないことですわ」
ディートリーゼは振り返らない。
「塔は、過去と未来、そして並行世界――いくつもの可能性の欠片を映しますの」
「可能性の欠片……」
「起こったこと。起こるかもしれないこと。起こらなかったこと」
ディートリーゼは淡々と言う。
「いちいち覗いていたら、頭がいくつあっても足りませんわ」
レフィーナは、再び窓を見る。
もう燃える街はない。
星のような光が、静かに流れているだけだった。
「ディートリーゼさんは……」
少し迷ってから尋ねる。
「ずっと、見ていたんですか?」
前を歩く足が、ほんの少しだけ遅くなった。
「必要でしたから」
それだけだった。
レフィーナは、それ以上聞かなかった。
ただ。
前を歩く少女の背中を見る。
薄汚れた黒いローブ。
少し乱れた、淡い紫の髪。
いつもの高飛車な口調で、立派な扇子を開き、振り回しながら大きな声で笑う。
けれど。
その背中は小さかった。
この広い塔で。
誰にも頼らず。
どれだけの未来を見てきたのだろう。
* * *
最上階には、見覚えのある白い扉があった。
レフィーナがこの塔で最初にくぐった、あの扉だった。
ディートリーゼが扇子を閉じる。
そっと扉に触れた。
カチ。
小さな音。
白い扉が、ゆっくり開いた。
中は。
静かだった。
広い円形の部屋。
レフィーナは改めて見渡した。
壁には無数の時計盤が並んでいる。
天井には、星空のように水晶が浮かんでいた。
そして部屋の中央。
ひときわ大きな、球形の水晶。
その中で。
いくつもの光景が、重なっていた。
燃える王都。
氷に閉ざされた砦。
黒い炎に包まれた森。
砂へ沈む城。
白銀の尖塔。
そして。
黒い空。
レフィーナは、その場に立ち尽くした。
「ここが……」
「時空の塔の観測室ですわ」
ディートリーゼは、水晶球へ近づく。
「わたくしが、未来を見ていた場所ですの」
レフィーナは巨大な水晶を見る。
光景が。
現れては消える。
生まれては崩れる。
どれが本当なのか。
どれが違うのか。
まるで分からない。
「未来は……」
ディートリーゼが呟いた。
いつもの高飛車な声ではなかった。
「すべてが、ひとつに決まっているわけではありませんわ」
レフィーナは、ディートリーゼを見る。
「けれど」
ディートリーゼは、水晶球へ手を伸ばした。
「何度見ても」
指先が触れる。
「同じ場所へ辿り着く未来もありますの」
紫色の光が。
水晶の中から広がった。
「私に……関係があるんですか?」
ディートリーゼは振り返る。
疲れを宿した目。
「ありますわ」
一拍。
「だから」
ディートリーゼは言った。
「あなたは、ここへ来るべきではありませんでしたの」
次の瞬間。
水晶球の光が、観測室全体を包んだ。
* * *
「……!」
足元の床が消えた。
レフィーナは咄嗟に身を固くする。
落ちる。
そう思った。
けれど。
身体は落ちなかった。
気づけば。
レフィーナとディートリーゼは、空の上に立っていた。
いや。
立っているのではない。
どこにもいない。
ただ。
未来の光景だけが、目の前に広がっている。
黒く染まった空。
割れた大地。
崩れた城壁。
燃え尽きた街。
川は黒く濁り。
森は枯れ果てていた。
遠くに。
巨大な樹が見える。
レフィーナは息を止めた。
「世界樹……」
そう呼ぶには。
あまりにも痛々しい姿だった。
枝は枯れ。
幹は黒くひび割れている。
根元から。
赤黒い闇が、染み出していた。
枝の先に。
無数の小さな光がぶら下がっている。
星のような光。
命のような光。
けれど。
一つ。
また一つ。
黒く染まっていく。
そして。
落ちる。
赤黒い闇の中へ。
「……っ」
声が聞こえた。
助けを求める声。
泣き声。
誰かの名前を呼ぶ声。
地上を、人々が逃げている。
空から降り注ぐ黒い光が。
街を。
森を。
川を。
次々に呑み込んでいく。
「ひどい……」
レフィーナの声が震えた。
「これが……未来……?」
ディートリーゼは答えなかった。
その横顔は。
もう何度も、この光景を見た者の顔だった。
水晶が、さらに奥を映した。
黒い光。
世界を覆う闇。
その中心に。
一人の少女が立っている。
長い金色の髪。
白銀の装具。
額には。
ティアラ。
けれど。
そこに、レフィーナの知る光はなかった。
輝きは完全に失われ。
黒く。
深く濁っている。
ティアラから溢れるものも。
もう光ではない。
底の見えない闇を含んだ。
黒い力。
少女が。
ゆっくりと顔を上げる。
「……」
レフィーナの心臓が、大きく鳴った。
見覚えがある。
金色の髪。
顔立ち。
瞳。
頬。
その少女は。
泣いていた。
涙が、頬を伝っている。
助けを求めるように。
苦しんでいるように。
泣いている。
それなのに。
口元だけが。
ゆっくりと。
笑った。
レフィーナの背筋を、冷たいものが走った。
自分の笑い方ではない。
その奥で。
別の何かが笑っている。
少女の身体を使って。
少女の顔を使って。
泣いている本人を無視して。
世界を見下ろしている。
レフィーナは。
声を失った。
目を逸らすこともできない。
未来の少女と。
目が合った。
「……私?」
その顔は。
紛れもなく。
レフィーナ自身だった。
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