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プリンセスナイトサーガ  作者: 中津海人
第3章 時空の塔の姫騎士

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第5話「時の賢者」

 ディートリーゼに案内され、レフィーナは時空の塔の廊下を歩いていた。


 白い石の床。


 壁に刻まれた時計盤の紋様。


 窓の向こうを、星のような光がゆっくりと流れている。


 美しい塔だった。


 けれど、どこか冷たい。


 人の気配が、ほとんどない。


 風もないのに、遠くで紙がめくれるような音がした。


 誰かの笑い声が聞こえた気がして振り返ると、次の瞬間には、泣き声へと変わっていた。


 レフィーナは、腰の剣にそっと手を添えた。


 まだ肩が痛い。


 膝にも、少し痛みが残っている。


 さっき、ディートリーゼに杖で打たれた場所だ。


 けれど、それよりも気になっていることがあった。


「あの、ディートリーゼさん」


「何ですの」


「マークさんに、会えますか?」


 前を歩いていたディートリーゼの足が止まった。


 ぱちり、と扇子が開く。


「本当にあなたは、心配事の多い方ですわね」


「すみません。でも、無事だと聞いても、顔を見るまでは……」


 ディートリーゼは、面倒そうにため息をついた。


「分かりましたわ」


「本当ですか?」


「少しだけですわよ。あの少年が騒ぐと、塔の機構がまた変な反応を起こしかねませんもの」


「ありがとうございます」


「礼は不要ですわ」


 ディートリーゼは、壁に埋め込まれた水晶へ扇子を向けた。


 水晶が淡く光る。


 その中に、小さな部屋が映し出された。


 白い石の客室。


 古い寝台。


 その扉の前に、マークが座り込んでいる。


「マークさん!」


 レフィーナが思わず声を上げた。


 水晶の向こうで、マークが顔を上げる。


『レフィーナ!?』


「はい。無事です」


『そっちこそ大丈夫なのか?何かされたりしてないか?』


「えっと……」


 レフィーナは一瞬、言葉に詰まった。


 肩が痛む。


 膝も痛む。


 ディートリーゼを見る。


 彼女は扇子で口元を隠し、目だけを少し気まずそうに逸らしていた。


「大丈夫です」


 レフィーナは笑った。


「ディートリーゼさんが、泊まる場所を用意してくれるそうです」


『そうなのか?』


 マークの視線が、水晶越しにディートリーゼへ向く。


『時の姫騎士様、レフィーナを頼む』


 ディートリーゼは、扇子をさらに大きく広げた。


「おーっほっほ!頼まれなくとも、わたくしは時の姫騎士ですわ」


 高らかな笑い声が廊下へ響く。


 ほんの少しだけ、声が裏返った。


「あなたはそこで大人しくしていなさいな。外は時空の乱流で危険ですの。下手に動けば、三日前のあなたと明後日のあなたが廊下で鉢合わせしますわよ」


『それは……嫌だな』


「ですわよね?」


 ディートリーゼは、得意げに扇子を閉じる。


 レフィーナはマークへ向き直った。


「マークさん、もう少しだけ待っていてください」


『分かった。でも、無茶するなよ』


「はい」


 水晶の光が薄れていく。


 最後に、マークの声だけが届いた。


『ちゃんと帰ってこいよ』


 レフィーナは小さく頷いた。


「はい。必ず」


 水晶の光が消える。


 廊下に静けさが戻った。


「これで満足ですの?」


「はい」


「でしたら、余計な心配はおしまいですわ」


 ディートリーゼは再び歩き出した。


「あなたは今、塔の主であるわたくしの客人ですの。勝手な行動は許しませんわよ」


「はい」


「はい、ではありませんわ。本当に分かっていますの?」


「分かっています」


「……怪しいですわね」


 ディートリーゼはそう言って、少しだけ歩調を速めた。


     * * *


 案内されたのは、塔の中層にある広い部屋だった。


 最初、レフィーナは図書室だと思った。


 けれど、すぐに違うと分かった。


 図書室というには、あまりにも散らかりすぎている。


 床には古文書の山。


 机の上には水晶片、壊れた砂時計、歯車、羽根ペン、乾いたインク壺。


 壁には星図のような紙が何枚も貼られ、細かな線と文字がびっしりと書き込まれている。


 椅子の背には黒いローブ。


 窓際には冷めきった飲み物。


 そして机の隅には、半分だけかじられた硬いパンが置かれていた。


 レフィーナは思わず足を止めた。


「ここは……」


「わたくしの研究室ですわ」


 ディートリーゼは胸を張る。


「時空の塔の中枢記録、古代文字、未来観測、因果収束、並行可能性。すべてを扱う、極めて高度で繊細な知の殿堂ですの」


 レフィーナは部屋を見回した。


 知の殿堂。


 たしかに、すごい場所なのだろう。


 だが。


「あの……」


「何ですの」


「足の踏み場が、あまりありません」


「ありますわ」


 即答だった。


「そこ、そこ、そこですわ。三歩目だけは踏まないように。そこは昨日の仮説ですの」


「昨日の仮説……?」


「踏むと崩れますわ」


「紙ですよね?」


「仮説ですわ!」


 レフィーナは慎重に足を運んだ。


 机の横まで進んだところで、一枚の羊皮紙が目に入る。


 古い文字で、こう記されていた。


『因果修正経路――未検出』


 その下には、荒い筆跡。


『ですから、どうすればいいんですの!?』


 さらに別の紙。


『失敗』


『収束』


『救出不可』


『滅亡』


『失敗』


『失敗』


『失敗』


 レフィーナは息を呑んだ。


 紙の端は、何度も握り潰されたように皺になっている。


「勝手に読んではなりませんわ!」


 ディートリーゼが慌てて扇子を開いた。


「す、すみません!」


「これは非常に高度で繊細な時空理論の研究記録ですの!あなたのような素人が見ても、頭がこんがらがって、明日の朝食と昨日の夕食を取り違えますわ!」


 レフィーナは、机の端に置かれた硬いパンを見る。


「ディートリーゼさん」


「何ですの?」


「昨日の夕食は、これですか?」


 扇子が、ぴたりと止まった。


「……非常食ですわ」


「いつから置いてありますか?」


「時を扱う者に、昨日今日の区別など些末な問題ですの」


「食べた方がいいと思います」


「話を時空理論へ戻しなさいな!」


 レフィーナは、少し困ったように笑った。


 怒っている。


 けれど、その怒り方はどこか必死だった。


 もう一度、部屋を見る。


 古文書。


 書き込み。


 壊れた砂時計。


 握り潰された紙。


 冷めた飲み物。


 乾いたパン。


 ただ散らかっているのではない。


 考えて。


 考えて。


 眠ることも、食べることも忘れて。


 何かを探し続けた跡だ。


「ディートリーゼさん」


「今度は何ですの」


「ご飯は、食べていますか?」


「食事など、必要な時に摂っておりますわ」


「いつ食べましたか?」


「……」


 沈黙。


 レフィーナは少し待った。


 返事はない。


「台所を借りてもいいですか?」


 ディートリーゼが怪訝そうに眉をひそめる。


「何をなさるつもりですの?」


「夕食です」


「必要ありませんわ」


「でも、空腹のままですと」


 レフィーナは、にこりと笑った。


「未来まで暗く見えてしまいます」


 ディートリーゼは口を開きかけた。


 だが、何も言えなかった。


 扇子の向こうで、その瞳がわずかに揺れる。


 しばらくして。


「……勝手にしなさいな」


 ディートリーゼは顔を背けた。


「ただし、塔の食材は貴重ですの。無駄にしたら、時を止めてでも説教しますわよ」


「はい!」


「なぜ嬉しそうなのですの……」


 冷たい塔の中で。


 ほんの少しだけ、夕食の支度が始まった。


お読み頂き、ありがとうございます。

更新は週2~3回を目安に予定しています。

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どうぞ宜しくお願い致します。

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