第4話 塔に潜む影
「わたくしの根負けですわ」
レフィーナは、息を切らしながら顔を上げる。
「では……」
「勘違いしないでくださいまし」
ディートリーゼは扇子を広げた。
「認めたわけではありませんわ。あなたがあまりにも諦めが悪いので、これ以上続けるのが面倒になっただけですの」
レフィーナは、少しだけ笑った。
「ありがとうございます」
「礼を言うところではありませんわ!」
ディートリーゼは鋭く言った。
その声に、レフィーナははっとする。
「マークさんは……!一緒に来た男の子は無事ですか!」
ディートリーゼは扇子の向こうで目を細めた。
「塔の一階の客室で保護していますわ。時空の乱流に巻き込まれかけていましたので」
レフィーナの顔が、ぱっと明るくなる。
「よかった……!」
「外へ放り出せば、海へ戻る前に時間の迷子になりますもの。別に、親切で助けたわけではありませんわ」
レフィーナは、素直に言った。
「でも、助けてくれたんですね」
ディートリーゼの肩が、ぴくりと動いた。
「……本当に、調子が狂いますわね」
* * *
ディートリーゼは、部屋の空中に浮かぶ水晶の一つを見上げた。
水晶は鈍く明滅している。
その奥で、波のようなものが何度も同じ形に戻っていた。
「それと、残念なお知らせですわ」
ディートリーゼは言った。
「あなた方は今夜、この塔から出られませんわ」
レフィーナは驚く。
「どうしてですか?」
「さっきも言った通り、島の周囲に時空の乱流が出ていますの。今、船を出せば、同じ海域を何度も彷徨うだけ……悪ければ、昨日と明日の狭間に取り残されますわ」
レフィーナは少し困った顔をした。
けれど、すぐに頭を下げる。
「それなら……一晩だけ、お世話になります」
「なりませんわ」
ディートリーゼは即答した。
少し間が空く。
レフィーナは、困ったように笑った。
「でも、外には戻れないんですよね?」
ディートリーゼは言葉に詰まる。
そう。
外へは出せない。
本音では帰ってほしい。
けれど、今追い出せば、時空の乱流に呑まれる。
殺せない。
追い返せない。
ならば、残すしかない。
ディートリーゼは背を向けた。
「……勝手にしなさいな」
声が、少しだけ尖る。
「ただし、上の階へ入ってはなりませんわ。水晶にも触れては駄目。余計なものを見て、余計なことを知って、泣かれても困りますもの」
レフィーナは、ぱっと顔を明るくした。
「ありがとうございます!」
「礼を言われる筋合いはありませんわ」
ディートリーゼは振り返らない。
レフィーナは少しだけ首を傾げた。
「ディートリーゼさんは、優しいですね」
ディートリーゼの肩が、ぴくりと動く。
「は?」
「マークさんを助けてくれました。私も、追い出さないでくれました」
「勘違いしないでくださいまし!」
ディートリーゼは勢いよく振り返った。
扇子で口元を隠しながら、目だけは少し怒っている。
「あなた方が外で遭難されると、後味が悪いだけですわ!それ以上でも、それ以下でもありませんの!」
レフィーナは素直に頷いた。
「はい」
「はい、ではありませんわ!」
「でも、ありがとうございます」
レフィーナはもう一度、丁寧に頭を下げた。
その姿を見て、ディートリーゼは言葉を失う。
怒る理由はいくらでもあった。
追い返す理由もあった。
殺す理由さえ、あった。
それなのに、今の自分は何をしているのだろう。
未来で世界を滅ぼす少女に、寝床を用意しようとしている。
自分でも、馬鹿げていると思う。
それでも、足は動いた。
「……ついて来なさいな」
ディートリーゼは、横へ続く廊を歩き出した。
「寝床くらいは用意して差し上げますわ」
「はい!」
レフィーナは小さく笑って、その後を追った。
* * *
石の廊下は、思ったよりも長かった。
壁には、歯車を模した窓が並んでいる。
窓の向こうには、空ではなく、星のような光の流れが見えた。
昼なのか夜なのかも分からない。
時計の針だけが、壁の奥で静かに回っている。
レフィーナは、ディートリーゼの後ろを歩きながら、周囲を見回した。
不思議な塔だった。
美しい。
けれど、どこか寂しい。
人の気配がない。
長い間、誰か一人だけがここにいたような、冷えた静けさがあった。
その途中、レフィーナは小さな祭壇のような場所に気づいた。
壁のくぼみに、古びた水晶が置かれている。
表面には細かなひびが入り、内側で淡い光が揺れていた。
レフィーナは足を止める。
「あれは……?」
水晶の中で、一瞬だけ黒い炎のようなものが揺らいだ。
その奥に、誰かの影が見えた気がした。
金色の髪。
額のティアラ。
けれど、輝きは黒く濁っている。
「触れてはなりませんわ!」
鋭い声が飛んだ。
レフィーナは驚き、伸ばしかけていた手を引いた。
「ご、ごめんなさい!」
ディートリーゼは、すぐに表情を取り繕った。
「……古い装置ですわ。壊れたら困るだけですの」
「はい。触りません」
レフィーナは素直に頷いた。
だが、ディートリーゼの手は、扇子を握ったまま小さく震えていた。
水晶の中の黒い影は、もう消えている。
何もなかったように、古びた光だけが揺れていた。
レフィーナは少しだけ不安そうに水晶を見つめる。
ディートリーゼは、そんな彼女から目を逸らした。
「行きますわよ」
「はい」
二人は再び歩き出す。
時を止める少女は、未来を知らない光の少女を、塔の奥へ連れて行った。
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