第16話「瘴気核の芽」
夜。
シルバーウォールの兵士たちは、焚き火の周りで小さく語り合っていた。
「やっぱり、親善試合の優勝者は違うな」
「決勝で風の姫騎士と戦った時も、ああだったらしい」
「エレゼリア様の竜巻を、大剣で割ったとか」
「炎のリーザ様を倒した時も、最後まで一歩も引かなかったって話だ」
セリアは、その声を少し離れた場所で聞いていた。
昔の話だ。
姫騎士親善試合。
各国の姫騎士が集まり、剣と技を競った祭典。
リーザの炎。
イレーネの氷。
エレゼリアの風。
誰もが強かった。
最後の決勝で、エレゼリアの風が会場を覆った時。
自分は、何度も吹き飛ばされそうになった。
それでも最後に立っていたのは、自分だった。
勝った時。
歓声より先に、エレゼリアが笑って言った。
『やるじゃん、セリア!』
リーザは不満そうに腕を組み。
イレーネは短く拍手をしていた。
あの時は。
世界がこんなふうに壊れるとは、誰も思っていなかった。
「姫様」
ラーフェンの声に、セリアは顔を上げた。
「どうした」
「王城より、帝国工作員に関する報告が届いています」
「またか」
「はい。潜入していた者の一部が、自ら名乗り出ております」
セリアは、少しだけ笑った。
「言っただろう」
「ですが」
ラーフェンは、真面目な顔を崩さない。
「敵が何かを企んでいることに変わりはありません」
「分かっている」
セリアは焚き火の向こうを見る。
「だからこそ、皆で守る」
ラーフェンとジャンへ視線を向ける。
「ラーフェン。ジャン」
「はっ」
「お前たちがいれば、百人力だ」
二人は一瞬だけ黙った。
ラーフェンは、深く頭を下げた。
「身に余るお言葉です」
ジャンは、少しだけ笑う。
「百人分、働けってことですね」
「そういうことだ」
セリアは言った。
「頼んだぞ」
* * *
帝国大戦艦の司令室。
壁一面の戦略地図には、赤い光がいくつも浮かんでいた。
シルバーウォール。
ミッドベルン王城。
鉱山地帯。
港町。
帝国軍の進路は、そこへ向けて伸びている。
だが、予定より遅かった。
「先遣隊、壊滅」
帝国将校が、震える声で報告する。
「潜入させた工作員も、相次いで連絡を絶っています」
黒い外套の女は、何も言わなかった。
仮面の奥から、地図を見ている。
暗黒の姫騎士。
「捕虜になった者の一部は、ミッドベルン軍へ寝返ったとの情報も」
「……そうか」
短い声だった。
「セリアのいない別の場所の兵士たちも、異常な強さを引き出している」
その声に、怒りはなかった。
だが、冷たさがあった。
「セリアのカリスマには、正攻法では勝てん」
暗黒の姫騎士は、地図の上へ指を置く。
セリア。
その傍に、二つの駒がある。
ラーフェン。
ジャン。
「奴が最も信頼する者を使え」
将校たちが、息を呑む。
暗黒の姫騎士は、背後へ目を向けた。
そこには、軍装の上へ白衣を重ねた男が立っている。
帝国研究部門を率いる、ギャリー将軍。
「ギャリー将軍。例の研究成果はどうだ」
男は、慎重に答えた。
「瘴気核の芽による侵食と、制御魔導機による誘導は成功しています」
「だが、完全な置換にはまだ届かないか」
「はい。ですが、もう少しで実用段階に入れます」
暗黒の姫騎士は、再び地図を見た。
「ならば急げ」
その声は、静かだった。
「段階的に実験を開始する」
* * *
数日後。
ミッドベルン王城、軍議室。
壁には、大陸地図と軍旗が並んでいる。
机の上には、帝国軍の配置を示す駒。
セリアは、その中央に立っていた。
「帝国は、正面からぶつかることを避け始めた」
「鉱山地帯では撤退を装い、港町では民の避難を妨害しています」
ラーフェンが報告する。
「こちらの兵力を、各地へ分散させる狙いでしょう」
「その通りだ」
セリアは頷く。
「奴らは、私一人を倒せば終わると思っている」
「違うんですか?」
ジャンが、わざと軽く尋ねる。
セリアは、少しだけ眉を寄せた。
「違う」
それから、二人を見る。
「私が倒れても、お前たちがいる。兵がいる。民がいる」
軍議室にいた者たちの表情が、変わる。
「ミッドベルンは、一人の姫騎士だけで立っている国ではない」
セリアは地図を叩いた。
「だから、勝つ」
「はい」
ラーフェンが答える。
「姫様の剣が届かぬ場所は、我らが埋めます」
「頼もしいな」
セリアは、短く笑った。
ジャンが、その横で頷く。
「じゃあ、俺たちは姫様が無茶をしないよう止める係ですね」
「それは難しい任務だな」
「自覚はあるんですね」
「ある」
少しだけ、軍議室に笑いが起きた。
けれど、その夜。
笑いは消えた。
* * *
深夜の哨戒任務から戻ったラーフェンは、城門の内側で足を止めた。
顔が赤い。
息が荒い。
鎧の下で、何かが脈打っている。
「ラーフェン?」
ジャンが近づく。
「どうした」
「何でも……ない」
ラーフェンの声は掠れていた。
だが、その直後。
彼は膝をついた。
鎧の隙間から、黒い靄が漏れ出す。
「おい!」
ジャンが肩を支える。
ラーフェンの腕へ、赤黒い筋が走っていた。
皮膚の下を、何かが這っている。
「医務室へ運べ!」
ジャンの声が、夜の城門へ響いた。
* * *
医務室には、薬草と血の匂いが満ちていた。
医師たちは、ラーフェンの鎧を外し、腕と胸に走る黒い筋を見つめている。
黒い脈動は、肩から胸へ広がり始めていた。
「瘴気核の芽です」
年配の医師が、重い声で言った。
「エボルモンスターに、芽を植え付けられています」
ジャンの拳が震える。
「治せるのか」
「通常の治癒魔法では不可能です」
医師は首を横に振った。
「このまま侵食が進めば、肉体も魔力も変質する。やがて自我を失い、エボルモンスター化が始まります」
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