第15話「ミッドベルンの不敗騎士」
ミッドベルン北西国境。
要塞都市シルバーウォール。
その名の通り、城壁は白銀色の石で築かれていた。
朝日を受ければ、遠くからでも光の壁に見える。
だが、この日の城壁の上には。
朝の光より先に、黒い報せが届いていた。
「急報です!」
伝令兵が、石段を駆け上がる。
軍靴の音が、張り詰めた城壁の上へ響いた。
「ライゼル王国、王都陥落!」
兵たちの間に、息を呑む気配が広がる。
「大地の姫騎士アルファース、行方不明! 王都は帝国軍の支配下に――」
最後まで聞く者は、少なかった。
誰もが分かっていた。
イルファリア。
エスティア。
ロアーナ。
コーディアラ。
そして、ライゼル。
帝国は国を一つずつ呑み込み、そのたびに兵を増やし、資源を奪い、怪物を増やしてきた。
次に来るのは、ミッドベルンだ。
軍事国家として知られるこの国。
大陸でも屈指の兵力と防壁を持つ国。
そして何より。
聖なる姫騎士セリアを擁する国。
「敵先遣隊、北方街道を突破!」
「エボルモンスター多数! 大型を含みます!」
「距離、二千!」
城壁の外。
乾いた平原の向こうから、黒い影が近づいていた。
狼に似た怪物。
四本の腕を持つ人型。
甲殻を背負った巨獣。
その後ろには、黒い軍旗と帝国兵の隊列が続いている。
大地を踏むたび、黒い瘴気が土埃と共に舞い上がった。
「……来たか」
低い声がした。
兵士たちが振り返る。
白銀の鎧をまとった女騎士が、城壁の上へ歩み出ていた。
長い銀髪を高く結い、背には一振りの大剣を負っている。
額には、白く澄んだ光を湛えたティアラ。
聖なる姫騎士。
セリア。
その姿を見ただけで、兵士たちの背筋が伸びた。
誰かが、震える声で呟く。
「白銀の不敗騎士だ……」
セリアは、城壁の外を見た。
黒い軍勢。
数は多い。
けれど、彼女の目には迷いがなかった。
「前衛部隊は私が崩す」
大剣の柄へ手をかける。
「第二隊は城門前で待機。無理に追うな」
「はっ!」
「負傷者は後送を優先しろ」
セリアは、背後にいる二人へ視線を向けた。
白い外套をまとった、実直そうな壮年の騎士。
親衛隊隊長ラーフェン。
その隣には、鋭い目をした若い騎士。
副隊長ジャンが立っていた。
「ラーフェン。ジャン」
「ここに」
二人の声が重なる。
「全員、生きて戻る」
セリアは言った。
「私の背中だけを見るな。互いを見ろ」
「承知!」
ラーフェンが剣を抜く。
「親衛隊、姫様の進路を開け!」
「第二列、私に続け!」
ジャンの声が飛ぶ。
城門が開いた。
白銀の壁の内側から、ミッドベルン軍が進み出る。
だが、その先頭に立つセリアは。
誰より早く、大地を蹴っていた。
* * *
最初の大型エボルモンスターは、牛に似ていた。
ただし、普通の牛ではない。
頭には三本の角。
肩からは太い骨の棘。
黒い外殻に覆われた巨体は、城門を破るためだけに作られた攻城兵器のようだった。
怪物が吠える。
土を抉り、一直線にセリアへ突進した。
「セリア様!」
後方で、兵が叫ぶ。
だが、セリアは退かなかった。
大剣を抜く。
白い刃が朝日を受け、鋭く光る。
「――セイクリッド・エンチャントブレード」
聖気が、剣身へ宿る。
白い光は様々な性質に変化し、七色に輝いた。
怪物の角が迫る。
セリアは半歩だけ身体を開く。
「聖王剣・払い斬り!」
大剣が横に薙がれた。
巨獣の角が、まとめて弾け飛ぶ。
黒い外殻が深く裂け、怪物の身体が横へ流れた。
だが、倒れない。
怪物は脚を踏ん張り、首を振り上げる。
そこへ、ラーフェンが入った。
「今です!」
ラーフェンの剣が、裂けた外殻の奥へ届く。
続けてジャンが、その脚へ斬り込む。
二人の剣が、同時に怪物の動きを止めた。
セリアは迷わず踏み込む。
「聖王剣・ホーリースマッシュ!」
大剣が地面を叩いた。
白い衝撃が、平原を走る。
怪物の巨体が浮き上がり、後方のエボルモンスターごと吹き飛ばされた。
土埃が舞う。
黒い瘴気が、朝の光の中へ散る。
「前へ!」
セリアが叫ぶ。
「敵を止めろ! だが、生き急ぐな!」
その声と共に。
兵士たちの中から、恐怖が薄れていく。
足が竦んでいた者が、槍を握り直す。
傷を負っていた兵が、仲間の肩を借りて立ち上がる。
誰かの勇気が、誰かの勇気を呼ぶ。
セリアの《ヒロイズム》は、派手な光ではない。
ただ。
彼女がそこに立つだけで。
人は、自分にもまだできることがあると思えるのだ。
「押し返せ!」
「ミッドベルンを守れ!」
兵たちが叫ぶ。
ラーフェンとジャンは、セリアの左右を固めた。
ラーフェンが敵の進路を崩し。
ジャンが、そこへ踏み込む兵を導く。
セリアは、二人の隙を埋めるように大剣を振るった。
白い光。
黒い瘴気。
金属の音。
怪物の咆哮。
戦場は激しかった。
けれど、ミッドベルン軍は崩れなかった。
セリアがいる限り。
誰も、一人で戦っているとは思わなかった。
* * *
先遣隊を退けた夕方。
シルバーウォールの城壁には、白い旗が揺れていた。
黒い瘴気に汚れた平原では、兵士たちが怪我人を運び、倒れた仲間を呼んでいる。
セリアは、城壁の下で大剣を拭っていた。
白い刃に付着した黒い血が、布へ染み込んでいく。
「姫様」
ラーフェンが近づく。
「負傷者、重傷六名。ですが、全員命は繋げます」
「よし」
セリアは頷く。
「帝国兵の捕虜は?」
「二十三名です」
「傷のある者から医務室へ運べ」
「ですが、工作員が紛れている可能性が」
ジャンが言いかけた。
セリアは大剣を鞘へ収める。
「構わん」
「姫様?」
「どうせ寝返る」
一瞬。
ラーフェンとジャンが顔を見合わせた。
セリアは、城壁の外に並ぶ帝国兵たちを見た。
武器を捨て、俯いている者たち。
彼らもまた、命令で戦場へ送られた兵だった。
「脅すな。辱めるな。飯を食わせろ」
「……はい」
「人は、刃を突きつけられたから膝をつくんじゃない」
セリアの声は、静かだった。
「自分で立つ場所を選び直せると知った時、初めて戦う理由を変える」
その言葉を、捕虜の一人が聞いていた。
まだ若い帝国兵だった。
血と泥に汚れた顔を上げ、セリアを見た。
白銀の鎧。
傷ついた兵を先に運ばせる指揮官。
敵にも水を渡せと命じる姫騎士。
その目にあったのは、憎悪ではなかった。
兵士は、握っていた拳をゆっくりと開いた。
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