第11話「旅立ちの前夜」
午後。
レフィーナは、ポートハーベンへ向かっていた。
荷袋には、ランドルフが用意した薬草の包みが入っている。
港の薬草屋へ届けるためのものだ。
その代わりに、保存食と包帯を受け取ってくるよう頼まれていた。
「ついでに、話も聞いてこい」
出発前、ランドルフはそう言った。
「港は人と物が集まる。森におらぬ者の話も、聞けるじゃろう」
「分かりました」
レフィーナは、森を抜ける。
潮の匂いが近づく。
丘を下りると、ポートハーベンが見えた。
壊された桟橋には、新しい柱が立ち始めている。
海魔に壊された倉庫の壁には、明るい色の板が打ちつけられていた。
町は、まだ傷を残している。
けれど、立ち止まってはいなかった。
大工が釘を打つ。
漁師が網を繕う。
市場では、魚を並べる声が聞こえる。
人々は、明日の暮らしを取り戻そうとしていた。
「レフィーナ!」
桟橋の向こうから、マークが手を振った。
袖をまくり、太い綱を肩へ担いでいる。
その後ろには、小さな帆船が一隻、静かに揺れていた。
「マークさん」
「また買い物?」
「はい。薬草を届けに」
「そっか。薬草屋なら今、店の前にいると思う」
マークは綱を甲板へ置き、レフィーナの荷袋を見た。
「それ、重くない?」
「大丈夫です」
「前もそう言ってた」
「……そうでしたか?」
「言ってた」
マークは笑った。
レフィーナも、少しだけ笑う。
薬草屋へ荷を届け、保存食と包帯を受け取った後。
レフィーナは、港の端にある古い酒場の前へ足を向けた。
外の長椅子には、年配の船乗りたちが集まっている。
傷のある木杯を片手に、風と潮の話をしていた。
「西の潮がまた乱れたらしい」
「この時期に、あんな霧が出るものか」
「船が一日遅れて帰っただけだ。大げさに騒ぐな」
「一日どころじゃない。船の水時計が、丸二日ずれていたそうだ」
レフィーナは、思わず足を止めた。
隣にいたマークも、船乗りたちの方を見た。
「……また、その話ですか」
「また、とは?」
レフィーナが尋ねると、マークは少しだけ海の向こうへ視線を向けた。
「前に話しただろ。西の海の向こうに、時を読む賢者がいるって」
「はい。覚えています」
「最近、その噂が増えてるんだ」
年配の船乗りの一人が、こちらへ顔を向けた。
白い髭を短く整えた、小柄な老人だった。
「嬢ちゃんも聞いたのか。時の賢者の話を」
「少しだけ」
「昔、嵐でたまたまイースランドに流された漁師がおってな」
老人は、遠い海を見るように目を細めた。
「そいつは、海霧の中に大きな島を見たと言った。島の真ん中には、雲まで届く塔が立っていたとな」
レフィーナの胸が、わずかに高鳴る。
「その塔に……賢者が?」
「そう聞いた」
老人は頷いた。
「近頃の噂によると、そこには未来も過去も見る姫騎士がいるんだってさ」
「未来も……過去も」
「本当かどうかは知らん」
別の船乗りが、木杯を傾けながら言った。
「だが、あの島を見たと言う奴は一人じゃない。西の沖で嵐に巻かれた船が、同じような塔を見たと言って帰ってくる」
「それに、最近は潮までおかしい」
白髭の老人が続ける。
「海流が逆へ流れたとか。朝に出た船が、夕暮れより早い空の下で戻ったとか」
「船乗りの話は、波より大きくなるから」
マークが苦笑した。
けれど、その声はいつもより少しだけ低い。
完全に嘘だと、笑い飛ばしてはいなかった。
レフィーナは、西の海を見た。
水面は、夕陽を受けて金色に揺れている。
その向こうにも、道がある。
姉へ届くための。
今はまだ、何も分からない場所へ続く道が。
「その方が本当にいるなら」
レフィーナは、ゆっくりと言った。
「消えた人の行方も、知っているかもしれません」
マークが、レフィーナを見る。
「探してる人がいるんだね」
レフィーナは、少しだけ迷ってから頷いた。
「……姉です」
「そうか」
マークは、それ以上聞かなかった。
ただ、海を見た。
「イースランドは遠いよ」
「はい」
「普通の漁船が、気軽に行ける場所じゃない。西の海は、海図にない潮も多いし」
「それでも」
レフィーナは、指先を握った。
「確かめたいです」
マークは、しばらく黙っていた。
やがて、船の帆綱へ視線を向ける。
「……うん」
それだけだった。
けれど、その声には。
何かを考え始めたような重さがあった。
* * *
夜。
森の小屋には、暖炉の火が揺れていた。
レフィーナは、港で聞いた話をランドルフへ伝えていた。
イースランド。
雲へ届く塔。
時を読む賢者。
未来と過去を見るという、時の姫騎士。
ランドルフは、最後まで黙って聞いていた。
やがて、本棚の奥から一冊の古い本を取り出す。
革の表紙はひび割れ、頁の端は黄ばんでいた。
「わしも、似た記録を見たことがある」
レフィーナは、身を乗り出した。
「本当ですか?」
「古い航海記の写しじゃ。王家の書庫にあった」
ランドルフは、慎重に頁をめくる。
そこには、荒い線で描かれた海と、小さな島と、時空の塔、と書かれた文字があった。
「西海の彼方、時を観る者あり」
老人は、かすれた文字をなぞる。
「人の来し方と、まだ来ぬ道を映す、と書かれておる」
「その人が……」
「同じ者かは分からん」
ランドルフは、すぐに続けた。
「塔が本当にあるのか。そこへ行く方法があるのか。時を観るとは、何を意味するのか。わしにも分からん」
レフィーナは、古い頁を見つめた。
手がかりは、ほんのわずかだ。
けれど。
何もなかった昨日までとは違う。
「分からないから、行かないんじゃありません」
レフィーナは言った。
自分の言葉を確かめるように。
「分からないから、確かめに行きたいんです」
ランドルフは、細い眼鏡の奥からレフィーナを見た。
しばらくして。
小さく、頷く。
「そう言うと思っておった」
お読み頂き、ありがとうございます。
更新は週2~3回を目安に予定しています。
感想・評価・ブックマークを頂けると、今後の執筆の励みになります。
どうぞ宜しくお願い致します。




