第8話「崩された計略」
「浮遊岩の荒野、検問所守備隊……全滅!」
その報告を受け、暗黒の姫騎士は現場へ急行した。
そして、しばらく言葉を失った。
浮遊岩の荒野。
砂に埋もれた検問所。
砕けた魔導端末。
岩壁に挟まれ、潰れたエボルモンスター。
彼女は、崩れた地面に触れた。
残された大地の魔力が、指先へ冷たく伝わる。
「……騙された」
短い声だった。
側にいた帝国将校が息を呑む。
「姫騎士は、ただ逃げているだけではないのですか」
「違う」
暗黒の姫騎士は立ち上がる。
「最初から、こちらを誘導していた」
ゴールドフィールドで敵軍を止め、王都を明け渡し、ピラミッドへ先回りした。
帝国の監視網を避け、商隊へ紛れ、セリアのいるミッドベルンへ向かっている。
あの穏やかな姫騎士は。
最初から、帝国の次の手まで読んでいた。
「……まずいな。時間が無い」
暗黒の姫騎士は、遠くの山脈を見た。
エルディーン山脈。
そこを越えられれば、聖なる姫騎士セリアとの合流が現実になる。
炎、水、風を奪った。
だが、大地と聖が並べば、帝国の優勢は崩れる。
「伝令! ハシムという商人から密告です!」
「商隊の経路と、そこに大地の姫騎士がいることが判明しました!」
「ぎりぎりだったな。何とかなりそうだ」
将校が顔を上げた。
「では、いかがなさいます」
暗黒の姫騎士の声は、低かった。
「守るものを、戦場へ出す」
* * *
浮遊岩の荒野を抜けた先。
空中に浮かぶ巨大な岩塊の向こうに、エルディーン山脈の白い峰が見えていた。
あと少し。
あの山を越えれば、ミッドベルンへの道が開く。
アルファースは、馬車の中で目を閉じていた。
疲れてはいない。
けれど、知恵の間で得た知識の重みが、心の奥に残っていた。
未来は、一つではない。
けれど、選べる道には必ず代償がある。
「姫様」
シェーラの声がした。
「前方に、帝国軍です」
馬車が止まる。
アルファースは外へ出た。
ハシムも転がり出て、走り出す。
そして、街道を塞ぐ黒い軍勢に紛れる。
「ハシム!契約を違えましたわね!」
シェーラが叫んだ。
そして、帝国の軍勢、その前には。
縄で繋がれた人々がいた。
農民。
避難民。
王都から連れ出された従者たち。
泣く子供。
支え合う老人。
その首元へ、エボルモンスターの爪が突きつけられている。
「……」
アルファースの表情から、微笑みが消えた。
軍勢の中央に、暗黒の姫騎士が立っていた。
「ここまでだ、アルファース」
風が止まる。
「あなたが、暗黒の姫騎士…一体何者ですの?」
「私の詮索より、今はお前にとってもっと重要な事があると思うのだがな」
暗黒の姫騎士は、捕らえられた人々を指した。
「お前がその山脈を越えるのが先か」
黒い剣が、一人の農夫の首元へ向く。
「この者たちの命が尽きるのが先か。試してみるか?」
「おやめなさい」
アルファースの声は、初めて硬かった。
「彼らは、あなた方の敵ではありませんわ」
「使えるものは何でも使う…ここは戦場だ」
暗黒の姫騎士は言った。
「さあどうする?」
「今すぐ皆さんを解放して差し上げて」
「条件を出そう」
暗黒の姫騎士は、黒い剣をわずかに下ろした。
「ティアラを外し、抵抗をやめろ。そうすれば、この者たちは生かして解放する」
「帝国の言葉を、信じろと?」
「信じる必要はない」
仮面の奥の声は、冷たかった。
「だが、お前が山脈へ進めば、この者たちは死ぬ。ここで剣を置けば、生きる。それだけだ」
シェーラが、すぐにクナイへ手を伸ばした。
目が、敵の配置を数える。
人質の数。
兵の数。
エボルモンスターの位置。
水場。
岩場。
救出できる可能性。
だが、同時に。
人質の足元には、黒い魔導杭が打ち込まれていた。
下手に動けば、瘴気の針が一斉に放たれる。
「姫様」
シェーラの声が、わずかに揺れる。
「わたくしが――」
「いけません」
アルファースは、静かに首を振った。
「ルッツフェルトと共に、後はお願いしますわ。」
「しかし……!」
「シェーラ」
アルファースは、彼女を見た。
その目には恐怖があった。
悔しさもあった。
それでも、誰一人切り捨てないという意思があった。
「まずは、ルッツフェルトと合流を」
「姫様」
「あなたになら、未来を託せますわ」
シェーラは唇を噛んだ。
何かを言おうとして。
けれど最後には、深く頭を下げた。
「……承知いたしました」
次の瞬間、シェーラの姿が砂煙の中へ消えた。
帝国兵が叫ぶ。
「侍女が逃げた!」
「追え!」
「追うな」
暗黒の姫騎士の声が、兵士たちを止めた。
「今は大地の姫騎士だけを押さえる。隙を与えるな。どのような算段をしているかしれん」
彼女の目は、最初からアルファースしか見ていなかった。
「ティアラを外せ」
アルファースは、ゆっくりと額へ手を伸ばした。
大地のティアラが、淡く震える。
土の中には、まだ守れる命がある。
山の向こうには、会うべき人がいる。
シェーラも、まだ戦っている。
それでも。
ここで自分が剣を振れば、この人たちは死ぬ。
「……分かりましたわ」
アルファースは、ティアラを外した。
ティアラの光が消える。
帝国兵が駆け寄り、彼女の両手へ拘束具を嵌めた。
魔力封印の首輪。
重い鎖。
暗黒の姫騎士は、後方へ目を向けた。
「約束どおり、人質を解放する。魔導杭も抜け」
エボルモンスターの爪が、農民たちの首元から離れる。
兵士たちが縄を断った。
泣いていた子供を抱き上げた女が、何度もアルファースを振り返った。
「姫様……!」
アルファースは、拘束されながらも小さく頷いた。
「どうか、生きてくださいませ」
誰に向けた言葉だったのか。
人質へ。
逃げたシェーラへ。
それとも、自分自身へ。
答える声はなかった。
ただ、遠くの砂丘の向こうで、一瞬だけ風が強く吹いた。
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