第7話「砂漠を往く商隊」
夜。
ハシム邸、サンドパレス。
豪奢な廊下を、シェーラが静かに歩いてきた。
彼女の手には、封蝋の押された契約書がある。
部屋で待っていたアルファースは、すぐに立ち上がった。
「シェーラ」
「移送の件、まとまりましたわ」
シェーラは、いつも通りの笑みを浮かべた。
「明朝より、商隊へ加わります」
「……あの方は、あなたへ不当なことを求めたのでしょう」
シェーラの笑みが、少しだけ止まった。
「姫様」
「わたくしを守るために、あなたが何かを差し出す必要はありませんわ」
「必要ではありません」
シェーラは穏やかに答えた。
「ですが、手札にできるものは使います。わたくしは姫様の侍女ですもの」
「シェーラ」
「ご心配なく」
彼女は、胸へ手を当てて一礼する。
「わたくしはニンジャですので」
アルファースは何も言えなかった。
シェーラは、契約書を机へ置く。
そこに書かれているのは、アルファースが名目上ハシムの庇護下に置かれるという条件だった。
さらに、シェーラはハシムの身辺を補佐する侍女として同行する――そんな付帯条件も記されていた。
けれど、その一文の裏には、シェーラが仕込んだ条項もある。
商隊の行き先を帝国へ漏らせば、ハシムの全財産を没収できる条項。
帝国の検問へ協力すれば、彼の領地の水利権を失わせる条項。
どちらが誰を利用しているのか。
それを、ハシムは快く思っていない。
だが、シェーラの話術にいつも丸め込まれる。
ハシムは思案した。どうすれば、この手に出来る?
目的のアルファースを。
打開策を得る為、とりあえずハシム自身も商隊に参加する事にした。
* * *
商隊は、熱砂砂漠を進んだ。
アルファースは目立たぬ旅装へ着替え、ティアラを布で隠した。
怯えて逃げる貴族の娘。
それが、帝国の目に映る彼女の姿だった。
だが、夜になればアルファースは地図を広げ、星と地脈を照らし合わせた。
帝国軍の巡回路。
水場の位置。
浮遊岩の荒野へ通じる、使われなくなった旧街道。
シェーラは、護衛の背後へ紛れ、見張りを眠らせ、砂に残る足跡を消した。
「土遁」
砂丘が静かに崩れ、商隊の進んだ跡を覆い隠す。
「風遁」
夜風が砂を巻き上げ、追跡者の視界を奪う。
帝国の包囲網は、何度も空を掴んだ。
暗黒の姫騎士は焦っていた。
王都はあっけなく占拠出来たものの、国民の姿は無く、要所で抵抗を食らい、思うような支配が出来ない。
そして、アルファースを捕獲出来ず、もしミッドベルンと連携でもされれば…
いくらアルファースが非力な姫と言えど、今の情勢がひっくり返されてしまうだろう。
しかし、今のところ、地道に捜索するしかなかった。
一方、ハシムも焦っていた。
このままミッドベルンへ到着してしまえば、契約は完全にシェーラたちの勝ちとなる。
アルファースは、もう自分の庇護の下には置けない。
その後ろ盾も、行き先も、手の届かないものになってしまう。
一か八か、アルファースへ直談判した。
だが、当然、拒否された。
「かくなる上は……」
ハシムは帝国の密偵へ、商隊の経路と、そこに大地の姫騎士がいることを売った。
欲望が渦巻き、血走った目がぎらついた。
* * *
順調に歩を進めるアルファース一行。
だが、浮遊岩の荒野で、予定外のことが起きた。
検問所。
帝国兵たちは、通行人を一人ずつ止めていた。
特に女性の旅人へ、異様なほど執拗に身元を問いただしている。
「おかしいですわね」
シェーラが小さく呟く。
「姫様を探しているのでしょう」
アルファースは、荷馬車の陰から検問を見た。
「ティアラは外してあります。わたくしたちは、ただの商隊ですわ」
その時だった。
帝国兵の一人が、商隊の若い娘の腕を掴んだ。
「隠している物を出せ」
「何も持っていません!」
「なら、調べるまでだ」
娘が怯え、後ずさる。
アルファースの指が、荷馬車の縁を掴んだ。
駄目だ。
目立てば、計画は崩れる。
ミッドベルンへ着けば、セリアと合流できる。
ここで戦えば、すべてを失う可能性がある。
分かっている。
けれど。
「手を、放しなさい」
アルファースの声が、荒野へ響いた。
ハシムの欲望をぶつけられ、少し熱くなっていたのもあるだろう。
だが、ここまでくれば、強行軍で逃げ切れる計算もあった。
帝国兵が振り返る。
「何だ、貴様は」
布の下で、大地のティアラが光った。
隠していたはずの光が、布を通して溢れ出す。
ティアラは、主人の感情の高ぶりを反映するかのごとく起動した。
大地が震える。
「ロックフォートレス」
岩壁がせり上がり、帝国兵と娘の間を分けた。
次の瞬間、アルファースの足元から黄金の亀裂が走る。
「アースクラック」
検問所の地面が割れ、魔導弩と制御端末を飲み込んだ。
帝国兵たちが叫ぶ。
エボルモンスターが襲いかかる。
だが、シェーラはすでに前へ出ていた。
「水遁」
足元へ水流が走り、敵の体勢を崩す。
「火遁」
炎が、怪物を焼き尽くす。
水と炎を派手に操り、帝国兵の視界を奪う。
最後に、シェーラはクナイを抜いた。
戦いは長く続かなかった。
検問所を守っていた兵は倒れ、制御を失ったエボルモンスターは砂漠の外へ逃げ去った。
静けさが戻る。
アルファースは、崩れた検問所を見ていた。
「……こうなっては仕方ありませんわね」
シェーラが、穏やかに言った。
「すぐに帝国へ伝わります」
「ええ」
アルファースは頷く。
「急ぎましょう。エルディーン山脈まで、あと少しですわ」
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