第19話「ティアラ完全体」
コーディアラ王城が陥落した報せは、その日の夕方に届いた。
王族は、すでに避難を終えていた。
だが、帝国軍は城を占拠し、町の中心へ黒い旗を掲げた。
風車の羽は止められ。
石畳の広場には、帝国兵の足音が響いている。
コーディアラは、森の防衛へ戦力を集めるため、町を一時的に捨てるしかなかった。
それは敗走ではない。
守るべきものを、守るための撤退だった。
けれど。
町の上に翻る黒い旗を見た時。
エレゼリアの胸は、ひどく痛んだ。
「世界樹だけは、絶対に渡さない」
彼女は、長剣を握りしめた。
ヴェンツェルが、古い地図を広げる。
「迷いの大森林にある古代遺構の一つ。森の神殿」
地図の奥。
蔦と木の根で覆われた場所に、古い印があった。
「そこには、風の姫騎士のティアラを完全な力へ導く魔水晶片が眠っていると伝えられている」
「本当にあるの?」
「伝承では、だが…」
「でも、行く」
エレゼリアは即答した。
「みんなを守るには、もっと力が必要だ」
フリッツが前へ出る。
「俺も行きます」
「防衛隊は、保護地を守って」
「しかし!」
「フリッツがいないと、あそこは守れない」
エレゼリアは、少しだけ笑う。
「大丈夫。ヴェンツェルがいる」
ヴェンツェルは、静かに頷いた。
「森の神殿への道は、わたくしが開きます」
* * *
森の神殿は、迷いの大森林の境目にあった。
崩れた石柱。
地面を割る太い根。
壁を覆う蔦。
何百年も人を拒み続けてきた古代遺構。
ヴェンツェルが古い文字へ手を触れると、石壁の一部が静かに開いた。
その奥から。
低い唸り声が響く。
「ガーディアンがいる」
エレゼリアは剣を抜いた。
「想像以上に、手強そうね」
神殿の最奥。
石と木と金属が絡み合った巨大な守護者が待っていた。
人の形に近い。
だが、両腕は古木の幹ほど太く、胸には緑の魔導核が埋め込まれている。
守護者の拳が、振り下ろされる。
石床が割れた。
「エアロブースト!」
エレゼリアは横へ跳ぶ。
剣先が関節を突き払い、守護者の腕を逸らす。
反対側の腕が迫る。
ヴェンツェルがシルフを召喚、エレゼリアに向かわせる。
シルフが風を吹き付け、エレゼリアの支援をする。
風と共に、その脇をすり抜ける。
背後へ回り。
「ドゥブリーレン!」
一閃。
二閃。
石の装甲に、深い亀裂が走る。
守護者はなおも動く。
ヴェンツェルがノームを召喚。守護者の動きを鈍らせる。
胸の魔導核が、眩く光った。
神殿全体を揺らすほどの衝撃波。
シルフが風の障壁で衝撃波を和らげるが、相殺には至らない。
エレゼリアの身体が、壁へ叩きつけられる。
「エレゼリア!」
ヴェンツェルが叫ぶ。
だが、彼女は立ち上がった。
口元に血が滲んでいる。
それでも、剣は下ろさない。
「森を守りたい」
エレゼリアは、守護者の胸にある光を見据えた。
「だから、あたしに力を貸して」
風が、彼女の周囲を巡る。
小さな風。
神殿の外から。
迷いの大森林の奥から。
木々を揺らしてきた風が集まる。
シルフも加勢する。
エレゼリアは走った。
守護者の拳を躱し。
崩れた柱を蹴り。
高く跳ぶ。
「ウィンドショット!」
風の弾丸が、シルフによって強化され、守護者の胸の魔導核へ突き刺さる。
核が揺らぐ。
シルフとノーム、そしてヴェンツェルがさらに召喚したサラマンダーが、守護者の動きを止める。
その一瞬。
彼女は、剣を振り下ろした。
緑の光が走る。
守護者の胸の魔導核が砕けた。
巨大な身体は、ゆっくりと膝をつく。
やがて、石と根の塊へ戻るように崩れ落ちた。
最奥の祭壇に、翡翠色の結晶が浮かんでいる。
エレゼリアは、そこへ近づいた。
「これが……」
指先が、魔水晶片へ触れる。
ティアラが共鳴する。
翡翠色の光が、額から全身へ広がった。
森の風が、神殿の中を駆け抜ける。
長い年月の埃が舞う。
蔦が揺れる。
石壁の隙間から差し込む夕日が、緑色に染まる。
魔水晶片は、ティアラの中心へ吸い込まれるように収まった。
風のティアラが、完全体となった。
* * *
「今だ!」
神殿の回廊へ、荒々しい声が響いた。
バルナバス提督だった。
その後ろには、数十体のエボルモンスター。
ヴェンツェルは新たに、ウンディーネを召喚。
シルフ、ノーム、サラマンダーと共に迎え撃つ。
太い拘束肢を持つ異形が、石床を這っている。
黒い肉の束のような腕が、壁を叩き、床を削りながらエレゼリアに迫る。
「提督。暗黒の姫騎士は、森の奥で追うなと」
副官が、低く言う。
「黙れ」
バルナバスは、エレゼリアのティアラを睨んでいた。
眩い翡翠色の光。
先ほどまでとは違う。
森そのものが、彼女へ応えているような魔力。
「あの力を手に入れれば、戦艦一隻分以上の戦力になる」
「ですが、あれは姫騎士の……」
「だからこそだ」
バルナバスの瞳には、焦りと欲が混じっていた。
暗黒の姫騎士だけが功を立てる。
自分は命令を受けるだけ。
それが、耐えられなかった。
「捕らえろ!」
拘束肢が、エレゼリアへ伸びた。
「っ!」
エレゼリアは剣を振るう。
一つを断つ。
二つを断つ。
だが、次々に伸びる黒い拘束肢が、手首へ、足首へ、胴へ絡みつく。
冷たい。
生きた鉄のような、不快な冷たさ。
締めつけるたび、魔力が吸い上げられていく。
「放せ……っ!」
ティアラの光が、不規則に明滅する。
エレゼリアの膝が折れかけた。
バルナバスが笑う。
「そうだ。その力だ。帝国の制御魔導機へ接続できれば――」
その瞬間。
ティアラの翡翠色が、爆ぜた。
「デッド・テンペスト!」
神殿の壁を揺らすほどの風圧。
拘束肢が、一斉に引き裂かれる。
黒い肉片が、嵐に巻き上げられた。
エレゼリアの周囲に、巨大な風の柱が立つ。
風は彼女を傷つけない。
彼女を縛ろうとした怪物だけを、回廊の外へ叩き出していく。
「何だ、この力は……!」
バルナバスの声が震えた。
エレゼリアは、荒い息のまま立っていた。
完全体となったティアラの力が、まだ制御しきれないほど全身を巡っている。
けれど。
その光を前に、バルナバスは一歩下がった。
恐怖していた。
同時に。
恐怖したからこそ、手に入れたいとも思った。
「あの力を……必ず」
「提督!」
「撤退だ!」
バルナバスは叫ぶ。
自らの判断が失敗だったことを隠すように。
「一度、退く!」
帝国兵たちは、神殿から逃げ出した。
エレゼリアは追わなかった。
立っているだけで、精一杯だった。
ヴェンツェルが、そっと彼女の肩へ手を置く。
「大丈夫か」
「うん」
エレゼリアは、疲れ切った笑顔を浮かべた。
「まだ、行け…る…」
その言葉の直後。
彼女の身体から、力が抜けた。
意識を失ったエレゼリアを、ヴェンツェルが静かに支える。
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