第45話 知るべき時期
路地裏を抜け、私たちは人通りの少ない道へ出た。商会の男たちの姿はもう見えない。……見えないだけで、安心はできない。商会はしつこい。胃が、覚えている。私は歩きながら、肩の上の猫を見上げた。
「それで、閣下。説明って、何を?」
猫は小さく瞬きをし、当たり前のように答えた。
「貴殿が、知らぬまま進むのは危険だ」
「……猫に“危険”って言われると、怖さが増すんですけど」
「増すだろう」
「増すのを狙ってる!?」
ジルが、咳払いを一つした。
「シュン。冗談を言っている場合ではありません」
「はい……」
私は背筋を伸ばす。こういう時のジルは、絶対に正しい。閣下が淡々と言った。
「まず、商会の件だ」
「……また商会のやつら?」
「あれは“嗅いだ”」
「嗅い?……嗅ぐって、犬みたいに?」
閣下は尻尾を一度だけ揺らす。
「闇の鱗の匂いをな」
私は思わず足を止めた。
「え? まさか……あの鱗、匂いで居場所がバレてるの?」
ジルが即答した。
「はい。闇属性の素材は、感知されやすいです」
「えぇ……最悪……」
私はインベントリの奥にしまった黒い布袋を思い出す。友情の証。便利なお守り。――いや、便利すぎる爆弾。私は小声で言った。
「……じゃあ、持っているだけでも危なかったり?」
「危ない」
閣下が言い切った。
「だが、捨てるのはもっと危ない」
「……え?」
まあ、捨てる気はないけどさ? ジルが静かに頷く。
「闇のドラゴンの“贈り物”を捨てる行為は、侮辱になり得ます」
私は胃を押さえた。完全に、逃げ道を塞がれてるよね……。
「これって、詰んでない? 私」
「詰んではいない」
閣下が淡々と否定する。
「貴殿が、裏切らねば良い」
私は肩をすくめた。
「……裏切りませんよ。そもそも、裏切ると死ぬし」
「その現実主義が良い」
「褒められてるのか、これ」
ジルが一枚の紙を取り出し、淡々と読み上げる。
「商会は、闇のドラゴンの素材を欲しがります。理由は三つ」
「追われる理由が、三つもあると……?」
私の呟きはスルーされた。当然とばかりに。
「一つ。高値で売れる。二つ。権力者への献上品になる。三つ――」
まあ、二つ目までは分かる。ジルが少しだけ間を置いた。
「“戦争の理由”になります」
私は息を呑んだ。どこかで最近、聞いた話だ。
「……理由?」
閣下が言った。
「火種だ」
その一言が、妙に冷たかった。
「“危険だから討つべきだ”と叫ぶための、都合の良い証拠」
私は、昨日の商会の男の顔を思い出した。笑顔。融通。上席。優先料。そして――素材を見た瞬間の目。あれは、欲だった。樽が高いとか、そんな可愛い話じゃない。
「……だから、追ってくるのか」
ジルが頷く。
「はい。あなたが“闇のドラゴンと接触した”事実そのものが、商会にとっては価値です」
私は顔をしかめた。
「最悪……」
閣下が続ける。
「だから貴殿は、商会と距離を取れ」
「取ってるよ。全力で」
「ああ、今日のようにな」
「はあ、今日のように、ね……」
私は思わずため息を吐いた。ジルが淡々と付け足す。
「隠密スキルを思い出していただけたのは助かりました」
「うん。私も助かったと思ったよ」
「遅い」
閣下が言った。
「そこは言わなくていい!」
私は肩の上を睨む。猫は涼しい顔だ。猫のくせに。私は歩きながら、ふと聞いた。
「……ねえ閣下。なんで最近、喋らなかったの?」
閣下は少しだけ目を細めた。
「耳が多い」
「耳……?」
ジルが頷く。
「街には、聞き耳を立てる者がいます。商会だけではありません」
私は背中が冷たくなるのを感じた。
「……じゃあ、私の独り言も?」
「聞かれている」
閣下が言い切った。
「うわ……」
私は頭を抱えた。
「じゃあ、私の、ずっと一人でツッコミ入れてたのまで……全部?」
「全部だ」
「最悪!!」
ジルが少しだけ視線を逸らした。……笑いを堪えてるよな、絶対。私は咳払いをして、話を戻した。
「じゃあ、今こうして喋ってるのは大丈夫なの?」
「今は良い」
閣下は淡々と言う。
「“ここ”は耳が少ない」
「どこ?」
「路地の奥だ」
「……猫の情報網、怖いな」
閣下は、少しだけ尻尾を揺らした。
「そして、もう一つ」
私は息を整えた。
「……なに」
「貴殿は、呼ばれた者だ」
私は足を止めた。……またそれだ。オブシにも言われた。流れを変えるとか、なんとか。
「……それ、知ってたの?」
閣下は短く答えた。
「当然だ。わたくしが選んだのだから、知っている」
ジルが静かに続ける。
「私もです」
「え?」
私はジルを見た。
「ジルも?」
ジルは頷いた。
「はい。ですが、あなたが知るべき順番ではありませんでした」
「順番……?」
閣下が言った。
「貴殿が“選ぶ”必要があった」
「……私が?」
「どのように行動するか……どのように考え、どのように魔物を斃し、成長した結果――ドラゴンを敵にするか、しないか」
私は息を呑んだ。
「……商会の誘惑を断るか、断らないか?」
「そうだ」
閣下は淡々と言う。
「貴殿は断った。だから教える」
私は、口の中が乾くのを感じた。
「……試してたの?」
「試した」
胃が痛いのは、さっきからずっとだ。だが今の痛みは種類が違った。
「うへぇ……」
私は胃を押さえた。
「ねえ、閣下。私、猫に試験されてる人生なの?」
「そうだ」
「即答やめて!!」
ジルが、静かに微笑んだ。
「……ですが、合格です」
私はジルを見た。
「合格って……」
「あなたは、約束を守りました」
ジルの言葉は、真っ直ぐだった。私は小さく息を吐く。
「……守ったよ。これからも守るよ。守らないと死ぬし」
閣下が言った。
「守ったから、生きている」
「……うん」
その言葉だけは、否定できなかった。私はインベントリの奥に触れ、黒い布袋の存在を確かめる。友情の証。握りしめるだけの、お守り。私は小さく呟いた。
「……これ、友情の証なんだよね」
「そうだ」
「……監視じゃなく?」
「監視にもなる」
「うん、なるんだよね」
「だが、貴殿には使われぬ」
閣下は言い切った。
「だから、友情で済む」
私は苦笑した。
「……すごい理屈だなぁ」
ジルが淡々と言う。
「闇のドラゴンは、あなたを信用しています」
「信用って……あいつ、そんな可愛いこと言わないよ?」
閣下が言った。
「可愛い言葉は不要だ」
「猫が言うと説得力あるのやめて」
私たちはしばらく歩いた。武器屋へ向かうはずだった足が、いつの間にか別の方向へ向いている。私は気づいて、足を止めた。
「……ねえ、ジル。道、違くない?」
ジルが淡々と答える。
「違います」
「違うんだ」
「はい。向かう場所が変わりましたので」
私は嫌な予感しかしない。
「……どこ行くの?」
ジルが、少しだけ表情を引き締めた。
「王都です」
「王都!?」
私は声を上げかけて、慌てて口を塞いだ。耳が多い。今は少ないけど、ゼロじゃない。私は小声で言う。
「なんで急に……!」
閣下が淡々と言った。
「貴殿は、知るべきだ」
「何を……」
「世界の事情を」
私は喉を鳴らした。
「……世界の事情って、嫌な予感しかしない」
閣下は尻尾を揺らし、決定事項のように言った。
「そして、王に会う」
「王様……?」
ジルが頷いた。
「はい。謁見します」
私は、頭が痛くなってきた。謁見するのはドラゴンだけでお腹いっぱいなのだが……。
「……私、樽買って照り焼き作るだけの人生じゃなかったっけ」
「違う」
「知ってるけどさ……」
私は胃を押さえ、最後に確認した。
「……ねえ閣下。王様って、どんな人?」
閣下は少しだけ目を細めた。
「猫だ」
「……は?」




