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1000匹狩ればスキルMAX。ドラゴンという絶壁を前に、子供になった元部長が導き出した――「生存戦略」  作者: 月城 蓮桜音


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第41話 記憶にございません

 猫からも催促され、さらにジルも声をかけてきた。

  

「シュン。支払えますか?」

 

 ジルが私を見た。払えるか、じゃない。払うしかない。払わないと、あの闇のドラゴンが――。私は胃を押さえながら頷いた。

 

「……払います」

 

 言った瞬間、肩の上の猫が静かに尻尾を揺らした。笑っているのか、呆れているのか、もう分からない。分からないのが一番怖い。

 

 私はインベントリを開いた。金袋。いつもの金袋。……あった。あったはずだ。私は迷わずそれを取り出し――

 

「あれ?」

 

 掌に落ちたのは、金袋ではなかった。黒い布袋。小さい。だが、妙に重い。触った瞬間、指先がひやりとした気がした。

 

「……こんなの、あったっけ?」

 

 私は袋を見つめた。何となく見覚えのある『黒』だ。ジルが一瞬、動きを止めた。

 

「シュン。それは――」

 

「え? えっと、金袋……じゃないよね?」

 

 私は袋を揺らしてみる。チャリ、という音がしない。硬いものが、底でごとりと動いた。商会の男が、ぴくりと眉を動かした。さっきまでの“優しい商売人の笑顔”が、ほんの少しだけ剥がれ落ちる。

 

「……失礼。少々、拝見しても?」

 

 その声が変わった。温度が下がった。目が、光った。――あ。これ、やばいやつだ。私は反射的に袋を握り直した。

 

「え……なぜでしょう?」

 

 袋目掛けて伸びてきた手に、ジルが一歩前に出て牽制してくれた。

 

「触れないでください」

 

 商会の男の手が止まる。その瞬間、奥の扉が開いた。中から、紹介役らしい別の男が顔を出した。こちらを見て、目を見開く。

 

「どうしました――」

 

 紹介役の男の視線が、私の手元に吸い寄せられた。

 

「……っ!」

 

 息を呑む音が、はっきり聞こえた。

 

「そ、それは……っ!」

 

 私は完全に置いていかれている。

 

「え? なに? 何なの?」

 

 私は恐る恐る紐を解き、袋の中身を覗いた。そこにあったのは――鈍い黒光りを放つ、(うろこ)の欠片だった。爪先ほどの大きさ。だが、見た目以上に重い。闇の色。光を吸い込むような、深い黒。

 

「……鱗?」

 

 商会の男が、喉を鳴らした。

 

「……ドラゴンの素材……!」

 

 紹介役の男が、声を裏返して叫ぶ。

 

「闇……! 闇のドラゴンの……!」

 

 私は固まった。

 

「え?」

 

 闇。ドラゴン。素材。……いや、待って。私、今なにを出した? 肩の上の猫が、静かに尻尾の動きを止めた。空気が、一段重くなる。私は、背中に嫌な汗が浮かぶのを感じた。


 もしかしなくても……これ、ドラゴンが入れたのでは? だって、私は覚えていない。拾った記憶も、しまった記憶もないのだ。なのに、ここに、ある。闇のドラゴンなら――まあ、できそうだ。できそうなのが、怖い。商会の男が、慌てて笑顔を貼り付け直した。

 

「……失礼いたしました。どうぞ、こちらへ」

 

「え?」

 

 紹介役の男が慌てて指示を出す。

 

「上席を! 上席をお呼びして!」

 

 いや、待って。樽を買いに来ただけなのだが。なんで急に偉い人が出てくるの? ジルが冷淡な声で言った。

 

「話を戻しましょう。樽四つの手配でしたね」

 

「も、もちろんです。すぐに……!」

 

 商会の男の声が、明らかに()びを含んでいた。さっきまでの“優先料”の男とは別人だ。私は、嫌な予感しかしない。案の定、商会の男が言った。

 

「その素材を――代金としていただければ、こちらも最大限の融通を――」

 

 ジルが即答した。

 

「却下です」

 

「……え?」

 

 商会の男の笑顔が、引きつった。ジルは淡々と続ける。

 

「それは樽の値段よりはるかに高価なものですよね。これと樽を引き換えるなど、どう考えても道理に合いません」

 

 紹介役の男が、引きつった笑みのまま頷く。

 

「そ、それは……ええ……当然……」

 

 心の中では「当然じゃない」と思っている顔だ。欲が、目に出ている。怖い。私は袋を握ったまま、ゆっくり息を吐いた。……これを売れば、金銭面では楽になるだろう。樽の代金も、優先料も、全部払える。むしろ余るかもしれない。だが。闇のドラゴンと交渉した私が、ここで“売る”のは違う気がする。私は商会の男を真っ直ぐに見た。

 

「これは売りません」

 

 商会の男が、目を細めた。

 

「……ですが、それだけの価値がある素材です。ぜひ――」

 

「価値があるからこそ、売りません」

 

 私は言い切った。自分でも驚くほど、声が冷静だった。ジルが、横から補足する。

 

「我々は闇のドラゴンを敵に回す気はありません」

 

 商会の男の眉が動く。

 

「敵に回さない……?」

 

「契約を結びましたから」

 

 ジルの声は、淡々としていた。だが、刃物みたいに鋭い。

 

「こちらが先に裏切る理由はありません」

 

 商会の男が、少しだけ笑った。

 

「……しかし、闇のドラゴンは危険です。討伐依頼を出すべきだとはお考えにならないので?」

 

 私は首を横に振った。

 

「討伐はしません」

 

「……なぜです?」

 

 商会の男の声が、少しだけ低くなった。私は答えた。

 

「今、わざわざ寝ている虎の尾を踏むような真似をする理由がないからです」

 

 そして、もう一つ。

 

「それに――約束しましたから」

 

 ジルが頷いた。

 

「契約とは、守るためにあります」

 

 商会の男が、黙った。空気が冷える。さっきまでの媚びた顔が消え、目の奥の計算だけが残った。

 

「……分かりました」

 

 商会の男は、事務的に言った。

 

「では樽四つの手配を進めます。料金は――」

 

「払います」

 

 私は即答した。払いたくないが、払う。胃は痛いが、きっちり払う。商会の男が紙を差し出す。私は今度こそ、慎重に金袋を取り出した。……ちゃんと金袋だった。よかった。人類の勝利だ。支払いを終えると、商会の男は深々と頭を下げた。

 

「手配は本日中に完了させます。受け取りは――」

 

「食堂の裏です」

 

 ジルが即答した。商会の男は頷き、奥へ引っ込んだ。私は、袋の紐を結び直しながら、肩の上の猫を見た。

 

「……これ、君の仕業じゃないよね?」

 

 猫は何も鳴かない。だが、目を細めた気がした。……分かった。分かったよ。犯人はお前じゃない。もっとデカい方だ。私は小さく息を吐いた。そう、闇のドラゴン……。怖い。怖いけど――不思議と、嫌な気分ではなかった。私は袋をインベントリに戻し、ジルに小声で尋ねた。

 

「これって……監視とか、そういうやつ?」

 

 ジルが少しだけ考え、答えた。

 

「……監視にも使えます」

 

「やっぱり」

 

「ですが」

 

 ジルが続ける。

 

「闇のドラゴンがあなたに渡したのなら――“証”でしょう」

 

「証?」

 

「友情の証、です」

 

 私は口を開けたまま固まった。

 

「……ドラゴンが?」

 

 エリスさんが、後ろでクスクスと笑った。

 

「ふふ。あんた、気に入られたんだねえ」

 

 私は、胃を押さえた。樽の値段で胃が痛いのに、今度は別の意味で胃が痛い。

 

「……いや、怖いんですけど」

 

 肩の上の猫が、静かに尻尾を揺らした。今度は、たぶん――笑っている。その時、商会の奥から、紹介役の男が顔を出した。さっきより、態度が丁寧だ。

 

「……失礼。ひとつだけ、確認を」

 

「何ですか?」

 

 ジルが答える。男は、慎重に言葉を選んだ。

 

「闇のドラゴンと……本当に、交渉を?」

 

 私は頷いた。

 

「しました」

 

 男は、息を吐いた。

 

「……そうですか」

 

 そして、ほんの少しだけ、声を落とした。

 

「……どうか、刺激しないでやってください。街が……持ちません」

 

 私は乾いた笑いを漏らした。

 

「刺激しないために、高い樽を買ってるんですよ」

 

 男は、苦笑した。

 

「……でしょうね」

 

 私たちは商会を出た。空は少しずつ色を変え、夕方に差し掛かっている。時間がない。樽が届くまでに、照り焼きの仕込みも終わらせなければならない。私は歩きながら、袋の感触を思い出した。

 

 ――友情の証。そんな言葉が、闇のドラゴンから連想されるとは思わなかった。だが。もし、あのドラゴンが本当に聞いていたのなら――。私は、小さく呟いた。

 

「……売らずに断って、正解だったよな」

 

 肩の上の猫が、短く鳴いた。

 

「にゃ」

 

 肯定なのか、呆れなのか。分からない。だが今は、それでいい。そして私は、心の中で付け加えた。

 

 ――次に会ったら、ちゃんと礼を言おう。でも、財布を空にされたことについては……多分、ちょっと恨むけどね。

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