第30話 「暖かい」で、良かったのに
氷の粒が消え、空気がようやく静かになった。私は凍えた指を握りしめながら、白い世界の先へ進む。少し歩くと――また、白いアーチが見えた。
「……またかよ」
さすがに勘弁してくれ。寒いのは、もう十分だ。私は警戒しながら近づいた。だが、数歩で違和感に気づく。白いのに、熱い。頬がじりじりと焼ける。息が熱い。鼻の奥に、石の焦げたような匂いが混じった。
……痛い。だが、すぐに痛みが引いていく。さっきのアイスハザードで切れた頬の傷も、もう塞がっていた。スキルMAXの『自然回復魔法(自動スキル)』が働いている。小さな怪我なら、十分もあれば勝手に治る。
――あの時、投げ出さずにカンストさせて良かった。
アーチをくぐろうと近づく。白だと思っていた。……だが、違った。白いのは、表面に張り付いた氷のせいだ。そして、その氷の下から覗いていたのは――赤。これは白い石で作られたアーチではない。赤い石で作られたアーチだった。
「……灼熱ハザード?」
私は足元を見た。黒い岩肌の割れ目から、赤い光が漏れている。地面が熱を持っている。足を着けたままでは火傷しそうだ。私は跳ねるように進みながら、揺らぐ空気の奥を睨んだ。
熱が“吹く”というより、地面から“噴き上がる”。割れ目が赤く脈打ち、一定の間隔で熱波が襲ってくる。
「これも自然じゃない……誰かが操作してる」
その時だった。前方の岩陰から、赤い影が飛び出した。小さな翼がある。鱗が赤い。
「……ドラゴン!?」
次の瞬間、そいつは口を開いた。
――ゴォッ!
火の息。真正面から熱が叩きつけられ、私は反射的に身を捻った。
「うわっ!!」
熱が頬を叩き、髪が焦げる匂いがした。私は即座に手を振る。
「《ウォーター》!」
水をぶちまけ、蒸気で視界が白くなる。――熱い。熱いけど、皮膚が焼けるよりマシだ。私は蒸気の向こうを睨みつけた。
「おい! お前が犯人か!」
赤い影は、ぷいっとそっぽを向くように旋回し――
「ピューッ」
そんな擬音が似合う速度で逃げた。
「待て!」
私は《ウィンド》で身体を軽くし、跳ねる速度を上げる。氷の靴を作ってみたが、一瞬で溶けて意味をなさなかった。だから私は、足を置く時間をさらに短くする。『トン、トン、トン!』まるで熱い鉄板の上を走るみたいだ。いや、実際に熱い鉄板だ、これ。赤いドラゴンは、岩陰に隠れた。
「逃げるな!」
私が追いかけて回り込んだ瞬間――
――ゴォッ!!
今度は横から火が来た。
「くっ!」
私は《アイスシールド》を展開する。
「《アイスシールド》!」
氷の盾は、一瞬で削れて溶けた。蒸気が上がり、盾が消える。
「ちっ! やっぱり灼熱相手に氷は無理か!」
私は舌打ちし、代わりに水を撒く。
「《ウォーター》!」
火が水蒸気に変わり、熱が散る。完全に防げないが、直撃は避けられる。赤いドラゴンは、また逃げた。
「……っ、何なんだよお前!」
逃げる。でも戻ってくる。攻撃してくる。でも、殺しに来ている感じじゃない。狙いが甘い。当たっても、致命傷にはならないように外している。
「……これ、私に追わせたいのか?」
私はふと、背筋が冷えた。嫌な予感じゃない。“気づき”による冷えだ。赤いドラゴンは、わざと逃げている。わざと戻ってきて、私の注意を引いている。まるで――「こっち! こっち!」とでも言うみたいに。私は息を吐き、剣を抜いた。
「……分かったよ」
追いかけてほしいなら、追いかけてやる。私は地面の割れ目を見ながら走った。熱が噴き上がるタイミングを読む。トンッ! 噴き上がりの直前に跳び、空中で《ウィンド》を強める。
「《ウィンド》!」
身体がふわりと浮く。熱の柱を上から越える。着地は短く。足裏が焼ける前に次へ。赤いドラゴンは、ちらりと私を振り返った。
『……!』
目が、少しだけ嬉しそうに見えた。
「……おい。まさか」
私は眉をひそめる。こいつ、遊んでるんじゃない。必死なんだ。赤いドラゴンは、やがて大きな岩場へ飛び込んだ。岩の裂け目から、赤い光が漏れている場所。火口に近い。私はそこで、足を止めた。
「……ここか」
熱で空気が歪む。地面の割れ目が、ゆっくりと脈打っている。赤いドラゴンは岩の上に止まり、こちらを見た。逃げない。代わりに、短く鳴いた。
『……グゥ』
怒りじゃない。威嚇でもない。――頼む。そう言っているみたいだった。私は剣を下ろし、慎重に一歩近づいた。
「……何がある」
赤いドラゴンは、翼で岩の下を示した。私は目を凝らす。そこには――黒い塊があった。溶岩が冷えて固まったような、硬い岩の塊だが、その形は不自然だ。中に何かがいる。
「……まさか」
私はしゃがみ、岩の塊に触れた。熱い。だが、表面はもう“焼ける”ほどではない。そして、かすかに動いた。……中で。
「閉じ込められてるのか」
赤いドラゴンが、ぐっと喉を鳴らした。私は状況を理解した。こいつは火口近くで昼寝していた仲間を助けたい。だが、溶岩が流れて――冷えて固まり、動けなくなった。力で壊せない。熱すぎて近づけない。だから、外から来た私に気づいて――追わせた。私は、口元を引きつらせた。
「……助けてほしいなら、最初からそう言えよ」
言えるわけないか。ドラゴンだし。私は深呼吸して、手をかざした。この塊を割るには、力任せは危険だ。中の仲間を傷つける。なら――冷やして、割れやすくする。火山の岩は、急冷すると割れる。私は掌を向けた。
「《ウォーター》」
岩の塊の表面に、水を薄くまとわせる。次の瞬間――
「《フリーズ》!」
水が一気に凍り、表面が急激に冷える。ピキッ。小さな亀裂が走った。
「……よし」
私はもう一度繰り返す。
「《ウォーター》……《フリーズ》!」
ピキ、ピキ、ピキッ。亀裂が広がる。だが、次の瞬間――岩の割れ目から熱が噴き上がった。
「っ!」
私は反射的に《ウィンド》で身体を浮かせ、熱を避ける。着地して、また冷やす。
「《ウォーター》!」
蒸気が上がる。熱い。目が痛い。でも、手は止めない。――守ってるだけじゃない。助けるんだ。私は最後に、剣を抜いた。力任せに叩き割るんじゃない。亀裂に沿って、正確に。
「……いくぞ」
スッ。刃を滑らせる。パキン、と音がして、岩の塊が割れた。中から、赤黒い小型ドラゴンが転がり出る。
『……ぐぅ……』
生きている。動ける。でも、熱で弱っている。赤いドラゴンが駆け寄り、鼻先を擦りつけた。私は、思わず息を吐いた。
「……助けたぞ」
その瞬間、周囲の熱波が、ふっと弱まった。灼熱ハザードの強さが落ちる。割れ目の赤い脈動も、少し落ち着いた。やっぱり……こいつらが原因だったんだな。
赤いドラゴンが、私を見た。そして――ぷいっと顔を逸らした。さっきまで散々攻撃してきたくせに、急に照れているようだ。
「……お前さぁ」
私は笑ってしまった。赤いドラゴンが、小さく鳴いた。
『……グゥ』
私は剣をインベントリにしまい、短く頷いた。
「もう火、吐くなよ。危ないから」
赤いドラゴンは、こくりと頷いた……ように見えた。私は熱で乾いた喉を鳴らし、前方を見据える。
まだ、進まなきゃいけない。でも少なくとも、ここは通れる。私は息を整えた。
――次のアーチが、すぐそこに見えていた。




