第25話 あっ!と驚く、高級食材
食堂の奥――借りられる調理場に入ると、エリスさんがちょうど仕込みをしていた。手際よく野菜を刻み、鍋を火にかけている。いつもの朝だ。
「おや、シュン。どうしたんだい? 朝食は食べたのかい」
「食べました。その……ちょっと、調理場をお借りしたいんですけど」
「借りたい? 食用の魔物を捌くためにじゃなく? へえ、珍しいねえ。何か作るのかい?」
聞かれて、私は一瞬だけ詰まった。言うべきか。言ったら、絶対に面倒になる。……いや、今さら隠しても意味がないか。
「その……ドラゴンに差し出すための貢ぎ物を」
「は??」
包丁を握ったまま、エリスさんが固まった。調理場の向こう、食堂側からも「え?」という空気が一瞬で広がる。さっきまで朝の雑談をしていた声が、ピタリと止まった。
「シュン、落ち着いて答えておくれ。ドラゴンって、あのドラゴンかい?」
「多分」
「多分!?」
エリスさんのツッコミが痛い。ドラゴンなんて、私だって会ったことがない。閣下がそう言っただけだ。……その閣下は、今も私の肩の上で当然のように座って寛いでいる。
「にゃ」
周りには普通の猫に見えているので、ただの鳴き声にしか聞こえない。偉そうに尻尾を揺らしている中身を知っているのは、私だけだ。
「ククク。良い反応だねえ」
「黙ってください、閣下。今は」
「にゃ」
私は咳払いをして、エリスさんに説明を続ける。
「閣下……ドラゴンに詳しい方が言うには、対話するには条件があるらしくて。貢ぎ物がなければ門前払い。最悪、私が貢ぎ物になるらしいんです」
「おいおい……物騒すぎるだろう!」
エリスさんが思わず声を上げた。食堂側から「やめとけ!」とか「逃げろ!」とか、朝っぱらから不吉な声が飛んでくる。だがすべて、私を案じてのことだ。有り難い。
「だから、私が食べられないために作るんです。貢ぎ物」
「貢ぎ物って……普通は金とか宝石じゃないのかい?」
「財宝も好きだけど、それ以上に“面白いもの”が好きだそうです。珍しいものとか、味の良いものとか。……つまり、料理」
「料理でドラゴンを釣る気かい」
「釣るって言わないでください。交渉です、交渉」
「ククク。釣りで良い」
「閣下、黙って」
「にゃ」
会話が噛み合っていないが、私はそれどころではない。とにかく私はインベントリから材料を取り出した。まずは肉。鹿のような魔物の肉だ。ただし、いつも食堂に卸している硬めの部位じゃない。脂の乗った、数が少ない上物。
まな板の上に置いた瞬間、エリスさんの目が変わった。
「……それ、上物だよ。普段なら、うちでも滅多に出ないやつだ」
「ですよね。だから今日、使います」
「使います、じゃないよ。これ、売ったら――」
「分かってます。でも、ドラゴンはデカいからなあ……希少部位をドーンと一頭分は必要かな?」
「一頭分!? あんた、何を言ってるんだい!」
エリスさんが額を押さえた。いや、私だって言いながらおかしいと思ってる。けど、相手はドラゴンだ。桁が違う。こちらの常識で測るほうが危険な気がする。
次に、蜂蜜の瓶を出す。香りの強い、濃い色の蜂蜜で、これも希少品。それを見たエリスさんが息を飲んだ。
「蜂蜜まで……それも、希少品だよ。少ししか採れないんだ。特に冬前はね」
「分かってます。どれも少ししか採れないから希少なんですけど……まあ、ドラゴン相手ならケチってる場合じゃないですし」
「そこ、妙に潔いねえ……」
呆れているのか感心しているのか分からない声だった。
「で、何を作るんだい?」
「照り焼きです」
ああ、懐かしき『照りたま』は、私の大好物だった……。グッと堪えて、今回は照り焼きに集中しよう。
「てり……?」
「肉を焼いて、甘いタレを絡める料理です。香りが強くて、見た目もツヤが出る」
「……なるほどね。派手なのが好きってのは、ドラゴンらしいかもしれない」
エリスさんが腕を組む。私は鍋を借り、甘い酒を少し入れて火にかけた。塩をひとつまみ。刻んだ香草も入れる。にんにくっぽい匂いの葉だ。最後に蜂蜜をとろり。
「……あんた、意外と手際がいいね」
「手先が少し、器用なだけです」
鍋の中で、甘い香りがふわりと立つ。まだ弱い。ここからだ。
私は肉を厚めに切り、鉄板に並べた。
『ジュウウウ……ッ!』
音がした瞬間、食堂側がざわついた。まだ朝だぞ。やめてくれ。いや、やめてくれるな。匂いで勝つんだろ?
「……なんだ、今の匂い」
「肉を焼いてる? いや、甘い匂いもするぞ」
「腹が減った……」
背中に視線が刺さる。私は無視して肉を返す。焼き色がついてきたところで、鍋のタレを絡め――
「ちょっとぐらい味見、してみたいとか言わないよね?」
肩の上の閣下を見た。閣下は尻尾をゆらりと揺らし、当然のように言う。
「ククク。味見は重要だ」
「ダメです!」
思わず声が出てしまい、慌てて咳払いで誤魔化した。
「シュン、今、何か言ったかい?」
「いえ、何でもないです!」
その瞬間だった。タレを絡めた肉が、鉄板の上で『バチッ!』と弾けた。火が強すぎたのか、蜂蜜が一気に焦げる匂いが立ち上がる。
「あっ、やば……!」
甘くて香ばしい――その一歩手前。ギリギリ焦げ臭い。これはダメだ。ドラゴンに出す前に私が門前払いされる。
「火を弱めな! 焦げは苦いよ!」
エリスさんの声が飛ぶ。私は慌てて火を絞り、肉を鉄板の端へ逃がした。エリスさんが素早く濡れ布巾を持ってきて、鉄板の焦げそうな部分を拭う。
「……あんた、攻めすぎだよ」
「初めてなんです! 油も醤油もないのに!」
「まあ、仕方ないねえ」
「ククク。焦げは“味”だ」
「違います!」
私は息を吐き、もう一度タレを絡め直す。今度は火加減を抑える。焦げる寸前で止める。……頼む、うまくいってくれ。食堂側のざわめきが、さらに増えた。
「今の、危なかったな……」
「いや、でも匂いは……」
「なんだあれ、たまらん……!」
皆の視線が、まるで肉を狙う獣みたいだった。……いや、狙われている獲物は私か。
肉の表面が、少しずつ光り始める。焦げではなく、照り。タレが絡み、香草の匂いが立ち、甘い香りが強くなる。
「……よし。次で仕上げだ」
私は小さく呟いた。その瞬間、食堂側から誰かの声が飛んできた。
「おい! 今の匂い、何だ!? 朝から反則だぞ!」
――やばい。完成する前に、狙われてる。




