第二十話-1
日曜日。朝6時。
立夏も過ぎた頃となれば、日の出の時間も随分と早い。
窓から入る光は柔らかくも眩しく、煌めきを伴って辺りを照らす。
食卓の一隅に差し込む光に、僅かに輝く帯が寄り添っていた。
窓の外の葉の揺れが、光の帯の形を僅かに変えながら、静かに揺蕩っている。
その様が、何故か心を揺さぶり、僅かに目を細めつつ見入ってしまう。
『瑠璃は、この光の中を歩いているんだろうな・・・』
そんな言葉が、ふと頭を過る。
きっと今日も、瑠璃は麓のお地蔵様の元に足を運ぶのだろう。
何を願うか教えてはくれなかったけれど、きっと瑠璃にとっては大事な事。
俺はただ、その背中が苦痛に歪まぬよう願うだけ・・・。
「さて・・・」
俺はいつものエプロンを身に纏い、冷蔵庫を開ける。
中には、昨夜のうちにマリネしておいた鶏肉が、ラップされてボウルに入っている。
手に取れば、ひんやりとした感触が伝わって来て、少しだけ指先に力が入った。
そして、何とはなしに頬が緩む。
瑠璃が『真の作ったお弁当が食べたい』と言ってくれて、当初はどうしようかと思ったけれど、何とかなりそうだ。
母さんの手伝いで夕飯のおかずを作ったり、自分の弁当用のおかずを用意したりと、短い期間でも出来る事をやれば、それだけ出来る事も増えてくれる。
その実感がある。
・・・もっとも、隣で見ていてくれる母さんが居るから、安心して取り掛かる事が出来るんだけど。
ひとりで出来るようになるのは、果たして何時の事か・・・。
それでも。
「それじゃ、作りましょうか」
隣に居る母が、優しく笑いながら言う。
小さく頷き、少しだけ目を細めて笑い、「うん」と答える。
ここからだ。
今日のお弁当は、可能な限り俺ひとりで作るんだ。
瑠璃が、そして琥珀ちゃんが喜んでくれる姿を思い浮かべながら、ボウルの前に立ち、マリネされた鶏肉に唐揚げ用の粉を塗す。薄力粉と強力粉を混ぜ、塩胡椒とオールスパイスで風味を持たせた粉。
それをしっかりと塗してから、肉に馴染むまで少しだけ待つ。
その間に揚げ油を熱しつつ、肉詰め用のひき肉を混ぜ合わせる。こちらは若干の塩、それと匂い消しの為に胡椒を強めに。
ベーコンは細く千切りにして、耐熱皿に広げておく。あぁ、これにも少し胡椒を忘れずに。
軽くレンジで温めて、後は粗熱が取れるまで放置。
鶏肉に塗された粉が水分を吸って、しっかりと肉に馴染んだら、ひと切れずつ揚げ油へ。
『ジュワっ!!』という音と共に、水分が気化するのか湯気が立ち上る。
そして間を置かず、細かい脂が周囲へ、そして俺の手元に跳ねて来る。
「うわっとっ!!」
思わず声を上げるけれど、熱い訳じゃない。
ただ、慣れてないから驚いただけ。
「一度に鶏肉を多く揚げると、油の温度が下がり過ぎるわ。二度揚げすれば良いから、何回かに分けて揚げてね」
隣で見ていた母が、少し楽しそうな表情を浮かべながらアドバイスをくれる。
・・・二度揚げか。
「そう、1回目は3分くらいで油からあげて、少し時間を置いてからもう一度・・・1分くらい揚げれば良いわよ」
「すると、どうなるの?」
ちょっとだけ意外そうな顔をしてから肩を竦め、また元の優しい顔に戻る母。
そして、ひと言。
「ちゃんと中まで火を通す為よ・・・瑠璃ちゃんや琥珀ちゃんに食べて貰うんでしょ?安全は大事よ?」
・・・そっか。下手が作った唐揚げで、中が生だったなんて最悪・・・と言うか危ないもの。
「・・・そうだね。せっかく食べて貰うんだものね。喜んで貰いたいよね」
「そうよっ。きっとふたりとも、楽しみで仕方ないくらいよ」
そう言って笑う母。
つられて俺も笑う。
穏やかな台所に、笑い声と油の跳ねる音が広がる。
唐揚げは網に広げて油を切りつつ粗熱を取り、ベーコンとチーズを挟んだ卵焼きも同様に冷ましている。
肉詰めピーマンはケチャップソースが絡むから、今はそのままフライパンの上。
今俺の手には、ラップに包まれたおにぎりが握られている。
ふた口で食べられるくらいの、そう大きくはないおにぎり。
塩
ゆかり
青菜と梅
そして、瑠璃の大好きな、チーズ枝豆昆布。
いつも思うけど、見た目は変なのに食べた感触が面白い。
『そこが好きなのかな?』
なんて思ってしまう。
でも、そういえば、琥珀ちゃんは『チーズ枝豆昆布』のおにぎりを食べた事無いんじゃないかな?
・・・気に入ってくれるかな?
まぁ、ダメなら瑠璃が食べちゃうか。
そんな事を考えながら握っていれば、あっという間に十分な数が出来てしまう。
あとはレタスとかで仕切りながら盛り付ければ・・・と考えているところに母がひと言。
「盛り付けはやってあげるから、シャワーを浴びていらっしゃい」・・・と。
「?・・・シャワーって、そんな汚れてないと思うけど・・・」
そんな俺に母は、
「油はね、跳ねてなくても肌に着くの。手や袖だけじゃない、顔や髪にもね・・・。瑠璃ちゃんと一緒に出掛けるんだから、身嗜みも気を使ってあげなきゃ」
そう言いながら、俺の背中を軽く叩いて台所から追う。
何故?とも思うが、ずっと落ち込んでたような俺が、少しでも積極的に動くとなれば、背中を押したい・・・という事だろうか。
少しだけ笑って頷き、母に甘える事にしよう。
「うん、ありがとう、母さん。・・・じゃあ、少しだけ」
そう言ってエプロンを脱ぎ、台所を後に・・・する前に、これだけは。
「母さん。・・・その、トマトは入れないでね。・・・瑠璃、トマト食べられないみたいだから・・・」
少しだけ俯き、弱い声で小さく告げる。
先程までの明るさが消えた、弱く囁くような声で・・・。
母の目に、僅かに驚きと、そしてすぐに悲しみと納得の混じったような色が浮かぶ。
俺と同じように、母も俯き、小さく息を吐いて言葉を紡ぐ。
「・・・そう、なのね。わかったわ・・・。さ、シャワーに行ってらっしゃい」
優しい目で、俺の背中を押してくれる母。
その瞳の奥に、俺と瑠璃の過去が蘇るのだろうか・・・。




