第十九話-3
床を蹴って後ろに飛び退こうとした、足に力を込めた、まさにその瞬間っ。
一瞬早く、琢磨の右腕が伸び、僅かに下がっていた左手首を掴んで引っ張る。
飛び退く為の姿勢を崩され、踏鞴を踏むように彼の眼前まで引き寄せられてしまった。
「・・・くっ」
先程までの縮こまったような姿勢ではなく、胸を開き背を伸ばした琢磨。
私よりも、頭半分ほども大きいか・・・。
雲が流れ、再び日を浴びる顔は、先ほどまでの気弱さ・・・優しさは消え、薄く笑いを浮かべている。
・・・これが、琢磨の本性?
「嫌だなぁ。逃げないでよ、碧さん。俺、傷付いちゃうんだけど?」
見下し、薄ら笑いの口元からは、私を馬鹿にするような言葉。
手を振りほどこうとしても、男の力で握られた手首は引き剝がせそうにない。
それどころか腕を引かれ、身体が触れる程のところまで引き寄せられる。
「俺、碧さんに惚れ直したから、ちゃんと告白しようとしてるのに・・・。真面目に聞いて欲しいなぁ」
「・・・何が惚れ直した、よ・・・。馬鹿にしないでっ!」
咄嗟の事とは言え、手が震えてうまく力が入らない。
この場を何とか・・・。この腕が振り切れれば・・・。
それさえも、力任せに引かれれば、身体同士が密着する事さえ出来てしまう。
「・・・何を・・・」
「ん~・・・?俺はただ、告白して返事が貰いたいだけさ。・・・でも」
そう言って、ポケットからスマホを出し、インカメラにふたりの顔が映る。お互いの顔が間近であると見せる様に構える。
そして、さらに顔を近づけながら、
「でも、どうしてもって言うなら、キスしてるところ撮っちゃうかな?その方が返事しやすければ、そうするけど?」
と、見据えたような目で迫ってくる。
「・・・誰がっ」
「そう?ご希望とあらば、もっと色々出来るよ?・・・碧さんだって、誤解はされたくないでしょ?」
身体を離そうとすれば、琢磨が身体を寄せて来る。
手首に伝わる圧、そしてその温もりさえ不快をより強くさせる。
でも、このままでは圧し掛かられる。
そうなれば、後ろに倒れて組み敷かれるだけ。
「どうする?ねぇ、碧さん?」
人を馬鹿にしたような薄ら笑いの癖に、目だけは笑っていない。
そして、浅く湿った息が、眼前の危機をこれ以上なく現実として実感させる。
嫌だっ!
こんな奴の言いなりなんて・・・。
でも、どうやってここから・・・。
「どうしたいのさっ」
目を見開き、ひと言大きく発しから、琢磨は私に圧し掛かろうとする。
もう一押しされれば、後ろに倒れかねない・・・。
「くっ!」
目を閉じ、身体を硬直させて顔を背けた瞬間に、
『バタンっ!!』
後方で大きな音がするっ。
突然の事に、琢磨の手の力が僅かに緩み、肩をぶつけながら腕を振りほどいて飛び退く。
それでもバランスを崩して倒れ込み、私の上に影が迫り寄る。
でもそれは、前からじゃない。
入り口のドアを開けて走り込んできた人影が、私を庇う様に琢磨との間に割り込んでいる。
その手の中にあるスマホは、琢磨に向けられて・・・。
「大丈夫・・・じゃなさそうなんだけど。無茶しちゃダメだって、碧さん」
少しだけ振り向いた、その顔・・・。
「・・・如月くん?・・・どうして??」
彼は『ふふんっ』と小さく鼻を鳴らして、
「瑠璃と真に頼まれたんだよ。なんか『碧さんが危なっかしいから助けて』ってさ」
そう言って笑ってくれる。
そして少し遅れて、小さな足音も耳に届く。
「碧さんっ!!」
悲鳴のような声をあげて、柚葉ちゃんが抱き着いてきた。
「碧さん・・・碧さん・・・」
「柚葉ちゃん・・・?」
グスグスと泣きながら、首元に腕を回して強く抱き締められる。
なんでしょう・・・。
さっきまでは、『もうダメかも・・・』と思い掛けていたのに、ふたりの顔を見たら・・・安心?してしまった。
だからかな・・・。
少しだけ息が吐ける。
まだ動悸はするけれど、少しだけ・・・本当に少しだけ、手の力が抜けたよう。
「如月?・・・お前、何しに来たのさ。・・・俺は、碧さんに告白して返事を貰おうとしてただけだぜ?何か勘違いしてないか?」
この期に及んでも、琢磨はスタンスを変えない。
多分、まだ逃げる方法があると踏んでるのか?
「告白の返事?・・・逃げられないよう手を掴んで、圧し掛かる様にしてか?」
如月くんも、普段のような緩さがない。
しっかりと琢磨を見据え、スマホを構えている。
「・・・早く返事が欲しかったから、ちょっと近づいただけさ。圧し掛かるだなんて、人聞きの悪い。お前からそう見えたってだけだろ?それに・・・」
袖を捲って、腕を見せる。
何カ所か打撲の跡のようなものが見えるが・・・
「告白の邪魔をしてきたお前が、俺に暴行を働いたって証拠だ。お前がスマホで何を撮っていようが、ここでの会話は入ってないだろうし、この怪我があれば、動画だって『編集したもの』として証拠能力を疑われるぜ?」
相変わらず、薄ら笑いを浮かべている。
目が笑っていないあたり、本当に逃げ切れるつもりなのでしょう・・・。
でも・・・。
私はポケットから、スマホを取り出す。
少し震えがあって、うまく握れないけれど、何とか・・・。
そして、琢磨に突き付ける。
「私、あなたに会う前から録音してるから。私の声も、あなたの声も、全部取れてるよ?あなたが言った事、全部・・・ね」
本当は、何かあってもこれだけで証拠に出来ると思ってた。
でも、実際には、これだけじゃ自分の身を守る事も出来なかった・・・。
私、ひとりじゃ・・・。
「・・・っ」
これには琢磨も言葉が無い。
奥歯を噛むのか口元に力が入り、眉間に皺を寄せて私たちを睨みつける。
コンクリートの床を握るのかと言う程に、拳に力が入っているようだ。
それでもまだ諦めない。
「録音だけじゃ、如月が俺に暴行を加えてない証拠にはならないだろ?如月が黙って殴ったって言えば、録音だけじゃ・・・」




