第十九話-2
斜陽の差す屋上。
目の前に広がるのはコンクリートの床。
学校の背に広がる山から吹き下ろす風が、木々を、葉を騒めかせる。
開けた空間に足を踏み込めば、もう後戻りは出来ない。
いや、扉を開け、彼と目があった瞬間から、後ろに下がることは『逃げる』事であり、『同じ事を繰り返させる許可』を与える事と同義でしかない。
『来た』からには、『負けられない』
奥歯を噛み、息を飲み込んで小さく一歩を踏み出す。
目元に籠る力が広がり、それはまるで雷で眉が逆立つかと思う程。
一歩、また一歩と、手摺りの側にいる彼の・・・琢磨の前へと進むにつれ動悸が高まり、指先に力が滲む。
・・・息苦しい。
風が巻き、カーディガンやスカートが揺れる。
足元の埃が巻き上げられ、『見える』のではないかと思う程にはためくが、押さえる事さえ忘れて歩を進める。
そして。
彼が手摺りを離れ、私に向かって足を向けた。
お互いに一歩、また一歩と距離を縮め・・・ついに向かい合う。
彼の・・・琢磨の顔は・・・、
「ありがとう、碧さん。来てくれて、本当に嬉しいよ」
そう短く語り、笑顔を・・・以前と変わらない、柔らかな優しい笑顔を見せてくる。
ゆっくりとした口調も、少し照れたような笑い方も、少しだけ距離を取って近づき過ぎないようにする配慮も、何も変わっていない。
少し困ったように見える眉も、切れ長の目元も、控えめに微笑む口元も・・・あの時と、図書室で一緒に笑っていた時と・・・。
「・・・ちょっと会わない間に、服の趣味も変わったの?・・・でも、今の碧さん、凄く良いよね。うん、似合ってる」
そう言いつつ、頬を緩める。そして、
「俺、碧さんにはギャルっぽい恰好も似合うと思ってたんだ。本当、凄く可愛いよ」
破顔・・・とは、こういう事を言うのかと思える程の笑顔で、僅かに足を寄せて来る。
一瞬、身が強張り、半歩程も足が後ろに下がった。
その様子が見えたのか、少し驚いたような表情を浮かべると、僅かに距離を開ける。
そして少し申し訳なさそうな顔で、
「・・・ごめんね。でも、また話せて嬉しいのは本当なんだよ?・・・あの後、話す機会も無くなって、その時になって初めて判ったんだ。・・・碧さんと一緒に居た時が、話してた時が、一番楽しかったんだって」
少し俯きながら、言葉を続ける。
「・・・あぁ、ごめん。俺がそう感じてただけで、碧さんは・・・違ったかな」
寂しそうな目で、私を見る。
・・・私に答えを求める様に・・・。
「ううん。・・・私も、楽しかった。・・・ずっと嬉しくて、楽しい時間だったわ」
それは事実。
私の中で、変わらない記憶。
でも、過去の事。そして、彼の裏側を知らなかった時の私の気持ち。
それでも、どこか息が抜けるよう・・・。
「そっか。良かったよ、俺だけじゃなかったんだね。・・・嬉しい、本当に嬉しいよ、碧さん」
見ただけで喜びに溢れるような顔で、明るい声をあげる琢磨。
刹那、その顔に影が差す。
視線を逸らし、俯き、沈んだような声で・・・、
「ごめんね。あの時、『彼女が居るから』なんて嘘吐いちゃって・・・。俺、碧さんに釣り合うような自信が無くって、つい・・・」
「・・・え?」
・・・嘘?
彼女が居るからってのは、嘘だったの?
・・・確かに、琢磨が彼女と一緒のところって、見た事は無かったですけど・・・。
「それから、後悔してて。それで、また会いたくて。・・・でも、どうすれば良いか判んなくって、ちょっとだけ縁のあった柚葉ちゃんに、手紙渡して欲しいってお願いしてさ。・・・ごめんね、俺が直接渡せば良かったよね」
申し訳なさそうな顔で、早口に言い立てる。
その言葉は、果たして本当なの?それとも、他の人が言ってる事が本当?
「・・・もし、本当に後悔してるなら、もっと考えて私に手紙を出せたのではないかしら?あれだけの内容なら、そう手間も無いと思うのですけれど」
少し意地悪な物言いになっても、彼の真意が判らない以上は仕方ない・・・そう言い聞かせながら、私は言葉を選ぶ。
それでも、彼は申し訳なさそうな顔を崩さない。
「・・・そうだよね。信じて貰う材料が無いよね・・・。でも、これだけは信じて。俺は、碧さんとの事を忘れた事は無いし、あの時間が好きだった事に嘘偽りは無いんだよ。・・・碧さんとの縁が切れて、俺、どれだけあの時間が楽しかったか・・・思い知らされたんだよ」
消え入りそうな声で、呟くように後悔を語る。
肩を落とし、俯き、力ないその姿・・・。
「・・・そう・・・なの?」
縋るような目をして、頷く琢磨・・・くん。
ただの演技で、これだけ出来るのかしら・・・?
その疑念が、私の中に沸いてくる。
でももし、彼の言ってる事が本当なら・・・。
気が付けば、一歩彼に歩み寄る。
胸元で握った手に力が入り、少しだけ腕が下がった。
「うん、本当さ。・・・俺は、今碧さんしか見てない。碧さんと一緒に居たいんだよ」
その言葉に、もう一歩足が進む。
「また一緒に図書館で語ろうよ。以前みたいに、楽しく・・・」
「・・・そう・・・」
この真面目そうな琢磨くんが、他の人が言う程、都合よく人を使うとは思えない。
何かの間違いなのでは・・・?
日が少しずつ傾き、山の峰の濃い雲が影を落とす。
琢磨くんの姿を照らしていた光が消え、その表情も見えなくなった瞬間、目の奥に暗い影のようなものが見えた。
気が付けば、彼が手を伸ばせば触れられる程の距離。
『違うっ!』
もし本当に彼の言う通りなら、柚葉ちゃんが私に嘘を吐いたことになる。
あんな、言葉にするのも嫌な嘘を吐くはずがないっ。
それに、あの手紙。
柚葉ちゃんに復縁を迫る内容。それを、琢磨くん・・・琢磨は『ちょっとだけ縁があった』と言った。
・・・私が内容を知らないと思ってるから、言えた嘘だ。
学内で彼女との姿が無かったのも、綾香さんが言ってた『他校』の子だからなら、何も不思議はない。
・・・私が知らないと思って・・・っ!




