第三話-1(改)
瑠璃と手を繋いだまま、蜜柑山の山道を歩く。
小学生の頃、ふたりで駆け回った思い出の詰まった道。
法面の石垣も、丁寧に刈り込まれた下草も、あの頃の面影を残している。
ただ、蜜柑の木々だけが節くれだった枝を大きく伸ばし、時の流れを刻んでいた。
かつては息を切らして走った道を、今はただゆっくりと歩く。
髪を揺らす涼やかな風。
背中に当たる朝日。
ひとつひとつが懐かしい。
脇の石垣にはよじ登って遊んだ。
少し先の柿の木では、瑠璃のおばあさんに実を取ってもらって、その場でかじりついた記憶がある。
そうそう、皮が食べられないって泣きついたこともあったっけ。
柿の柔らかな甘さも、鼻に抜ける香りも、今でも覚えている。
それも、もう昔のことだけれど。
ふと、隣で「ふふっ」と瑠璃が笑った。
普段みたいにメイクはしていないのに、やっぱり瑠璃は可愛い。
できることなら、いつもの凛とした顔より、今みたいに柔らかく笑っていてほしいと思ってしまう。
自分を律しすぎて、息が詰まってしまうようなことになれば、瑠璃らしさまで失ってしまいそうで、少し怖い。
「どうしたの? 瑠璃」
「ん……ちょっと昔を思い出してたの。子どもの頃、ふたりでこの山を駆け回ってたなぁって」
懐かしそうに、少し遠くを見る目。
「ただ走ってるだけだったのに、楽しかったなぁ」
「ふふ……そうだね。瑠璃、足が速かったから、追いつくの大変だったんだよ?」
「あははっ。小さい頃から、お転婆だったもんね」
瑠璃が楽しそうに笑う。
「……真は、いつも私を追いかけてくれてたね」
「うん。必死だったよ」
自然と笑みがこぼれる。
「追いつかないと、瑠璃が……俺の手の届かないところに行っちゃいそうでさ。離れたくない、離したくないって、ずっと思ってた」
その言葉に、瑠璃の足がふっと止まった。
真っ直ぐな眼差しが、俺に向けられる。
けれど、それもほんの一瞬だった。
すぐに表情を和らげて、あの愛らしい笑顔に戻る。
「そっか……真は、私を離したくなかったんだ……」
少し俯いて、頬を染める。
繋いでいた左手に、瑠璃の細い指がそっと絡んだ。
指先が、まるで互いを求めるように絡み合う。
「瑠璃?」
彼女の指先に、わずかに力がこもる。
痛くはない。
けれど、今までになかった触れ方に、胸の奥が妙にざわつく。
再び歩き出すと、瑠璃は俯いたまま少し身体を寄せてきた。
肩と肩が触れる。
それだけで、心臓が跳ねる。
ゆっくり歩きながら、瑠璃がぽつりと口を開く。
「真はさ……私を離したくない?」
「……え?」
「……私が傍にいるの、嫌じゃない?」
その問いに、一瞬言葉を失う。
「……嫌なわけないよ。瑠璃がいてくれて、どれだけ助かってるか」
「本当?」
「うん。本当だよ」
「……そっか」
また少し俯く。
頬の赤みが、朝の光のせいだけじゃないことくらい、さすがにわかる。
触れた肩越しに、瑠璃の髪の香りがふわりと鼻をくすぐった。
杏みたいな、やわらかな甘さ。
香水みたいに強く残る匂いじゃない。
髪が揺れた時だけ、そっと広がる淡い香り。
昔の…男だった頃の俺なら、気づかなかったかもしれない。
でも今は、はっきりわかる。
これは瑠璃の香りだ。
この香りに、少しでも長く包まれていたいと思ってしまう。
「ねえ、真」
「ん?」
「私が傍にいて……隣にいて、嫌じゃないなら……その……」
言葉が途切れる。
普段の瑠璃なら、こんなふうに言い淀むことなんてない。
はっきりしていて、思ったことは真っ直ぐ言う子なのに。
だからこそ、今の瑠璃には妙な違和感があった。
何かを言いたいのはわかる。
でも、言葉にならない。
そのもどかしさが、逆に胸をざわつかせる。
けれど同時に、こんな一面を知れたことが少し嬉しくもあった。
いつも凛として格好いい瑠璃にも、こんな可愛らしいところがあるんだと。
……いや、可愛いのはいつもか。
しばらく沈黙のまま歩く。
たぶん、ほんの十数メートルしか進んでいない。
それなのに、時間だけが妙に引き延ばされたように感じる。
俯いた瑠璃の頬は、さっきよりもさらに赤い。
「その、さ……私が隣にいるの、嫌じゃなかったら……」
「嫌なわけないよ」
俺は足を止めて、彼女を見る。
「瑠璃が隣にいてくれたら、俺は嬉しい」
「……ん……」
瑠璃も立ち止まる。
意を決したように、ゆっくり顔を上げた。
真っ赤な顔。
緊張しているのが、見ているだけで伝わってくる。
何度も言葉を飲み込み、それでも伝えようとしている。
胸の鼓動まで聞こえてきそうだった。
そして、瑠璃は唇を震わせながら口を開く。
「真……私、あなたのことが……」




