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第十話-1

『書き手が十分に理解していれば、敢えて書かなくても、読者にはそれが書かれているかのように伝わる』


そのように自らの創作に対する思想を語ったのは、ヘミングウェイだったか。


『完璧とは、付け加えるものが無くなった時ではなく、取り去るものが無くなった時に達成される』


これは、サン=テグジュペリによる一節。


『単純である事は、究極の洗練だ』


あれだけ精密な絵を描いた、レオナルド・ダ・ヴィンチも、そんな言葉を残している・・・らしい。実のところ、これは読んだ訳じゃないから良く知らないんだけど。


俺たちはいろんな物事の完成と言うと、『今出来る最高』とか『持てるものを全て注ぎ込む』とかを考えるけれど、それは正しくないのかもしれない。

物であれば、それがひとつ『完璧』とか『完全』とか『最高』って事の評価に繋がるかもしれないけど、言葉だとどうだろう。


『ありがとう』


この言葉は、『誰が』『何をしてくれて』『どんな気持ちで』『どんな結果が得られたか』なんて、何も言っていない。だけど、これ以上に『感謝』が伝る言葉は無い。


詳しく調べた訳じゃないけれど、きっと昔は『あなたの行いは滅多にない事だ』とか『稀な価値』とかいろんな言い回しや、付け加えられた言葉があったんじゃないかな?

でも、削ぎ落し削ぎ落し、核心である『感謝』という『心』だけが残ったのが、『ありがとう』という言葉なんだと思う。


『心の言葉』


『あなたの行為の価値を、私は判っているよ』という意味が共有されることが、文化的にこの言葉をここまでシンプルにしたんだろう。

『意味』を壊さず、削っても『感情』が消えない。

それだけの『選別』をされたからこそ、短い言葉は人の心に届く。強い『言葉』として。


と、俺は勝手に思っている。


いや、『思っていた』というのが正しいかな?

そんな実例に合った事なんて、今まで無かったもの。


でも、今は違う。


俺の隣で車止めに腰を預けている女の子。

秋山柚葉。

彼女の口から伝えられた『居てくれて良かった』『嬉しかった』って言葉が、俺の心の中で鳴り響く。


でも、それ以上に、今の彼女の沈黙が響いてくる。


『嬉しかった』と言った後、少しだけ驚いた顔をして、俯き、下唇を噛む。

目は潤み、零してはいないものの涙が込み上げているのだろうか。


・・・今、彼女の心の中は、どんな言葉が吹き荒れているのだろう。


もっと伝えたい言葉だろうか。

それとも、言いたくない言葉?

言えないまま言語化出来ていない言葉もあるのだろう。


でも、それら全てを含めての『居てくれて良かった』『嬉しかった』じゃないかな。

だから、俺はただひとことだけ、彼女に答えたい。

いろんな事は言わなくても良い。

きっと伝わる。


それは、俺と彼女の間に、心の繋がりがあるからじゃない。

『今』一緒に居るから。

今、この時だから、きっと伝わる。


だから、安心して欲しい。


俺はクッキーをひとつ摘まむと、口の中に放り込む。

サクサクと、軽い口当たりが心地いい。

甘さが、心を軽くしてくれる。

そして残った最後の一枚を、俺は彼女に差し出す。

彼女の・・・秋山さんの視界に入る程度に手を伸ばす。

少しばかりの笑顔と、


『ありがとう』のひと言を添えて。

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