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第一話-2

俺が瑠璃を庇って大怪我したあの日から、彼女は常に俺の隣にいる。


病院のベッドで目を覚ました時も、薬品の匂いの中に瑠璃の香りがあった。


左手のリハビリの時も、瑠璃が俺を励ます声が常に隣にあった。


学校に行くとき、少しでも荷物が増えれば勝手に持ってくれていた。

断っても、逆に俺が怒られる始末。理不尽だと、何度思った事か・・・。


俺の左手が昔のように動かないとわかった時も、好きだった剣道を諦めなければならなくなった時も、幼い頃から通い続けた道場に別れを告げた時も・・・、瑠璃は俺の隣でずっと泣いていた。


瑠璃は・・・俺の怪我の事を、自分の責任だとして心の重荷にしているのだろう。


表向き、何もないように振舞いながら、きっと心の中ではまだ泣いているんだろう・・・。


気付けば、メイクをしてる俺の手は止まっていた。


「どうしたの?・・・まだ眠いとか言わないでよ、遅刻しちゃうんだから」

「・・・わかってるよ・・・」

「髪は整え終わったわよ?・・・あとは?」

「・・・リップの色、何色にしようかって、ちょっと考えてて」

「ふぅん・・・ねぇ、新しい色、試してみない?似合うと思ってさ、買っちゃったんだ」


そう良いながら、自分のポーチを開くと、新しい・・・まだほとんど使っていないリップを出してくる。瑠璃が普段使ってる色とは違う、少し薄めの赤だ。

確かに瑠璃には似合いそうだ。


「お試しで、使ってみて?」


手渡されたリップは、本当にほとんど使ってなくて・・・でも、少しだけ使った跡がある。

俺はこの色のリップを付けてる瑠璃を見たことが無い。


もしかしたら・・・。


僅かに、心に棘でも刺さったかのような痛みが走る。

俺以外の誰かと、このリップをつけて・・・。


いや、それは俺も心の中では望んでいる事じゃないのか?


瑠璃が俺から離れて、自分の好きに・・・自分の人生を生きる事を、俺は望んでいるんじゃないのか?


それとも・・・。


「う・・・うん、じゃあ借りるね」


手渡されたリップを握ると、少しだけ手に汗が滲んでいるのを感じる。

少しだけリップを伸ばし、ブラシに含ませようとすると、


「あぁ、山形ブラシ使ってね。真は大人しいから、柔らかい感じ出した方が可愛いよ?」


ニッコリと笑いながら、俺を揶揄う。

可愛い・・・か。


「可愛いわよ?」


悪戯っぽく笑いながらの瑠璃の言葉が、俺の心を揺さぶる。

可愛いのはお前の方だろ・・・と言い返したところで、俺と瑠璃の関係が変わる訳でもない・・・。

少し俯きながら、瑠璃の言う通りに、山形のブラシでリップを塗る。

ぷっくりとした唇は、普段と少し印象が変わる。

なるほど、確かに・・・少し可愛い・・・かも?


「うん、可愛い。・・・やっぱり、その色は真の方が似合うわね。・・・それ、あげるから使って?」


目を細め、小首を傾げながら楽しそうな口調で可愛らしく言うけれど・・・。


「え?でも、これ買ったばかりじゃないの?全然使ってないよ?」

「うん・・・でも、私にはその色似合わなくて・・・。だから、気にしないで」

「気にしないでって・・・気にするよっ!俺のメイク道具、大半が瑠璃から貰ったものだよ?・・・気にするよ・・・」

「そうだっけ?・・・まぁ私、メイク道具色々試しちゃうから余っちゃうんだよね~・・・。使わないまま放って置くよりは、使ってくれる人のところに持っていく。それだけよ?」


今、俺の唇を塗ったリップブラシを手に、ティッシュでふき取りながら軽く答えるが、視線を俺に向けて話さない。


普段なら、話すときに俺から視線を外さないのに・・・。


少し息を吐き、少し笑顔を作ってから瑠璃に向き直る。頬にかかった髪を耳に掛けながら、控えめな笑顔で。


「うん・・・ありがとう。使わせてもらうね」

「・・・うん」


瑠璃は、少し照れたような笑顔を返してくれる。

メイク道具をポーチに戻して、バッグにしまう。


「そろそろ行きましょう。急がなくても、バスには間に合う時間だけどね」

「うん・・・毎朝、ありがとうね。瑠璃」

「良いのよ、私が好きでやってるんだから。・・・お礼なんていらないわ」

「・・・ううん、本当にありがとう。瑠璃が居なかったら、俺・・・女になってどうすればいいかわからな

かったもん。助けてくれて、ありがとう」


瑠璃は少し寂しそうに俯き、改めて凛とした笑顔で俺の目をしっかりと見詰める。

その笑顔は、まるで大きな百合の花のよう・・・。

堂々とその美を誇るような、煌めき眩しい笑顔。


この笑顔を独り占め出来たなら・・・。


そんな考えが頭を過る中、瑠璃の細くしなやかな指が、俺の頬に触れる。

少し冷たい、きめの細かい絹のような肌触りが、俺の頬を撫でる。


そして・・・


ぷにっと、俺の頬を摘まむ。


「もうっ!俺、じゃなくって、私って言いなさいってばっ!女の子なんでしょ?・・・はしたないわよ」


口の端をあげて、少し悪戯っぽく微笑みながらも、少しだけお説教。

そのあいだも、瑠璃の柔らかい手が俺の頬を優しく撫でてくれる。

そして手を伸ばして、首筋から手櫛の要領で俺の髪を掬い、掌で弄ぶ。


「次、また俺なんて言ったら・・・」


両の手を伸ばし、その柔らかで冷たい指で俺の髪を優しく撫でながら、


「も~っと可愛い髪型にして、遊んじゃうから?」


少しだけ目を細めながら、そう告げる。


ふたりで自室を後にして、台所に降りていく。

シンクに向かい、朝食の後片付けをしている母。

食卓の上には、俺のお弁当が包まれて置いてある。

男の頃使っていた大きな弁当箱は、今はもう物置にしまい込まれている。


弁当箱だけじゃない。

男の頃の服も、靴も・・・、俺が男だった記憶はもう物置の中だ。


小食になり小さくなったお弁当箱。

それでも、あまり可愛くなり過ぎないようにと気を使ってくれているのか、風呂敷風のランチクロスで包んである。


母は母なりに、俺の気持ちを考えてくれているのだろう。


その気遣いが、嬉しくも・・・そして少し悲しくもある。


瑠璃は、そのお弁当箱をひょいっと摘まむと、自身のバッグを開けて中に入れてしまう。

これも、もう毎日の事。・・・俺が何を言っても聞いてくれないとなると、諦めるて頼るしかない。


「おば様。真のお弁当、お預かりしますね」


ニコニコとした笑顔で、母の後姿に声を掛ける。

その声に、振り向く母。こちらも笑顔で・・・いや、少し影があるように感じるのは、俺の気のせいなのか・・・。

少しだけ洗い物の手を止めて、瑠璃を見る母。

何か言い掛けてから一瞬だけ目が瑠璃から離れる。


母は母で、瑠璃の行動に思うところがあるのだろうか。あるのだろうな・・・。


毎朝、甲斐甲斐しく世話を焼きに来る幼馴染。

ご近所で、親同士だって昔から友達で。

子供の頃からずっと一緒で、兄妹みたいに育って。

そして、その相手の腕の自由を失わせてしまった・・・。

でも、だからと言って、常に世話を焼かないといけない理由になんてならない。


瑠璃には、瑠璃の人生を生きて欲しい。


母も、それは思っているのだろう・・・。

少し眉が下がり、困り顔の母を見るのも毎日の事。


「ごめんね、瑠璃ちゃん。今日も、うちの息子・・・娘の事、お願いね?」


申し訳なさそうに、母は瑠璃に俺の世話を頼む。

それはきっと、俺の為でもあり、そして瑠璃の為でもあるのだろう。

そんな母の気持ちを知ってか知らずか、瑠璃はいつもいい笑顔で、


「はい、お任せくださいっ!では、行って参りますね、おば様」


そう挨拶をしてから軽くお辞儀をして玄関に向かう。


俺も「行ってきます」と短く伝えて瑠璃の後を追うと、ふたり並んで、バス停へ向かう。

学校に行くときは、いつもふたり一緒だ。小学校の時から変わらない、当たり前の日常。

それは、俺が女の身体になっても変わらない。

隣を歩く瑠璃は、何時だって凛として眩しい。風に靡く髪は光を纏い、毛先に至るまで輝きを放っている。

俺の方を向きつつ、唇の端をあげて微笑むその顔は、昔のお転婆だった頃の面影はない。

俺に関わってなければ、きっと今頃は恋人も出来て、その人と輝かしい青春を謳歌していただろうに・・・。

バス停で通学のバスを待つ間も、バスの中でも、バスを降り学校までの道を歩くあいだでも、瑠璃は笑顔を絶やさない。まるで恋人と連れ添って歩くような、そんな優しい笑顔でいてくれる。

もし、瑠璃の隣にいるのが俺ではなく、本当の恋人なら、彼女の笑顔はもっと輝くのだろうか?


そして、それに釣り合うような男なんて、どんな男なんだろう・・・?もし俺が男のままだったら、瑠璃はこんな笑顔を俺に向けてくれただろうか?


・・・ダメだなぁ。


俺はもう女なのに・・・。

それでも、瑠璃は俺の隣に居てくれる。

誰に対しても笑顔を絶やさないけれど、一番の笑顔は俺に向けてくれる。

それがとても嬉しくて、悲しくて、そして恐ろしい。

瑠璃には瑠璃の人生を歩んでほしいと願っているくせに・・・。

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