第六話-3
誰に対しても、笑顔を崩す事が無いと思っていた瑠璃が、これほど不機嫌を露わにするなんて。
あ、いや。
祐也に対しては、大体いつも不機嫌か。
瑠璃も祐也も俺の幼馴染だけど、瑠璃はいつも祐也に食って掛かる。
小さい頃は仲が良かったのに、最近は喧嘩ばかり・・・いや、瑠璃が一方的に祐也にいろいろ言ってる感じか。その度に、俺のところに祐也が逃げて来る。それでまた瑠璃が不機嫌になる。
あれはあれで、仲が良い証拠だろうか・・・とも思う。
ふと、心が軽くなる気がして、少し息を吐く。
視線を上げると、少し心配そうな柚葉ちゃんの顔が目に入る。
眉を下げ、オロオロとした表情で俺を見ている。その顔がなんとも可愛らしく見え、少し頬が緩む。
隣で眉を吊り上げている瑠璃は、頼もしいのだけれど、やっぱり少し心配し過ぎな気もする。
でも、それは俺の事を思っての事だ。
判っているんだ。
俺がもっとはっきり物を言えるようになれば、瑠璃の心配も減るんだって。
でも、どうしてもこの身体・・・女の子の身体には慣れない。
気持ちと身体が乖離して、自分が自分でないように感じてしまう。
それが・・・自分自身を、俺が好きになれていないんだ。
でも。
それは柚葉ちゃんには、関係が無い事。
彼女は彼女なりに、俺の事を考えてくれている。
だから・・・。
「ありがとうね、柚葉ちゃん。・・・でも、その人たちには、断っておいて貰って良い?お・・私、今は誰かと付き合ったりとかって、考えてないからさ」
どこかぎこちない笑顔。でも、柚葉ちゃんは少しほっとしたようで、困り顔のままで笑ってくれた。お互いに顔を見合わせて、ふふっと笑う。
自分が自分でないように感じるのは、俺個人の問題。
柚葉ちゃんには関係ない事だし、あまり気にして貰っても居心地が悪くなる気がする。
俺が誰かと付き合うなんて話を避けていれば、みんなだって気を遣わずに済むかもしれない。
だから、頭の中で別の事でも考えて、気持ちを切り替えて笑っていれば良い。
それで良いんだ。
そうやって自分を納得させたところで、瑠璃に目を遣ると・・・。
驚いたような、失望に染まった複雑な表情を浮かべた。
胸が締め付けられるような視線が俺を刺し、彼女の唇が小さく震えた。
「瑠璃?どうしたの・・・?」
「・・・えっ?」
「あ、いや・・・困ったように見えたから、どうしたのかなって」
ため息混じりに「・・・別に」と呟き、少し顔を赤らめて俯いてしまう。
カバンを握る手に力が籠っているのか、彼女の肩が小さく震え、抑え込んだ感情が漏れそうだった。
小さい頃から一緒に過ごして居るけれど、こんな瑠璃は初めて見る。
困ったような、怒っているような・・・何かを恐れているような・・・。
彼女の中で、何か感情を抑えなければならないような事があったのだろうか。
・・・あるのだろうな。
俺が男からの見られ方が気になり、嫌な思いをするような事が、瑠璃にもあるのだろう。
きっと俺と同じように、ただその感情がどこかへ行ってくれるのを待つしかないような、そんな事が。
いつも凛として、弱みなんて見せない瑠璃だけど、きっと心の中では苦しい事もいっぱいあるんだろう。
・・・俺が力になれる事があれば良いのに。
そうなりたかったのに。
今の俺では、瑠璃の役に立てない。
瑠璃の隣に立つには、役不足なんだ。
瑠璃の心を支えてあげる事は出来ないんだろう。
また少し俯き気味になってしまい、心に枷が掛かったように重い。
坂の上の太陽にも大きな雲が掛ったのか、薄い影が俺たちを包む。
影が表情を隠し、隠れた表情が感情を見えなくする。
吹き下ろす風までもが、俺の、そして瑠璃の不安を煽った。
さっきまでのやり取りが嘘のように沈黙が流れ、周りの喧騒だけが耳に届く。
喧しいほどに感じる話し声。
自転車のチェーンの回る音。
友達同士で笑いあう、楽し気な空気。
時間にすればほんの数秒。でも、その時間が途轍もなく長く感じるくらい、俺たちの間に流れる空気は重いものだった。
「あ・・・あのさっ。その・・・ごめん、また余計な事、言っちゃったね」
この場の空気に耐えられなかったのか、柚葉ちゃんが口を開く。
確かに、事の最初は彼女の発言だったかもしれない。
けれど、本質的には彼女のせいじゃない。
俺と瑠璃の内面の問題だ。
ただ、それが今顕在化しているだけで、柚葉ちゃんに責任がある訳じゃない。
『違うよ、柚葉ちゃんのせいじゃないよ』
今必要なのは、ただそのひと言のみなのに、どうしてもそのひと言が喉から出て来ない。
言いたくて言いたくて仕方ないのに、どうしても・・・。
せめて顔をあげて柚葉ちゃんと向き合わなければ、彼女も俺たちと一緒に居るのが怖くなるかもしれない。
だから、少しだけ勇気を・・・。
柚葉ちゃんと友達で居たいから。
刹那、左目に光が飛び込んでくる。
雲が風に流され、太陽が再び帳を破り顔を出した。
俺たちを覆っていた影は流れ、吹き下ろす風が頬を、髪を、木々の枝葉を撫でる。
騒めくような喧騒は耳から離れ、ただこの場には俺たちだけかと錯覚するような静けさが響く。
光に照らされても、不安の影を引き摺ったままの柚葉ちゃん。
その影は、太陽に照らされてもこの場に残る。
ああ、何か。
何でもいい、何か切っ掛けがあれば・・・。
縋るような思考の中に、聞き覚えのあるエンジン音が届く。
この音は・・・。




