第二十六話-1
翌朝。
普段と変わらない朝。
いつもと同じ時間に起きて、ご飯を食べて、真の家に行って。
メイクと髪のセットを手伝って、一緒にバスに乗って学校へ行く。
坂道の途中でクラスの子と会えば挨拶を交わし。
仲の良い・・・柚葉や碧さんと会えば、笑いながら教室へ向かう。
そんな日が、今日も続くと思ってたのに・・・。
それなのに・・・。
坂道の後ろから、駆けて来る足音。
いつもなら、私の横を通り過ぎていくだけの音が、
「おはようっ!瑠璃っ」
・・・大きな犬の様に抱き着いてきた。
柑橘系の香りが、髪の流れに沿うように広がり、鼻腔を擽る。
走った勢いの乗った髪は、私の頬を撫でた。
「・・・綾香さん!?」
そう、昨日琥珀をあやしてくれた、綾香さんだ。
・・・先週までは、対応が塩だったのに、なんでこんなに切り替わってるの?
「・・・そりゃ、琥珀ちゃんが可愛かったからよ?」
人の心、読まないでもらえますか?
「真ちゃんも、おはようっ!」
「うん、おはよう。綾香さんは朝から元気だね?」
いつもなら、私たちには見せないような笑顔。
どこか『私とあなたは違うのよ』って思わせてた顔は、今日はどこにも見えない。
「もちろんっ!琥珀ちゃん、可愛かったからさ~っ。・・・もう昨日からテンション上がりまくりっ!」
そう言って、大きな笑顔を見せてくれる。
・・・のは良いんだけど、その間も私の髪に頬ずりをしてるのは、何?
「え~?お姉ちゃんとしては、瑠璃にも甘えて欲しいんだけど?」
「・・・誰がお姉ちゃんなの?」
その言葉に、きょとんとした顔をする綾香さん。
そして、まじまじと私の顔を見ると、何やら不思議そう。
眉を顰めて、小首を傾げる。
・・・なんなの?
「誰がって・・・私が、『瑠璃のお姉ちゃん』だけど?」
「・・・」
「・・・」
ふたりで顔を見合わせて、お互いに首を傾げる。
「・・・なんで?」
「え?だって、昨日・・・琥珀ちゃんにさ」
『綾香おねえちゃん』
「・・・って紹介してたじゃん?」
「・・・うん」
「琥珀ちゃんも、『綾香お姉ちゃん』って呼んでくれてたじゃん?」
「・・・うん」
え?
「ね?私は、瑠璃のお姉ちゃんなんだよ」
いや、意味が分からない。
なんで?
なんでそうなるの?
『綾香お姉ちゃん』なんて呼び方、外向けの呼び方じゃないっ!
妹の前で、同い年の女の子を『お姉ちゃんだよ~』って言ってるだけに決まってるじゃないっ!
・・・なんなのよ、もう。
そして、真。
顔背けて笑わないで。
「・・・だってさ」
そこまで言って我慢できなくなったのか、ひと目を気にするでもなく笑い声をあげる。
・・・真が、こんな風に笑うのって・・・久し振り、かも。
ちょっとだけ笑顔のまま、小さくため息を吐く。
もう、しょうがないわね・・・。
「あはははっ!真ちゃん、そんな風に笑うんだ~っ!かっわい~っ」
あ、やっぱりダメ。
そのひと言に、少しだけ鋭い目を飛ばす。
けれど、綾香さんは気にした風もなく、そのまま笑っている。
だから、私もつい笑ってしまう。
「もう、変な事言わないでよ・・・。おかしな人」
「あはははっ!瑠璃に言われたくないわ~っ」
・・・ん?
流石に、そのひと言には異を唱えたい。
唱えたいんだけど・・・。
今までの、私の言動がそれを許さない。
・・・そうだよね。
どう客観的に見ても、私が普通だなんて言える訳ないか。
真への執着
独占欲
周囲との関係
そして・・・
真が女の子になったって変わらない恋心
それらすべてを含めても、綾香さんは私を否定しないんだ。
ただ笑って、受け入れてくれるんだな・・・。
それは、私にとっては驚き。
そして・・・小さな安心。
だから
「まったく、綾香お姉ちゃんにはかなわないわねっ」
なんて、言ってみる。
わざとらしく顔を背けながら、薄笑いを浮かべて。
流石に、笑って流される・・・。
「え?」
「・・・?」
あれ?
「瑠璃・・・今、お姉ちゃんって・・・」
一瞬、表情が消えたかと思うと、肩が震え瞳が揺れる。
口元が戦慄き、一歩後ろに下がった。
・・・自分で『お姉ちゃん』って呼んでって言ったくせに・・・
呼んだら呼んだで、何よ・・・その反応は。
本当、失礼しちゃうわね。
「やっぱり私、瑠璃のお姉ちゃんなのよね?・・・良かった、忘れられたかと思った・・・」
などと言って、いつの間にか持ってたハンカチを目元にあてる。
・・・あんた、そんなキャラだったの?
「もう遠慮はいらないわっ!思う存分、『お姉ちゃん』って呼んでっ!」
なんとも芝居掛かった仕草と表情で、私に『お姉ちゃん』呼びを迫ってくる。
流石にそこまで付き合ってられないと思えば、
「昨日、琥珀がお世話になったんだし、一回くらい望みを叶えてあげようかと思っただけよ?・・・一回だけなんだからね!?」
と返すものの、
「一回・・・一回か。・・・まぁ仕方ないわね」
そう言って、少し寂しそうな顔を見せる。
可愛そうな気もするけれど、仕方ない。
こんな小芝居に、いつまでも構ってはいられない。
綾香さんは小さくため息を吐き、寂しそうな目で、
「でも、一時間に一回なら、何とか耐えられるわ・・・。寂しくなったら、いつでも『お姉ちゃん』って呼んでいいんだからね?」
などと、訳の分からない事を言い出す。
はぁ。
ダメだ、話が通じない。
これなら、近所の電気屋さんの犬、『はな』の方がよっぽど・・・。
僅かに空に目を遣って、記憶を辿る。
・・・『はな』を最初に見た時、まだ子犬だった。
親犬から離され、見知らぬ場所で見知らぬ人に囲まれ、弱々しく震えていたのを覚えている。
それからしばらくして、人に慣れだした時、力加減が判らないのか思いっきりぶつかっていってた。
身体も大きくなっていたけど、加減がわかるほど大人じゃなかったんだろうな。
でも、元気な姿は成長の証だし、いろんな事も覚えてる最中だった。
そして、大きくなって分別も出来て来ても、好きなものや興味のあるものには、全力で体当たりしてたっけ・・・。
『ダメだよっ』って言っても顔中ベロンベロンに舐められたし、子犬の時の様に膝に乗られて、『重いよっ!どいて~っ』って言いても、喜んで私の顔を舐めてたわね・・・。
あぁ・・・『はな』にも話、通じてなかったな・・・。
思わず、遠い目になる。
ため息をひとつ。
綾香さんの瞳に、『はな』と同じ色を見て、ため息をもうひとつ。




