EP 4
ルナミス競馬場と、貧乏ゆすりの貴公子
村の中心部に鎮座する巨大な施設、『ルナミス競馬場・ポポロ中継所』。
その扉をくぐると、むせ返るような熱気と、男たちの欲望が入り交じった特有の匂いが鼻を突いた。
「いけェェェッ! そこで差せ! そのまま逃げ切れェェッ!」
「アホか! なんでインコース突かんのや! ワシの家賃が飛んでまうやろが!」
巨大な魔導モニターの前では、麦わら帽子を被った農民や、獣人族の荒くれ者たちが、赤鉛筆を耳に挟んで怒号を飛ばしていた。
画面の中で土煙を上げて爆走しているのは、馬ではない。強靭な脚力を持つ恐竜型の魔獣――『ジオ・リザード(地竜)』と、それに騎乗する竜騎士たちである。
アナステシア世界を熱狂させる公営ギャンブル、魔獣レースだ。
「わあぁぁっ! すごい熱気ですぅ! みんな目が血走ってます!」
「お金! お金の匂いがプンプンしますよ小次郎さん! さあ、私たちの銀貨二枚を金貨に変える錬金術の始まりですぅ!」
リリスがオロオロする横で、リーザが完全に鉄火場の空気に呑まれ、瞳孔をガンギマリさせていた。
「やれやれ。バクチの熱は、どの世界でも変わらんものだな」
拙者が呆れながら辺りを見回していると、観客席の隅から、聞き覚えのある情けない絶叫が聞こえてきた。
「あああああっ!! 俺の、俺の今月の自警団の給料がァァァッ!! なんで大本命が飛ぶんだよォォォッ!!」
頭を抱えて長椅子に突っ伏している巨漢。
見間違えようもない、自警団の竜人ヤンキーことイグニスであった。彼の足元には、ハズレ馬券(賭け札)が紙吹雪のように散らばっている。
「おお、イグニスではないか。見事な負けっぷりだな」
「あ、兄貴ィ!?」
イグニスが涙目でこちらを振り向いた。
「ち、違うんスよ兄貴ィ! 第3レースの大本命『レッドメテオ』号は、血統も調子も完璧だったんスよ! なのにスタートで躓きやがって……これでスッカラカンっス!」
「バクチに絶対はない。己の眼力のなさを恨むのだな」
拙者が手厳しく切り捨てると、イグニスの隣に座っていた男が、ボソリと口を開いた。
「……いや。今のレースは、竜の若造の言う通り不可解だ。あのジオ・リザードの筋骨の仕上がり、パドックでの気配……どう考えても一着は堅かった」
低く、どこか知性を感じさせる声。
拙者はその男に視線を向けた。
男は、目深に被ったハンチング帽と、襟を立てたヨレヨレのコートで顔を隠していた。
右手には『ルナミス新聞』の競馬予想欄を握りしめ、左手には安物の珈琲の紙コップ。口にはタバコを咥え、小刻みに貧乏ゆすりを繰り返している。
どこからどう見ても、鉄火場に巣食う『哀愁漂うギャンブル親父』の姿である。
だが。
(……ほう?)
拙者の『眼』は、その男が纏うオーラを見逃さなかった。
みすぼらしい変装の下から微かに漏れ出ているのは、高貴で、冷徹で、そして圧倒的な質量の『闇の魔力』。
もしこの男が本気になれば、この中継施設ごと次元の彼方へ吹き飛ばせるほどの、桁違いのバケモノの気配だ。
(……この村は、どうしてこうも化け物ばかり引き寄せるのだ)
だが、その化け物も、今はただの「競馬で負けたおじさん」に成り下がっていた。
「クソッ……第3レースの大本命が飛ぶとは。私の完璧なデータ分析が外れるなど……っ」
男――アバロン魔皇国のトップ幹部にして穏健派の貴公子ルーベンスは、ギリッと歯ぎしりをして、新聞の予想欄に赤鉛筆でバツ印を書き込んだ。
彼は休日の度に、身分を偽ってこうしてルナミス帝国の競馬場へと入り浸っているのだ。
「おい、そこの竜の若造。泣き言を言うな。ギャンブルは期待値の回収だ。次の第4レースは荒れる。ルナミス新聞の本命には騙されるな」
「ほ、本当っスか!? オッサン、すげェ詳しいな!」
「ふん。伊達に毎週末、魔力(予算)を溶かしているわけではない」
ルーベンスが自嘲気味に笑い、タバコの灰を落とした。
底知れぬ魔王軍の幹部と、ポポロ村の自警団のヤンキーが、競馬新聞を広げて真剣に話し合っている。なんともシュールな光景である。
「……類は友を呼ぶ、というやつか」
拙者が苦笑していると、リーザがルーベンスの新聞に身を乗り出してきた。
「ねえねえオジサン! 次のレース、どれが来るんですか!? 私の銀貨二枚、どの子に賭ければ増えますか!?」
「ん? なんだこの小娘は。……銀貨二枚だと? フッ、子供の小遣いだな。勝負というものは、せめて金貨十枚単位からが本番というものだ」
ルーベンスが鼻で笑い、スッカラカンになった財布を懐に隠しながら虚勢を張る。イグニスも「そうっスよ! ギャンブルはデカく張らねェと!」と便乗した。
「うぐぐ……馬鹿にされました! でも、私たち貧乏だから金貨なんて見たこともないですし……」
リーザが悔しそうに唇を噛む。
男たちの見栄と、少女の悔し涙。
このまま終わるかと思われた鉄火場のやり取り。
だが、ここで『あの女』が動いてしまった。
「……あ、あの」
今までおずおずと背後に隠れていた、桃色芋じゃあじの見習い女神、リリスである。
「えっと、金貨があれば、このオジサンたちを見返して、お肉がいっぱい食べられるんですよね……?」
リリスの目が、スゥッと据わった。
彼女は分厚いハードケースに入った『えんじぇるすまーとふぉん』を取り出し、神の権限を起動させた。
「……じゃあ、ちょっとだけ。現金を用意しますね♡」
「……は?」
拙者と、ルーベンスと、イグニスと、リーザ。
全員の視線がリリスに集まる中、ポンコツ女神は、絶対に押してはいけない『禁断のボタン(ルチアナの口座直結・引き出し機能)』を、ポチリと押してしまったのである。




