EP 2
ネギオの論破ゲームと、武士の禅問答
麦わら帽子を被り、口に極上の葉巻を咥えた樹人の男、ネギオ。
ポポロ村の畑の主にして、村の子供たちに哲学やトラップの作り方を叩き込むという、エルフの森から逃げ出した突然変異のバグ野郎である。
「ええか、侍の兄ちゃん。ワシの『論破ゲーム』は、そこらのインテリ気取りの役人どもを何十人も泣かせてきた代物や。ルールは簡単。ワシの出す『究極の問い』に対して、論理的かつワシを納得させる答えを出すことや」
ネギオが不敵に笑い、手にした見事なネギ――鋼鉄すら両断するという『ネギカリバー』を肩に担いだ。
「負けたら、今収穫した人参マンドラは全部置いていってもらう。勝ったら、この野菜に加えて、ワシの最高傑作である『特選ポポロシガー』を一本くれてやるわ」
「シガー! 銀貨十枚の価値がある超高級品ですぅ! 売ればお肉が一生分食べられますぅ!」
リーザが背後で目を「¥」の形にしてヨダレを垂らしている。
「よかろう。受けて立とう」
拙者は煙管の灰を落とし、静かに腕を組んだ。
「ほな、第一問や。……名付けて『暴走魔導列車のジレンマ』!」
ネギオがニヤリと笑い、畑の土に木の枝で線を引き始めた。
「ブレーキの壊れた魔導列車が暴走して走っとる。その先の線路には、五人の農民が縛り付けられとる。だが、お前さんの目の前には『線路の分岐レバー』がある。レバーを引けば列車は別の線路に逸れるが、そっちの線路には一人の子供が縛り付けられとる」
いわゆる、南蛮の哲学者が好む『トロッコ問題』というやつだ。
「さあ、どっちを選ぶ? 多数を救うために一人を犠牲にする『功利主義』か? それとも、自らの手を汚すことを拒み、五人を見殺しにする『義務論』か? どちらを選んでも、道徳的欠陥が生じる究極の二択やで!」
ネギオが勝ち誇ったように笑う。
なるほど、確かに平時の学者がこたつ記事で議論するには面白い題材であろう。
「……ふむ」
拙者はゆっくりと煙管を咥え、一息に紫煙を吐き出した。
「拙者ならば、レバーなどには触れん。線路の真ん中に立ち、正面からその魔導列車とやらを『空間ごと真っ二つに斬り裂く』」
「…………は?」
ネギオのポーズが、カチーンと固まった。
「いやいやいや! 斬るってアホか! それはルールの根底を覆す暴挙やろ! 思考実験っちゅうのは『絶対に列車は止められない』という前提で――」
「甘いな、樹人よ」
拙者は鋭い眼光で、ネギオを射抜いた。
「『斬れないかもしれない』『止められないかもしれない』。そのような逃げ道を前提に思考するから、迷いが生じるのだ。宮本武蔵は『五輪書』にてこう説いている。【万事、太刀の道なり】と。いかなる巨大な鉄の塊であろうと、我が剣が届く間合いに入れば、それは斬れるもの。ゆえに、誰かを犠牲にするという前提そのものが、武士にとっては【幻】に過ぎん」
「なっ……」
「他人が作ったレバー(運命)に自らの決断を委ねるなど、武士の恥。どうしても斬れぬというのなら、拙者の鍛錬が足りなかったまでのこと。列車と共に、拙者も潔く線路の露と消えよう」
完全なる自己責任。そして、圧倒的な武力を前提とした絶対の自信。
西洋の小賢しい倫理学を、東洋の『死生観』が物理的に粉砕した瞬間であった。
「……くっ、論理を腕力でねじ伏せおった……! 屁理屈やが、お前さんの目には一ミリの迷いもない。……ええやろ、なら第二問や!」
ネギオが冷や汗を流しながら、必死に次の問いを紡ぐ。
「……命の価値についてや。人も野菜も、いずれは死に、腐り、土に還る。すべてが虚無に帰結するなら、なぜ人はもがき、苦しみ、生きようとするんや? この『虚無主義』の問いに、侍の兄ちゃんはどう答える!?」
「……『葉隠』」
拙者は、ただ一言、静かに呟いた。
「え?」
「『武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり』。……命が土に還るなど、武士にとっては生まれた時から決まっている大前提よ。死を恐れ、死から目を背けるから、生きる意味を見失うのだ」
拙者は『備前長光』の柄をポンと叩いた。
「常に死を隣に置き、今この瞬間に命が終わると覚悟を決める。そうすれば、朝の飯の美味さ、吹く風の心地よさ、そして……お主が丹精込めて育てた、この畑の野菜たちの『今、ここにある命の輝き』が、痛いほどに美しく見えてくるはずだ」
拙者はネギオの目を真っ直ぐに見据えた。
「虚無を語るお主が、なぜこれほどまでに瑞々しい野菜を育てている? それは、お主自身が『いずれ腐るからこそ、今、最高に美味く食われること』に価値を見出しているからではないのか?」
「…………あっ」
ネギオの口から、咥えていたポポロシガーがポロリと落ちた。
西洋哲学で相手を迷宮に誘い込もうとした彼自身が、小次郎の『武士の禅問答』によって、逆に己の芯にある「農家としての誇り」を真っ向から肯定されてしまったのだ。
「……すごい」
背後で、リリスが目を丸くして呟いた。
カンペもなしに、言葉だけで相手の心を丸裸にしてしまった拙者の姿に、ポンコツ女神も何かを感じ取ったらしい。
「……ガハハハハハッ!!」
不意に、ネギオが天を仰いで大爆笑した。
「参った! 完全なワシの負けや! 屁理屈で相手をいじめてきたワシが、まさか『武士道』とかいうまっすぐな哲学で真正面から両断されるとはな!」
ネギオは麦わら帽子を取り、拙者に向かって深く頭を下げた。
「アンタの剣は、腕っぷしだけやない。心根も本物の『侍』やな。……ほれ、約束の品や」
ネギオは懐から、美しい木箱を取り出し、その中から太く見事な『特選ポポロシガー』を一本、拙者に差し出した。
「ありがたくいただこう」
拙者はそれを受け取り、ネギオから火を借りて、深く煙を吸い込んだ。
芳醇な香りが肺を満たし、異世界に来てからの些細な疲れが、嘘のようにフッと消え去っていくのを感じる。
「……美味いな」
「やろ? ワシの自信作や」
畑のど真ん中。
江戸の剣豪と、毒舌の樹人が、並んで紫煙を空へと吐き出す。
言葉はもう不要だった。そこには、互いの哲学をぶつけ合い、認め合った男たちだけの、静かでハードボイルドな時間が流れていた。
(……さて。野菜も手に入れたし、美味い煙草も味わった。次はどうするか)
拙者が煙管と葉巻を交互に味わいながらそう考えていると、遠くの方から「うおおおおっ! 差せェェェッ!!」という、男たちの野太い歓声が聞こえてきた。
「なんや、今日はルナミス競馬場のG1レース(魔獣レース)の日か」
ネギオが煙を吐きながら呟く。
どうやら、このポポロ村の休日は、まだまだ拙者を退屈させてはくれないらしい。




