九、百薬の谷(2)
チャイレンが眼を凝らすと、黄緑色のものには円な瞳が付いていた。どうやら小動物の頭のようであった。
「呑まないと死ぬよ」
黄緑色のものは細い声で話しかけてきた。ひとこと言い終わると、硬そうな爪のある手でバイリ老人の襟元を掻き分けた。身体より少し明るい色をした甲羅も出てきた。小さな亀である。チャイレンが見たことのない種類だったが、確かに亀の形をした生き物である。
亀が人語を話したことで、チャイレンは益々警戒を強めた。バイリ老人はやや揶揄うような色を見せながら話しかけてきた。
「シュエ国の虫はタチが悪いぞ。解毒と解呪を同時に終わらせないと、良くても後遺症が残るし、悪ければ魂が砕け散って転生出来なくなってしまう」
言いながら、老人は薬を再度勧める。チャイレンの視線は、薬を湛えた匙から老人の顔へと移り、無言のまま黄緑色の亀と眼を合わせ、再び煎じ薬を見た。さらりとした茶色の液は、まだ湯気を立てていた。
黄緑色の亀は、懐から這い出して老人の肩に乗った。1人と1匹に無言の圧をかけられて、七歳のチャイレンは渋々薬を飲み込んだ。
飲み終わるのを見届けてから、バイリ老人が説明を始めた。
「嬢やが吸い込んだのは、シュエ国の傀儡蟲のカケラだ。生きた子虫が犠牲者に入り込むと、母虫の宿主の思うがままに操られてしまう」
チャイレンは目を剥いた。
「今回はカケラだったから、効力も弱くて済んだ」
チャイレンは小さく息を吐いた。
「シュエ国の奇毒刀法で斬られてもいたから、弱い者ならとっくに命は無かっただろう」
チャイレンは目を細めた。加害者がチャイレンの命を狙ったのか、傀儡として魚大王国で活動させたかったのか分からなかったからだ。
(あるいは、虫を植え付けに来た奴は、偽盗賊とは違う勢力なのかもしれない)
奇毒刀法はシュエ国の精鋭に伝わる武術だと言われている。特殊な修行で、毒のある内功を刃に纏わせることが出来るようになるそうだ。シュエ国自体が伝説上の存在なので、今の時代には誰も観たことがない。文献によれば、傷口がオレンジ色に爛れて癒着を妨げる毒である。更に特定の条件下で幻覚や激痛を引き起こすとされていた。
チャイレンの全身が黒ずんだ紫色に腫れていたのは、奇毒刀法の効果ではない。傀儡蟲に感染した被害者の初期症状だ。完全に支配されると、普通の人間と変わらなくなる。傀儡にされた人間の寿命は短い。支配されるのみならず、徐々に脈が乱れてゆく。
「嬢やが着ているものは、特殊な織り方で陣法が組まれている。勝手に着替えるんじゃないぞ?」
チャイレンが着せられた衣服は、どうやらただの薬草染めではなかったようだ。解毒と解呪を同時に行う為の道具らしい。煎じ薬で解毒しながら、服に仕込まれた陣法を使って解呪するのだろう。




