十、百薬の谷(3)
チャイレンが完全な健康体を取り戻したのは、青葉が赤や黄色に色づき、やがて落葉した頃だった。
「ほ。一年も待たずに完治するとは。本当に嬢やには驚かされる。なんとも丈夫な身体に恵まれたものだなあ」
脈を見た百里老人は、嬉しそうに目を輝かせた。患者の完治に満足したのか、珍しい体質の人間と出会えて喜んでいるのか、チャイレンには判断出来なかった。季節が二度変わるほど共に暮らしていても、まだバイリ老人の腹の底は読めない。
「誠にお世話をお掛け申しました。在下、白鈴児、このご恩は一生涯、けして忘れは致しませぬ」
浪華国七王女雲彩鈴は、偽名を使いながらも礼儀正しく頭を下げた。自らが加護を賜っている白塩竜から白の文字を姓にいただき、名は幼名をそのまま用いた。
「頭を上げなさい、鈴児。堅苦しいのは好かぬ」
「とうとう名前を教えてくれたね!ぼくは八宝だよ」
「バッボウも名乗ったのなら、老医も名を告げねばなるまいて」
バイリ老人は不服そうに目を細めてから、軽く衣服を整えた。
「老医はここ百薬の谷に身を落ち着けて幾星霜、外の者からは薬王などと呼ばれておるが、百薬の育つこの住処のお陰で自然と薬に詳しくなった、しがない田舎医に過ぎぬ。姓は百里、名は寒辰と申す老体だ。恩など感じずとも構わぬよ、嬢や」
チャイレンは老人の名前を聞いて、寝床を降りて平伏した。
「百里氏は昔、遥か北にある中原に栄えた国の、皇族を起源とすると伺いました」
バイリ老人は慌ててチャイレンを抱き起こした。
「レンイ、大昔の先祖の血など、老医には関係ないよ」
バッボウも細い声で、老人の肩から言葉を足した。
「とっくに滅びた国だしね」
バイリ老人は、祖先の皇帝とは姓が違う。大昔、流浪の皇子の子孫が名医となり、時の皇帝から新たな姓を賜るほどの功績を残した。国は滅びて医師の末裔は市井に混ざり、何世代も後に薬売りが生まれた。それがバイリ老人である。
各地で薬を商ううちに、医術を自然と身につけていった。貧しい薬売りの少年は、やがて遊医と呼ばれる旅の医師になり、歳を重ねて神医と呼ばれるまでに成長した。いつの頃からか薬材が豊富な山奥の谷間に住を定め、人々は薬王という二つ名を献上した。
チャイレンは今回の体験から、薬の知識を得たいと思った。襲撃者の目的や動向を探る為には、自防手段が必要なのだ。武人であるチャイレンは、簡単な傷の手当てを心得ている。しかし、襲撃者が使った奇毒や蠱毒に対抗する手段は持たない。
チャイレンは真っ直ぐに百里老人の双眼を見つめると、素早く床に手をついた。
「弟子白鈴児、お師匠様に三拝の礼を請う者にてございます」




