十四、百薬の谷(7)
手当ての甲斐があって、程なくして壮年の男性が目を覚ました。
「おお、気がついたな」
バイリ老人が側に寄ると、男性は起きあがろうとした。
「もうしばらく横になっていなさい」
「先生、ありがとうございます」
「いや、気にしなさるな」
「お代はいかほどなんでしょう?」
見るからに貧しい漁師である。感謝の中にも治療費への心配が滲んでいた。
「お前さんは傷の手当と着付け薬だけだから、大したことはないが」
バイリ老人は、申し訳なさそうに刀疵のある若者を見た。
「阿飛!」
漁師は横たわる息子を目にして取り乱した。
「先生!息子は大丈夫ですか?助かりますよね?」
「落ち着きなさい。傷は幸い浅かったから、安心おし。無理をしなければ、数日もすればすっかりよくなるよ」
漁師は安堵のため息を吐いた。二人とも傷が多く、倒れていた岩場にまで血が流れてていた。だが、ひとつひとつは浅い傷だったのである。もっとも、薬王師弟が通り掛からなければ、脱水で命を落とした危険はあった。
「お代は、そうさなあ、明日、様子を見に来るから、その時に美味しい魚でもご馳走になるとするかの」
「分かりました!明日は良い魚をご用意致します」
高額の医療費を覚悟していた漁師は、晴れやかな顔で約束した。
「ジャンさん、だね?」
「さいです。あれは息子の飛雨です」
「ジャンさん、差し支えなければ、何があったのか話しておくれかの?」
「先生、沖にある鳳凰島の噂はご存知ですかい?」
漁師は寝たまま話し始めた。
「うん。大昔に鳳凰が訪れたという孤島だな?」
バイリ老人が頷いた。バッボウも興味深そうに目を輝かせた。
「鳳凰の羽が落ちているという噂がありましてな」
「五色集めると幸運がやって来るという言い伝えだな?」
「はい、その言い伝えです」
「うん、それで?」
師弟と亀は、興味深そうに聞き入った。
「島に渡ろうとする者が時々いるのです。大方は自分で船を用意するので、特に問題はないのですが」
漁師のジャンは、苦々しそうに眉を寄せた。
「今回の奴らは、家の船を使わせろと脅してきまして。船がなければ漁に出られませんので、断りましたら、殴られたんです」
「酷い」
チャイレンは思わず言葉を溢した。
「息子が助けようと駆け寄って来たところ、奴らのひとりが短刀で切り掛かったんです」
「まあ」
チャイレンは青褪めた。幼い頃に受けた襲撃の悪夢が蘇ったのである。
「船はおそらく奪われてしまいましたが、なに、他にも魚を捕る方法はございますんで」
「ああ、いいよ。そういうわけなら、魚はそのうちでいいよ」
バイリ老人の優しさに打たれて、漁師は涙ぐんだ。
「ほんとうですか?」
「ほんとうだとも」
「ありがとうございます。必ずお代は支払います。ご恩は忘れません」
「なに、気にしなさんな。ともあれ、明日また様子を見に来るよ。無理はしないことだ。いいね?」
「はい」
二人と一匹は、軽く挨拶をして漁師小屋を後にした。




