156話『手狭になる家』
帰還ゲートの前で、ディアが口を開いた。
「このまま外に出るのは、ちょっとまずいわね」
「……だよな」
55階のボスだった二匹を、そのまま新大阪ゲートの外へ連れて出る。
さすがに目立ちすぎる。慣れてきた自分の感覚の方がおかしく、客観的にはだいぶ異常だ。
ディアは迷わなかった。
「ひとまず、あなたたちもコユキと一緒に、秀人の影に入ってなさい」
翡翠緑のエメルと、紅金のグレンがこちらを見る。
言葉は理解している。だから、説明が短くて済むのが助かる。
コユキが三本の尻尾を揺らして、少しだけ偉そうに言った。
「大丈夫。ボクの近くにいれば平気」
その声に、二匹は小さく頷いた。
ディアが軽く指を払う。
次の瞬間、エメルとグレンの足元の影がやわらかく広がって、そのまま二匹を沈めていく。
溶ける、というより、夜の水面に落ちる感じだった。
最後に羽の光膜だけがふわりと残って、翡翠緑と紅金の輪紋が一瞬だけ揺れて消える。
「……綺麗だな」
「見た目は、ね」
ディアがさらっと言う。
「中身はだいぶ厄介よ」
「それは戦ってよく分かった」
僕は小さく息を吐いて、帰還ゲートへ足を向けた。
外へ出ると、まだ16時前だった。
感覚では、もっと長く戦っていた気がする。
少なくとも、夕方を越えているくらいの疲労感はある。
でも、現実の時計はそうじゃない。
集中していた時間って、たぶん一番あてにならない。緊張が強いほど、時間は伸びたり縮んだりする。
「……帰ろう」
それだけ言って、僕は新大阪ゲートを後にした。
家に帰ると、ユキ丸のホログラムがいつものように浮いた。
【おかえりなさい】
「ただいま」
その声に重なるように、詩織もリビングの方から出てくる。
「おかえりなさい」
ハローワーク帰りで、少しだけ疲れた顔をしている。
それでも、前みたいな張りつめ方はない。表情はずっと柔らかかった。
僕も短く返す。
「ただいま」
それだけの会話なのに、ちゃんと生活の温度がある。
今は、そういうのが少しだけありがたかった。
リビングへ入って、鞄を下ろす。
そのタイミングで、影が揺れた。
まずコユキが出てくる。三本の尻尾をいつもより少しだけ高く上げている。機嫌がいい時の分かりやすいやつだ。
さらに、その影の奥がもう一度揺れる。
翡翠緑と紅金の二匹がするりと姿を現した。
詩織が、素で目を丸くする。
「……この子たちは……?」
「55階のボスだったモンスター」
僕が答えると、コユキがすかさず胸を張った。
「分け合って、ボクに弟子入りした」
「弟子入りって言い方でいいのか、それ」
「いいの。エメルとグレンは弟子」
二匹とも、まんざらでもない顔をしているのがすごい。
胸を張る、というほど大げさじゃないけど、尾がふわっと揺れて、羽の光膜に薄い紋様が残る。
詩織がその場にしゃがみ込んで、まじまじと二匹を見る。
「テンとかフェレットっぽいですけど……耳は狐みたいに少し長いんですね」
怖がるより先に、観察したい気持ちが勝っているのが分かった。
エメルが首を傾げる。
グレンは少しだけ鼻を鳴らした。
「色も綺麗……」
詩織が、今度はエメルからグレンへ視線を移す。
「額の紋様も、羽も……かっこいいです」
その言葉に反応するみたいに、エメルの周囲に翡翠緑の輪紋がふわっと残る。
グレンの方は、紅金の細かい火花みたいな粒子が一瞬だけ散った。
「……ちなみに、その二匹、言葉は理解してるから」
僕がさらっと言うと、詩織が二段階目の驚きを見せた。
「えっ……!?」
エメルがまた首を傾げる。
グレンは“当然だけど?”みたいな顔で鼻を鳴らした。
分かっていて、その反応を楽しんでいる。かなり賢い。
「ほら、分かってる。可愛い顔して、性格はわりと図太いよ」
「弟子だからね」
コユキが偉そうに言う。
その理屈はよく分からないけど、妙に説得力があるのが腹立たしい。
「すごい……」
詩織は少しだけ身を引いたあと、でもすぐにまた近づいた。
怖がるより先に、好奇心が勝ったらしい。
ひとまず、お茶を淹れて小休憩になった。
大ごとをやって帰ってきたはずなのに、湯気の立つお茶があるだけで、空気はちゃんと日常へ戻る。
こういう切り替えができる場所は、たぶん思っている以上に強い。
詩織がマグカップを両手で持ちながら、ハローワークの話をした。
「手続き自体は、問題なく終わりました。……ただ、少しだけ」
「少しだけ?」
「受付の方に、速水えりなって気づかれました」
「少しじゃ済まないな、それ」
思わずそう返すと、詩織が困ったみたいに笑う。
「静かにしてくださったので助かりましたけど……やっぱり、まだ見つかる時は見つかるんだなって」
コユキが、人事っぽい顔のまま言う。
「だから最初の外仕事はボクが選ぶ」
「ほんとに人事なんだな」
「人事で、師匠で、上司」
「盛るな」
「盛ってない」
盛ってないのが怖い。
お茶を飲みながら、ふと思い出した。
「そういえば、双界跳躍って、同伴できるんだよな」
エメルとグレンの耳がぴくっと動く。
聞かれた意味は理解している。
「ちょっと試してみたい」
二匹が顔を見合わせて、それから小さく頷いた。
実験は分かりやすい形にした。
まず、エメルを二階へ移動させる。
単独移動。軽い。翡翠緑の紋が一瞬だけ浮いて、すっと消えた。
一階に残ったグレンが、僕の手首に前足を触れさせる。
「じゃあ、お願い」
次の瞬間、目の前の空間に門紋みたいな裂け目が入ったイメージがした。
重力が、一瞬だけ抜ける。
落ちる感じではない。
むしろ“自分がいた位置”だけが、急に意味を失う感覚だ。足場の記憶が切れて、次の瞬間にはもう別の場所の空気と匂いが身体に入ってくる。
二階。
「……っ、おお」
僕は思わず周囲を見回した。
さっきまで一階のリビングにいたのに、もう二階の廊下の匂いだ。
一階と二階ではルームフレグランスの香りを変えている。
「……これ、やばいな」
思わずそのまま言った。
戦闘だけじゃない。救助、搬送、退避、奇襲、いろいろ使い道が一気に頭へ浮かぶ。
コユキが階段の下からドヤ顔をしていた。
「ボクが見込んだ弟子たち」
「お前、人事と師匠とスカウトを全部やるな」
「秀人の契約モンスターだから」
その理屈の意味はよく分からないけど、本人が満足そうなのでたぶんそれでいいんだろう。
詩織が少し笑った。
「本当に、色々やってますね」
「最近のコユキ、会社なら肩書きが増えすぎて名刺に収まらないよ」
「名刺いらない」
その返しまで早かった。
そのまま94階へ移動して、二匹のスキル検証をした。
双界跳躍の距離。連続使用の間隔。
門紋衝波の範囲。
対界同調が最大限に乗る条件。
検証していくほど、二匹の価値が分かる。
しかも、使い方次第で一気に“生活側”へも効いてくる。
検証が一通り終わった後、自宅へ戻り僕は少し離れた場所から全体を見た。
翡翠緑のエメルと紅金のグレン。
白銀のコユキ。
肩で笑うミニチュアのディア。
詩織とスーラとユキ丸まで含めると、もうだいぶ賑やかだ。
「……94階は広いし便利だけど」
ソファに座りながら、小さく息を吐く。
「自宅の方が、そろそろ手狭だな」
コユキの三本の尻尾が、楽しそうに揺れた。
「やっと気づいた?」
気づいてはいた。
ただ、認めた瞬間に次のタスクが増えるから、少しだけ見ないふりをしていただけだ。




