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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第八章:割れる言葉、繋ぐ言葉

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146話『ただいま、を言い直す日』

日曜の朝は、少し遅く始まった。


起きた時、身体は一応休んだことになっていた。

でも、頭の方はそうでもない。


昨夜は家に戻ってから、世界の帰還者の動きだの、設立後の段取りだのをコユキやディアと話しているうちに、気づけば夜が終わっていた。


眠れなかったわけじゃない。

でも、浅かった。


原因はたぶん心配だけじゃない。

昨日、庭園の端で抱きしめた感触が、変に残っている。落ち着くはずの記憶なのに、逆に少しだけ落ち着かない。ディアとの親密さとは違う種類の、妙な気恥ずかしさがあった。


朝食は淡々と進む。


会話はある。

でも、どこか全員が余計なことを言わないようにしている感じがあった。


今日は追わない。待つ。

そう決めていた。


朝食のあと、そのまま94階へ上がった。


今日は、昨日レグリスが見せてくれた精神干渉対策のネックレスを、もう少し冷静に見たいと思っていた。昨日は正直、頭に入ってこなかった。


城の中で待っていたレグリスは、いつも通り丁寧すぎる所作で頭を下げた。


「お待ちしておりました。試作品を改めてお持ちしました」


差し出されたケースの中には、細い鎖の先に小さな宝石を下げたペンダント。

青い石が、室内の光を受けて冷たく光っている。


僕は手に取って、留め具を見た。

昨日より頭が動く。そうなると、気になる点も見えてくる。


「留め具、もう少し強い方がいいかもしれないな」


「脱落防止、ですか」


「うん。一般人向けだけじゃなくて、帰還者が戦闘中に着ける前提なら、走ったり転んだりしても外れにくい方がいい」


「承知しました」


ディアが横から口を挟む。


「色の変化も、もう少し見やすい方がいいわね」


コユキも続ける。


「ぱっと見で残り回数が分かる方が売りやすい」


その一言で、少しだけ空気が実務に寄る。


「……販売するなら、ちゃんと事業になるな」


僕がそう言うと、コユキが尻尾を揺らす。


「売れる。“怖い”は需要になるから」


言い方はドライだけど、間違っていない。


そこから少しだけ、他の商品開発案も含めブレストみたいな時間になった。


防犯向けの仕様。

素材の品質保証。

偽造防止の仕組み。

どこまで一般向けに落とすか。


深掘りまではしない。

でも、“晩成アークが何をやる会社になるのか”は、少しずつ形になってきていた。


午後は設立準備作業に回した。


ユキ丸とコユキの作業が早すぎて、僕がやることはほとんどレビューだけだ。

書類の確認、今後のスケジュール、優先順位の並べ替え。


段取りは、もうかなり揃っている。

問題は、そこじゃなかった。


夕方が近づく。


約束の場所へ行く準備をしながら、僕はそれを何度も考えそうになって、何度もやめた。

答えを出すのは、向こうに行ってからでいい。


夕方。

難波の複合施設の屋上庭園へ向かった。


昨日と同じ道を歩いて、同じ端へ向かう。


高低差のある緑。段丘の影。

人目の薄い、あの場所。


先に着いて、少し離れたベンチの横で待つ。

来なければ、その時はその時だと思うしかない。


頭ではそう決めている。

でも、腹を括るのと、胸が痛まないのは別だ。


数分。

たぶん実際より長く感じた。


足音がして、視線を上げる。


詩織がいた。


帽子とマスク。軽い変装。

でも、歩き方で分かる。ためらいを含んだ、でも帰らない足取り。


目が合う。

昨日のことがあるから、空気は少し硬い。


僕は先に口を開いた。


「……来てくれて、ありがとう」


詩織は少しだけ視線を揺らしてから答えた。


「来るって言いましたから」


「……そうだね」


少し間が空く。


詩織が、自分から続けた。


「……でも、ちょっとだけ迷いました」


「うん」


「それでも、来たかったので、来ました」


その言い方で、十分だった。

誰かに引かれて来た声じゃなかった。


その一言で、ようやく胸の奥の何かが少しだけほどけた。


詩織は昨日より、少しだけちゃんと前を向いていた。


「……私、戻りたいです」


その言葉を言うまでに、どれだけ考えたのかが分かる顔だった。


「でも、前みたいに“分かりました”だけで戻るのは嫌です」


僕は何も挟まずに聞く。


詩織は、ゆっくり言葉を選んだ。


「嫌な時は、嫌って言いたいです」


「うん」


「怖い時は、怖いって言いたいです」


「うん」


「止めるにしても……先に、気持ちを聞いてほしい」


その一つ一つが、たぶん詩織にとっては“当たり前”じゃなかったんだと思う。

これまでの人生で、それを言う方が危なかったんだろう。


「最初から……私の言葉を消さないでほしいです」


僕は長く説明しなかった。

たぶん今日は、理由より受け止める方が先だ。


「うん」


一度だけ、はっきり頷く。


「今度は、先に聞く」


それから、言い切る。


「“止める”じゃなくて、一緒に考える」


詩織の表情が、そこで少しだけ変わる。

まだ完全にはほどけていない。でも、昨日よりずっと近い。


投稿の件は、まだ消えていない。

消したことにしたら、それはまた別の押しつけになる。


「投稿したい気持ちは、なくなってないよね」


詩織は小さく頷いた。


「……はい」


「その話は消してない。今すぐ出すかは別として、詩織の言葉を外に出す方法は一緒に考える」


詩織が少しだけ迷ってから聞く。


「それでも……危ない時は、止めますか?」


そこが核心だった。

僕は少しだけ考えてから答えた。


「止める前に、まず理由を一緒に考える」


詩織の目を見る。


「その上で、どう守るかを決めたい」


自由か管理か、そういう話じゃない。

相手の考えを尊重した上で、一緒に考える。

たぶん、そこまで来てようやく、一緒にいる意味が出る。


詩織が小さく頷く。


「……はい」


少しだけ沈黙が落ちる。


その沈黙が、昨日より柔らかい。

だからこそ、逆に気まずいこともある。


僕は咳払いしてから言った。


「……昨日、その、急に抱きしめてごめん」


詩織の耳が、ほんの少しだけ赤くなる。


「……あれは、別に」


「別に?」


「嫌じゃ……なかったですけど」


そこだけ、声が少し小さくなった。


「……そっか」


何を返せばいいか分からなくて、短くなる。


詩織が少しだけ拗ねたように言う。


「でも、“触れてもいい?”は、ずるいとは思いました」


「ずるい?」


「……いきなりああいうことされると、ちゃんと考えてきたこと、少し飛びます」


それを聞いて、僕は本気で少しだけ困った。

困ったけど、嬉しくないわけでもないのが面倒だ。


「それは……ほんとにごめん」


詩織が、今度はちゃんと笑った。

整えた笑顔じゃない。困らせたのを分かってて、少し意地悪く笑う顔。


昨日より、ずっといい。


「謝らないでください」


そこで、一度だけ息を整える。


「だから、今日は私が言います」


そこで一拍。


「……手、つないでもいいですか」


その一言で、こっちの方が少し緊張した。

抱きしめた時より、むしろ今の方が変に緊張する。


「……うん」


差し出された手に、自分の手を重ねる。


詩織の指先は少し冷たい。

でも、握り返す力は弱くない。


抱擁より、先のある近さだった。

手のひら一枚ぶんの距離で、ちゃんと繋がる。


念話が、頭の中に一発だけ落ちる。


『……うん。今日はそれでいい』


ディアの声だった。

優しいのに、少しだけ距離を置いて見守る声だった。


帰り道は、行きより静かだった。


でも、その静けさは悪くない。

無理に会話で埋めなくても、手が繋がっているだけで十分だった。


家に着く。


玄関を開けると、ユキ丸のホログラムが浮いた。


『おかえりなさい』


「ただいま」


影の端からコユキが出てきて、素っ気なく言う。


「遅い」


「いろいろあったんだよ」


「知ってる」


ディアもブレスレットから出てくる。

本体サイズになってキッチンでコーヒーを淹れていた。

何も聞かない。何も言わない。


ただ、その表情は“おかえり”と言っているみたいで、やわらかかった。


スーラがぴょんと跳ねて、僕の膝に乗る。


しばらくして、詩織が、小さく言った。


「……ただいま、です」


まだ少しぎこちない。

でも、それはちゃんと詩織自身の“ただいま”だった。


ここまで第八章、お読みいただきありがとうございました!


第八章は……頑張って恋愛、書いてみました。

ディアや一ノ瀬の時とはまた違って、気づけば一章まるごと「距離」と「言葉」と「感情」の話だった気がします。

上手く書けたかは正直わからないんですが、面白かったと思ってもらえたら嬉しいです。


あと、お知らせです。

第九章から投稿ペースを 平日投稿 → 週三(毎週 月・水・金) に変更します。すみません!

本業と執筆に寄りすぎて、最近インプットの時間がほぼゼロになってきてまして……ここで一度、息継ぎの時間を作らせてください。


第七章・第八章は詩織中心で現代寄りだったので、

第九章はもう少しファンタジー寄りにして、爽快感も上げていきたいと思ってます。


もしここまでで「続きも読みたい」と思っていただけたら、評価を入れてもらえると本当に励みになります。

次章も、よろしくお願いします!

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