143話『保留という名前の夜』
息を整えていると、レグリスが現れた。
相変わらず無駄のないメイド所作で、こちらへ歩いてくる。
手元には、小さなケース。
「試作品が完成しました」
「ああ……ネックレスの」
開かれたケースの中には、青い石を中核にしたペンダントが入っていた。
静かな光沢。触れると、石の奥がうっすらと光る。
「帰還者が触れた場合のみ、魔力に反応します。精神干渉に対して三段階の防御を行い、発動ごとに色が変化します」
言っていることは分かる。
すごいものなんだろうとも思う。
でも、今日は頭の奥を滑るみたいに、うまく入ってこなかった。
本来なら、もっと素直に気持ちが上がる場面のはずなのに。
「……すごいな」
それだけ言うのが、やっとだった。
「ありがとう。確認はまた改めてする」
「承知しました」
レグリスはそれ以上聞かず、静かに下がった。
ユキ丸と情報が共有されている。察してくれたんだと思う。
自宅に戻る。
先にシャワーを浴びた。
熱い湯が肩に落ちて、ようやく身体の緊張が少しずつ剥がれていく。
戦闘の熱と、会話の棘が、別々のまま残っていたのに、少しずつ同じ湯の中へほどけていく感じがした。
着替えてリビングへ戻ると、ディアが料理を並べていた。
会話は少ない。
でも、湯気の立つ皿と、ちゃんと温かい匂いがあるだけで、少しだけ気持ちが戻る。
温かいものがあるだけで、人は少し日常に戻れる。
しばらくして、ディアが静かに聞いた。
「少しは、気持ち整理できた?」
僕は正直に答える。
「……うん。少し落ち着いた。ありがとう」
「よかった」
それだけで十分だった。
食後、少しだけ間が空いたところで、コユキが真正面から聞いてきた。
「で。詩織のこと、どうするの」
誤魔化さずに答える。
「冷たい言い方かもしれないけど……性格が合わないなら、無理して一緒にいる必要はないと思ってる」
自分で言っていて、少しだけ苦かった。
「ただ、このまま終わるのは後味が悪い」
離れた方がいいこともある。
でも、離れるとしても、相手の尊厳を傷つけない形で終わらせるべきだと思う。
仕事でも私生活でも、そこを雑にすると、最後まで自分に残る。
ディアが、カップを置いてから言った。
「迎えに行くのは、正しさじゃないわ。気持ちよ」
その言い方が、妙に刺さる。
「……うん」
コユキは淡々としていた。
「じゃあ、今から探す?」
僕は少しだけ間を置いてから頷いた。
「……探す。ただ、今日は休む。明日、ちゃんと行く」
今日の僕は、もう“ちゃんとした言葉”を出せる状態じゃない。
それで追っても、たぶんまた傷つける。
だから今日は保留にする。
逃げじゃなく、保留だと自分に言い聞かせる。
ベッドに入っても、なかなか眠れない。
詩織がいなくなった。
それだけで、空間の輪郭まで少し違って見える。
ブレスレットが、小さく光る。
ディアが現れた。
ベッドの端に腰を下ろして、少しだけこちらへ寄る。
「……私もね、正直、気持ちは複雑なの」
珍しく、最初から本音に近い声だった。
「詩織がいると、嫉妬することもあった。だから、出ていって……少しだけ、ほっとした部分もあるわ」
そこで一度、言葉を切る。
「でも、嫌いじゃないのよ。頑張ってるところを見ると、応援したくもなるし」
そこでディアは小さく笑った。
「気持ちの整理って、難しいわね」
「難しいね」
少しだけ沈黙が落ちる。
僕はディアを見る。
そのまま髪に触れて、静かに引き寄せた。
「こういう時ほど、ディアが彼女でよかったと思う」
口にすると、少しだけくすぐったい。
でも、今日はちゃんと言っておきたかった。
「何があっても、僕の中で一番がディアとコユキなのは変わらない。これからも、たぶんずっと」
ディアが、少しだけ目を細めた。
照れてるのか、安心してるのか、その両方かもしれない。
「それ、今のタイミングで言うの、ずるいわね」
「本音だよ」
「……知ってる」
そのまま、ディアがこちらへ少し身を寄せる。
甘やかすみたいに、でも静かに。
今夜は答えを出さない。
明日、探す。
それだけを決めて、僕は目を閉じた。




