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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第八章:割れる言葉、繋ぐ言葉

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142話『思考を切るための戦い』

呼び止める言葉が出ない。

追っても、たぶん今は届かない。


その結論だけを、何度か自分の中で確かめてから、ようやく口を開いた。


「……ディア。94階で訓練してくれないか」


ディアはすぐに答えた。


「分かったわ」


短い返事。

余計な慰めがないのが、逆に助かった。


逃げるためじゃない。

今のまま部屋にいたら、悪い方向に考え続けるのが分かる。そういう時、自分がどう沈むかは、もう知っている。


物置部屋のサブゲート。

赤黒い縁の向こうへ足を踏み入れると、空気の密度が変わった。


94階。

ディアの城。


夜の気配を含んだ静かな空気。

現実の部屋より、今はこっちの方が心が安らぐのが皮肉だった。


城の外縁に広がる緑が視界に入る。

林の輪郭。葉の揺れ。風に擦れる音。


それを見た瞬間、なぜか少しだけ呼吸が戻った。


葉の揺れも、風の音も、そこにあるものをそのまま返してくる。

詩織の“整いすぎた笑顔”が頭に残っていたから、余計にそう思ったのかもしれない。


「今日は、考えなくていいようにするわ」


ディアが言って、僕の前に魔力陣を展開した。


訓練は、最初から迷う暇のない相手だった。


一戦目は、霧そのものが敵みたいだった。


白い靄が低く流れ、視界を細く削る。

湿った空気が肌にまとわりつき、足元の輪郭まで曖昧になる。

その奥で、何かが高速で動いている。見えているのは、削れた輪郭だけだ。音も、風も、遅れて来る。


考えたくない夜には、ちょうどいい。

戦闘のことだけ考えていればいい相手は、余計な思考を切ってくれる。


「右」

コユキの声。


反射で、時間視界(クロノサイト)を開く。


世界が、わずかに沈む。

霧の流れが鈍くなる。跳び込んでくる影の肩が先に沈み、爪が来る軌道だけが、細く見えた。


捻る。


肩口を掠める一撃を、スーラ装甲がぬるりと受け流す。

その反動のまま、跳躍強化(ジャンプブースト)で地面を蹴り、半身ずらす。


「後ろ、二つ」


影の中で、コユキの三本尾が揺れた。


次の瞬間、霧の中に炎が走る。


炎弾連射(フレイム・バースト)


小さな炎弾が、雨みたいに連なる。

一発一発は軽い。でも圧がある。敵の進路を縫い止めるには十分だった。


僕は着地と同時に、空間斬糸(スペース・スレッド)を展開する。


極細の魔力糸が、足元から前方へ、音もなく張り巡らされる。

霧の中に見えない斬撃網を置く感覚。


踏んだ。


前から来た一体の前脚が、糸に触れてわずかに止まる。

切断まではいかない。でも、その“一瞬の引っかかり”で十分だ。


「そこ」


黒想鋳具アーマメント・フォージ起動。


右手に漆黒の短槍を即時鋳造。

狙うのは胴じゃない。霧で速度を殺せていない個体に正面火力を打つのは悪手だ。


喉元。


踏み込みと同時に突き込み、引き抜く。

さらに横から来る二体目へ、振り向きざまに闇焔刃(ダーク・ブレイズ)を放つ。


黒煙みたいな刃が、うねりながら飛ぶ。

軌道が嫌らしい。避けようとした相手の進路を、逆に切る。


そこへコユキが重ねた。


光幻身(イメージエコー)


白銀の残像が何本も走る。

本体と残像の境目が消え、敵の視線がぶれた瞬間、コユキの本体は横へ滑り込んでいた。


水糸拘束(アクア・バインド)


水が糸になって弾ける。

二体目の前脚と首元へ絡みつき、そのまま地面へ引き落とした。


拘束は一瞬。

でも、その一瞬で十分だ。


黒槍を、落ちた頭部へ叩き込む。


最初の霧戦を抜けたところで、ようやく息を吐いた。

霧の冷たさより、頭の中が戦闘に寄っていく感覚の方が強い。詩織の背中が、少しだけ遠のく。


二体目の相手は、真正面から圧で押し潰してくるタイプだった。


巨体。

咆哮。

空気が震えて、胸骨に直接叩きつけられるみたいな重い音。


避けるか。受けるか。

一拍で決める。


受ける。


スーラ装甲を厚くする。胸、肩、前腕。

正面から来る衝撃を抱え込ませ、僕は半歩だけ残る。


重い。腕じゃなく、骨に来る。

でも、押し切られずに残れば、相手の質量はそのまま隙になる。


「左、浅い」


コユキが即座に通す。


僕は左へ流れながら、時間視界(クロノサイト)をもう一段深くする。

突進の終わり際、巨体の首が戻る前の“遅れ”だけが、はっきり見えた。


そこへ、黒想鋳具アーマメント・フォージで黒い大剣を鋳る。


重い刃。

でも振り切る必要はない。


スーラが外側へ薄く滲んで、相手の顎を覆う外殻だけを溶かす。

装甲の継ぎ目が露出する。


そこへ、大剣を斜めに差し込む。


さらに咆哮の余波が返ってくる。

魔力の圧が混ざっている。


「秀人」


ディアの声。


魔力撥弾(マナ・リバウンド)を反射で起動する。


目に見えない衝撃の層が、僕の前でわずかに弾けた。

全部は返せない。けれど、軌道をずらすだけで十分だった。


逸れた圧の横をすり抜け、最後は喉へ一閃。


巨体が崩れる。

地面が揺れた。


次は、複数で連携してくる相手だった。


前に見せて、横で取る。

連携で包むタイプ。しかも速い。


正面を意識させて、死角を噛む。

嫌な相手だ。でも、こういうのは連携で崩す方が早い。


「ボクが散らす」


コユキが低く言った。


次の瞬間には、もう影の中を走っていた。

白銀の毛並みが一度消えて、次の瞬間には別の位置にいる。

無相潜伏フォームレス・ステルスまで乗せているのか、視線が追いつかない。


そこからさらに、黒い刃がうねる。


闇焔刃(ダーク・ブレイズ)


左右に揺れながら飛ぶ刃が、前衛二体の注意を分断する。

さらに追い打ちみたいに炎弾。


炎弾連射(フレイム・バースト)


火線が面になる。

正面突破を諦めた個体が横へ散る。


その散る先を、僕は先に切っていた。


空間斬糸(スペース・スレッド)を木々の根元と足場の高低差に沿わせ、見えない檻みたいに張る。

連携する相手は、好きに動かせない形にした方が早い。


右の個体が、糸に脚を取られる。

左の個体が跳ぶ。


影移動(シャドウ・シフト)発動。


自分の影を踏み、横の木陰へ短距離跳躍。

一瞬で位置を消して、跳んできた個体の真横へ出る。


「近いなら――」


黒想鋳具アーマメント・フォージで、今度は黒い双刃を両手に鋳造。


片方で受け、片方で入れる。

肘、脇腹、首元。三手で落とす。


背後から牙。


でも、その前にコユキが割り込んだ。


結界防壁(バリアフィールド)


半球状の魔力障壁が、僕の背中側で弾ける。

噛みつきが止まり、刃先みたいな歯が壁に滑る。


「助かる」


「集中」


「はいはい」


「はいは、一回」


言いながら、最後の一体へ黒槍を投げる。

避けた先に、コユキの水糸が待っていた。


水糸拘束(アクア・バインド)


足首を取る。

体勢が落ちる。

その首筋へ、僕の闇焔刃(ダーク・ブレイズ)がうねりながら入った。


全部が止まったあと、ようやく息を吐いた。


汗が遅れて落ちる。

心拍だけが、まだ高い。


コユキが影から出てきて、短く言う。


「今の、綺麗」


「ありがとう」


その一言が、思ったより深く残った。

さっきまで頭にこびりついていた重さが、ようやく戦闘の汗と一緒に、少しだけ外へ抜けていく気がした。


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