139話『空白を狩る森』
咆哮。
骨格も圧も恐竜に近い。
耳に来る前に、胸に来た。
そのまま突進。
「っ……!」
正面圧が強い。
でも速いだけじゃない。“来るまでが静か”なのが厄介だ。
僕は避けない。
スーラ装甲に初撃を受けさせて、位置を確定する。
衝撃。
腕の奥まで痺れる。
「スーラ!」
胸元で、スーラが強く脈打つ。
受けた。まだいける。
その一瞬で進路が見える。
空間斬糸を細く走らせ、地面の根と蔦の繋がりを切る。
倒すんじゃない。
進路を限定する。
突進が、ほんの少しだけ逸れた。
そこへ僕が踏み込む。
黒想鋳具
黒い棒が手の中に生まれる。
足元。膝。首の付け根。
森の中では、正面火力より“次の一歩を奪う”方が早い。
巨体が倒れる。
同時に、左右の茂みから小さな空白がいくつも走った。
「群れか」
ヴェロキラプトル型。
でもこれも、ただの恐竜じゃない。足音の重みと気配の薄さが噛み合っていない。
「秀人、左二、右一」
コユキが言葉で位置だけ送ってくる。
索敵に徹している。賢い。
僕は樹の根元へ一歩下がる。
背後を消して、正面を減らす。
森の中で戦う時は、場所を選ぶ方が技より先だ。
右から来た一体に、わざとスーラで初撃を受ける。
位置が定まる。そこへ棒を落とす。
左二体は、根を切って動線を潰す。
足場が限定されると、群れの連携は崩れる。
霧の向こうで、また空白が揺れた。
「まだいる」
ディアが上から叫ぶ。
「三時方向、少し奥!輪郭ぶれてる!」
僕は反射で樹の陰へ滑る。
その直後、目の前を何かが通った。見えた、というより“通った痕跡”だけが残る感じだった。
「これ、潜伏系だ」
コユキの声が、少しだけ興奮していた。
「形を薄くしてる。完全透明じゃない。情報から抜けてる」
「面倒だな……!」
森の湿気が、首筋を這う。
見えない敵ほど、身体が勝手に想像を増やす。
だから、ここで認識を切り替える。
空白=敵。
影がない場所。音が遅れる場所。視界が“そこだけ薄い”場所。
そう捉え直すと、森の見え方が変わった。
樹海の中に、ところどころ“不自然な抜け”がある。
そこへ、蔦と根の線を切る。
動くための余白を潰す。
一体、引っかかった。
ラプトル型。
だが今度の個体は、輪郭の揺れが強い。樹の幹と重なると、本当に一瞬見失う。
「スーラ、もう一回受ける!」
胸元でスーラが跳ねる。
初撃だけ受ける。位置を出す。そこへ叩き込む。
仕留めた瞬間、コユキが影から顔だけ出した。
「それ、食う」
「早いな」
「だって欲しい」
模写捕食。
白銀の猫が、恐竜めいた獣に噛みついている。
絵面だけ見れば、だいぶ狂っている。
少ししてから、コユキが言った。
「……取れた。無相潜伏」
「名前からして嫌らしいな」
「輪郭を薄くして、認識から抜け落ちるタイプの潜伏。風景擬態に少し似ているけど、これは秀人も使える」
「共有可能なんだ」
「完全透明じゃないのね」
ディアが上から言う。
「これで、次からボクも秀人に奇襲かけられる」
「やめて」
「考えとく」
考えるな。
そこから先は少し楽になった。
完全に見えるようになったわけじゃない。でも、“抜け落ちる感じ”が分かってきた。
ティラノ型をさらに数体。
ラプトル型は、数を数えるのが馬鹿らしくなるくらい斬った。
霧、湿気、腐葉土、短い視界。
五感で削られる階層だった。
気づけば、53階の終点に立っていた。
ディアが上から降りてくる。
スマホの画面には、揺れた樹海と、黒い仮面と、ノイズ混じりの咆哮。
「絵としては、かなりいいわね」
「公開するかは別だけどね」
「そうね」
僕は仮面の奥で、小さく息を吐いた。
生きて帰る。
結局、それが一番大事だ。
帰宅したのは、21時を少し過ぎていた。
くたくたで玄関を開ける。
【おかえりなさい】
ユキ丸が、いつものように玄関まで出てくる。
その少しあとで、詩織も姿を見せた。
「おかえりなさい。……今日も、お疲れさまでした」
声が、整っている。
笑顔も、角度も、語尾も、きれいだ。
——きれいすぎる。
速水えりなとして立っていた頃の、“正解の形”に少し近い。
「ただいま」
靴を脱ぎながら、僕はさりげなく聞く。
「……詩織、今日は何してた?」
「はい。94階で訓練した後、家の掃除をしていました。……ご迷惑にならないようにと思って」
“ご迷惑にならないよう”——その言い方が、小さく引っかかった。
きちんとしていないと、ここにいてはいけない。そんな響きが混ざっていた。
詩織は、そのまま続けた。
「あと……先日の九条さんたちとのお話も、ちゃんと振り返っていました。もしよければ、見ていただけますか」
“ちゃんと”。
その言葉の中に、正解から外れたくない感じが入っている。
僕はそこで深掘りしなかった。
今そこに踏み込むと、たぶん余計に固くなる。
「ちゃんとしてなくても、大丈夫な時もあるよ。……その振り返りは、また明日聞かせて」
詩織は笑った。
笑ったけど、その笑顔は綺麗すぎた。
速水えりなの“正しい笑顔”に近い。
「はい。……ありがとうございます」
その顔を見て、昨日の見出しを思い出す。
たぶん、一人になってから、また読んだのだろうと思った。
僕は靴を脱ぎながら、小さく息を吐いた。
せっかく少しほどけていたものが、また薄い仮面の下へ引き戻された気がした。




