表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第八章:割れる言葉、繋ぐ言葉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

135/152

132話『揺れる水面、揺れない一歩』

20階に入った瞬間、空気が変わった。

石段みたいな地形のあちこちを、透明な水路が走っている。天井は高く、水面の反射光が揺れて――世界そのものが、少しだけ柔らかく見えた。


「……ここ、綺麗ですね」


詩織が、思わず漏らす。


「綺麗だけど、滑る。気をつけて」


静かだった。

水音と、遠くで風鈴みたいな澄んだ共鳴だけがある。


さっきまでの階層との落差がすごい。


「映えるね」


コユキが、また監督みたいな顔で言う。


「歩く姿勢、ちょっと雑。視聴者は“強さ”より“余裕”に憧れるんだから」


「……今日は撮る日じゃないだろ」


「だからだよ。普段から意識してないと、必要な時に出ない」


足元を見る。

水面が鏡みたいで、段差の輪郭がずれる。

綺麗だけど、これは転ばせにくる地形だ。


詩織も慎重に歩いていたが、途中で光の霧がふっと流れた。

一瞬、視界が白くなる。


その直後、段差を踏み外しかける。


「っ」


反射で手が出た。

支えたのは一瞬だけ。肩に触れて、体勢を戻すだけ。


近い。


水面反射の光が、詩織の瞳で揺れた。整える前の顔が、一瞬だけ覗く。

守った、というほどじゃない。崩れる前に、肩へ手を添えただけだ。


なのに、その一瞬の近さだけが、変に意識に残った。


「だ、大丈夫です」


詩織がすぐに笑顔を作る。

でも頬が少し赤い。


「無理しなくていい。ここ、足場がいやらしい」


「……はい」


水を纏った小型精霊と、苔石の小ゴーレムが何体か出た。

攻撃は軽い。


詩織が二度目はきちんと踏み込みを合わせた。

さっきのミスを引きずらず修正できている。そこはいい。


段丘の上まで抜けたところで、詩織が景色を見渡した。


「……ここ、綺麗ですね」


「うん」


「外にも、こういう場所……いきたいですね」


僕は少しだけ考えて、それから答えた。


「今度、落ち着いたら行こう」


詩織がこちらを見る。

すぐに何か返そうとして、でもやめたみたいに小さく頷いた。


「……はい」


その“はい”は、さっきまでより少しだけ柔らかかった。


21階は洞窟だった。


湿った空気が肌に張りつき、濡れた岩肌のせいで足元がぬるりと滑る。一定の水滴音が、距離感を狂わせるみたいに響いていた。

ところどころで青白い微光菌が淡く光っている。見た目は綺麗なのに、落ち着かない。


「次はこれか」


狭い通路を進んだかと思えば、その先で急に広間が開ける。圧迫感と開放感が交互に来て、方向感覚が少しずつずれていく。


反響のせいで、敵の位置も読みにくい。


コウモリの群れ。岩ヤモリ。しかも、不意打ちまで混ざる。

詩織が一度、滑りかける。


抱き止める代わりに、空間斬糸(スペース・スレッド)で足元の苔膜を切り、スーラが“溶かす”で摩擦を作る。


詩織が、足元を見て小さく息を呑んだ。


抱え上げられたわけじゃない。倒れないように、ほんの少しだけ支えられただけだ。

その違いは、たぶん彼女の中では小さくなかった。


コウモリで視界が潰れた時、詩織が僕の袖を掴みかけて止める。

遠慮の癖。


僕は自分から、袖を少しだけ近づけた。


「……すみません」


「謝らなくていい。今は安全が優先」


その声の近さに、僕の方が少しドキッとした。

……棚に上げろ。


詩織が、自分で言語化する。


「怖い。……でも、位置。次の一歩。……大丈夫」


それで落ち着きを取り戻す。

竹刀稽古でやった“止まらない”が、ちゃんと繋がってる。


「詩織、いける?」


「……はい」


怖いまま、前に出る。

恐怖が消えてから動くんじゃなく、恐怖を抱えたまま選べるなら――たぶん、大丈夫だ。


一撃目は浅い。

二撃目で足を止める。

三撃目で姿勢を崩させ、最後に喉元へきれいに通した。


今度は、トロルが崩れ落ちる。


静かになった洞窟で、詩織が小さく息を吐いた。


「終わりました……」


「お疲れさま」


「……今日は、ちゃんと頑張れた気がします」


「頑張ってたよ。最初から見てた」


そう言うと、詩織は少しだけ困ったみたいに笑った。

嬉しさを隠しきれていない顔だった。


外に出たころには、もう夕方だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ