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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第八章:割れる言葉、繋ぐ言葉

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131話『怖いまま、前に出る』

土曜日。

9時に目が覚めた。


平日ならとっくに起きている時間だけど、今日は身体の方が“まだ大丈夫”と言っている。

こういう遅起きが許される朝は、たいてい家の空気も少しだけ丸い。


ベッドから抜け出して、軽く伸びをしてから階段を降りる。


詩織はもう94階から戻ってきていて、テーブルの上を拭き終えたところだった。

洗ったマグカップの向きまで妙に揃っている。頑張りすぎる人の片付け方だ。


「あ、おはようございます」


詩織がこちらに気づいて、少しだけ背筋を伸ばした。


「おはよう。……早いね」


「いえ、その……勝手に寝てるのも落ち着かなくて」


シンクまわりも片付いているし、リビングも整っている。

休ませたつもりでも、こういう人は“何もしていない時間”に落ち着けないんだろう。


コユキが、すぐに横から刺した。


「頑張りすぎ」


「……すみません、先生」


「謝るとこじゃない。指摘しただけ」


朝から、会話の切っ先だけは妙に鋭い。


ディアは本体サイズのまま、キッチン側でスープをよそっていた。

昨夜の余韻を知っている僕には、その姿が少しだけ柔らかく見える。


「起きたのね。ちょうどいいわ。朝ごはん、いま並べる」


「ありがとう」


ディアがこちらを見て、ほんの少しだけ目元を和らげる。


朝食を食べながら、コユキが切り出した。


「雪山の動画、編集終わってるけどアップする?」


昨日の52階。

白い雪原、黒猫仮面、スーラの黒い装甲。絵としてはかなり強い。


でも、僕は一拍だけ考えてから首を振った。


「まだ出さない」


詩織が少しだけ目を丸くする。

コユキは“だよね”とでも言いたげに尻尾を揺らした。3本とも、機嫌よく揃っている。


「理由は?」


「49階到達チームがまだ先だから。今のタイミングで出すと、事故防止より先に余計な火種になる」


コユキが少しだけ目を細める。


「公開の価値はあるのに?」


「ある。だからこそ、タイミングが大事」


価値のある情報ほど、出し方を間違えると、人を救う前に人を煽る。

仕事でも同じだ。正しい情報を出すことと、正しいタイミングで出すことは別の技術だと思っている。


ディアが頷いた。


「妥当ね。今は“見せる”より“持ってる”方が強いわ」


「そういうこと」


代わりに、今日は別の準備を進めるつもりだった。


「ユキ丸。6月からの準備、進めたい」


ユキ丸が帽子をちょこんと持ち上げる。

最近もう、その動きだけで“了解しました”に見えるから困る。


コユキが耳を動かした。


「退職後の話?」


「うん。先に選択肢を整理しておきたい。会社形態の比較、お願い。株式会社、合同会社、個人事業主。違い、メリット、デメリット、必要事項。あと、僕が決める時に見るべき項目を夜までに一回まとめておいて欲しい。細かい数字は概算でいい」


【承知しました】


ホログラムが立ち上がって、項目が並んでいく。

この家のタスク整理能力、たまに会社より優秀なんじゃないかと思う。


【タスク登録完了。夜までに一次版を提示します】


淡々と映し出される文字を見ていると、少しだけ気が楽になる。

考えることを“見える仕事”に落とすと、漠然とした不安はだいぶ扱いやすくなる。大きな話ほど、まずは表にした方がいい。


コユキが、次の話に移るみたいに聞いた。


「で、このあとどうするの」


「小型ゲート、行こうと思ってる」


その瞬間、詩織が顔を上げた。


「私も行きます」


言い切るのが前より早い。


ディアが言う。


「朝から行くの?行くなら、お弁当を作るけど」


「……じゃあ、朝から行こうか」


「ふふ。そう言うと思ったわ」


そう決めた瞬間、リビングの空気が少しだけ切り替わった。

コユキはすぐに次の段取りを見始めて、ディアはキッチンへ戻る。詩織も迷わず立ち上がる。

予定が決まると、それぞれが自分の持ち場へ散っていく。もう半分、プロジェクトチームみたいな家だった。


支度を整えて、玄関先。


ディアが詩織に近づいた。


「じゃあ、今日も前回と同じ形でいくね」


「はい」


詩織は一瞬も迷わなかった。


(……いや、身体が小さくなるんだぞ?もう少し迷ってもいいだろ)


心の中でだけツッコむ。

でも、ここでその勢いを折るのも違う気がした。


「詩織、いくわよ」


「はい」


ディアの指先が淡く光る。


縮小化身(ミニチュアライズ)


空気がふっと揺れて、次の瞬間。


詩織の輪郭が、するりと小さくなった。


小さくなった詩織が、きょろ、とこちらを見る。

見慣れてきたとはいえ、やっぱり慣れない。元アイドルが生きたままフィギュアみたいなサイズになっている絵面は、色々まずい。


ディアが当然みたいな顔で言う。


「はい、秀人。ちゃんと気をつけて運んでね」


「……言われなくても分かってる」


小さくなった詩織を、壊れ物を扱うみたいに慎重にバッグの内ポケットへ入れる。

中にはクッション代わりの布も敷いてある。

この作業だけ、妙に神経を使う。


バッグの中から、遠慮がちな念話が届いた。


『あの……すみません、お手数を……』


「謝らなくていい。移動の安全優先」


『……はい』


小型ゲートに到着。

警備に挨拶して、中に入る。


ゲートをくぐったところで、影からコユキが出てきて、ディアもブレスレットから現れた。


僕はカバンを開けて、そっと詩織を持ち上げる。


(……落ち着け。ただの移動手段だ)


「戻すわよ」


ディアが元のサイズに戻す。


「大丈夫そうね」


「はい」


19階の雰囲気は、ひと目でよくないと分かった。

薄暗い廊下を、非常灯の赤が鈍く染めている。消毒液みたいな匂いの奥に、古い鉄と湿気が混ざっていた。


「……嫌な感じ」


コユキが低く言う。


ガラス越しに、空の培養槽が並んでいる。

床には乾いた引きずり跡。

どこか遠くで、金属が鳴った。換気の唸りが、ずっと耳の奥に残る。


研究施設跡に寄生体。

こういう“バイオハザード系”の嫌さは、低層でも別腹だ。致命傷にはならなくても、精神の方が先に削られる。


詩織の肩には、少し力が入っていた。


敵の前に、空気で削られてるのが分かる。


「一本道。進める?」


「……はい。大丈夫、です」


強がり半分の返事だった。

でも、自分でそう言ったなら、まずは信じる。


ドアが自動ロックされて、解除端末を探せという表示。


研究員だった半ゾンビが、遅い足で寄ってくる。

足元には這い回る寄生体。気持ち悪い。


「詩織、前ゾンビ二体。足元は無視していい」


「はいっ」


僕が言うより先に、スーラが床へ広がって寄生体を溶かした。


「ありがとう、スーラ」


ぷる、と得意げに跳ねる。


そのあと、視界の端が少し滲んだ。

軽い吐き気。疑似感染系のデバフか。


実害は薄い。

ただ、嫌な感覚だけはきっちり残してくる。


「詩織」


返事がない。

振り向くと、廊下の暗さと反響に飲まれかけていた。


呼吸が浅い。目が泳ぎかけている。


「詩織、意識をしっかり」


びくっと肩が揺れた。

でも、そのあとちゃんと息を吸った。


「……すぅ、は……」


ルミエルのスキルが薄く重なって、呼吸が少しずつ戻っていく。


「そう。それでいい。端末までは一本道だ。動ける?」


「……はい」


解除端末を見つけてロックを解除する。

その先には、帰還ゲートと転送陣。

19階は、そのまま抜けた。


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