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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第八章:割れる言葉、繋ぐ言葉

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126話『スーラ装甲と寒冷』

朝。

6時の目覚ましで起き上がった。


今日も――眠い。


出社の日は、身体が素直じゃない。

理解してるのに、布団だけが毎回“出さない”と言ってくる。

そのくせ、会社に着いてしまえば普通に回るんだから、人間の慣れって雑だと思う。


二階の寝室を出て階段を降りる。


キッチンに見えるのは、ディアだ。今日は本体サイズ。

エプロンとかじゃなく、普通に“この家の朝”を回してる顔。


で――視界の端に、早見さんがいる。

まだ完全に馴染んだとは言えない。

でも、もうここまで来たら“いつもの光景”に、彼女も入れて扱ったほうが早い気がする。


そう思って、僕は席に向かった。


「……おはようございます」


早見さんは言葉をきれいに出す。


でも、目が一度だけ僕のほうを見て――すぐ外れる。

目が逃げたのに、さっきより少しだけ温度がある。


ディアは、そんな空気ごとスープ皿を置いた。


「食べなさい。朝はね、温いものから入れるのがいいのよ」


口調はいつも通り。

でも本体サイズで今日のディアは、部屋の温度まで塗り替える。


早見さんの視線が、そこに触れて――ほんの一瞬、表情が揺れた。

すぐに元の“整った顔”に戻る。


(……切り替えが、早い。)


コユキが、わざとらしく鼻を鳴らす。


「……今、空気が甘い」


「うるさいわね」


ディアが即座に返す。

その“うるさい”が、怒ってるより照れ寄りで――余計に甘い。

昨夜の温度が、まだ湯気の向こうに残ってる。


僕はスプーンを口に運びながら、心の中で小さくため息を吐いた。


……早見さんから、好意っぽいものは感じる。

ただ、純粋な好意なのか、憧れなのか。それとも依存に傾きかけているのか。

助かった気持ちが別の形に見えてるだけなのか、測りかねてる。


しかも、僕にはディアがいる。恋人だ。

なのに、目の前には複雑な立場の早見さんがいる。


……42歳。結婚も恋愛も、それなりにやってきた。

それでも、こういう状況の正解は、どこにも置いてなかった。

年を取れば大抵のことは処理できるようになると思っていたけど、感情の距離感だけは、案外そうでもないらしい。


(さて。どうしたもんかな)


とりあえず――朝は朝。

僕はパンを飲み込んで、会社行くスイッチを入れた。


出社。

何事もなく、席に荷物を置いて、PCを立ち上げ、朝イチから引き継ぎの細かい仕込みを潰していく。


9時半。営業から声がかかって、10時半には京都の客先へ同行。

挨拶は丁寧に、段取りは短く、体制は“安心できる形”で置いていく。


打ち合わせが終わったあと、喫茶店で営業と明日以降の段取りを擦り合わせる。


お昼時間がみえたタイミングで営業が言った。


「近くに美味しいラーメン屋ありますよ。昼、行きます?」


断る理由もない。京都の空気を吸いながらラーメン。

こういう“普通”が助かる。


麺をすすってると、影の奥からコユキが念話で割り込んできた。


『それ、美味しそう』


『見るなよ……いや、見てないのか』


(影からの視界ってどうなってる……)


『見てるよ。匂いでも分かる』


僕は小さくため息をついて、箸を止めずに返す。


『……分かった。今度、美味しい冷凍ラーメン、取り寄せる』


『約束』


そこへ、ディア。


『具材だけ別で買って。私が整える』


『整えるって、何をどう整えるんだよ』


『ラーメンは具で整えるの。もっと美味しくする』


……外で食べるやつじゃなくて、ディアが“整えた”ラーメン。

ちょっと楽しみになる。


ただ、それは今日じゃない。

今日遅くなることは、早見さんにも伝えてある。


京都からの帰り。

普通なら梅田で乗り換えて帰宅――なんだけど、僕は新大阪で降りた。


理由は単純だ。

更新する。新大阪ゲート。52階。


レベルは63。

正直、今日は帰ってもよかった。

……でも、早く上へ行きたい。

ディアやレグリスがいる階層まで、距離を縮めたい。


(早く、追いつきたい――って言うと、途方もなく遠く感じるけど)


新大阪ゲートをくぐった瞬間、空気が刺さった。


冷たい、じゃない。

頬と喉の表面を、細い刃でまとめてなぞられるみたいな冷え方だ。

息を吸っただけで肺の奥が縮む。これを“寒い”で片づけるのは、ちょっと乱暴すぎる。


息が白くなるのは当然として、まつ毛の先が重い。肌が痛い。

世界全体が、体温を奪うことに本気だ。


影がぴくり、と動いて、コユキが一瞬だけ外に出た――けど。


「寒い。無理。影に戻る」


言い切って、すぐ消える。潔い。

そして続ける。


『耐性持ちのモンスター見つけるまで影。見つけたら模写捕食(ミミック・イーター)で取る』


『合理の塊かよ』


『合理大事』


返しが即答すぎる。


次の瞬間、服の内側が動いた。

スーラが“ぴょん”と顔を出して、すぐに全身を包むみたいに広がる。


形は、つなぎのスノーウェアみたいになった。

縫い目っぽいラインまで作ってくるのが妙に器用で、笑うべきか真顔になるべきか迷う。


五式吸収(エナジー・イーター)。熱を吸って、逃がさない。

さっきまでの寒さは“刺さる”だったのに、それがようやく“冷たい”まで落ちてくる。

たったそれだけで、世界の難易度が一段下がった。


(……すごい。)


思わず息を吐いた。

それだけで、さっきまでの雪原が別の階層みたいに見える。


「スーラ、天才……」


スノーウェアが、ぷるん、と小さく震えた。

照れてるのか、褒められ待ちだったのか。どっちでもいいけど、かわいい。


「助かる。ほんとに助かる」


もう一回言うと、スーラは嬉しそうに、胸のあたりでふにゃっと柔らかく形を変えた。

……抱きつくな。今は雪山だ。危ない。

ただ、スーラのお陰で助かったのは本当だ。


ブレスレットからミニディアが出てきた。

寒いはずなのに、彼女だけは平然としてる。


この階の情報は、残しておいた方がいい。


「ディア。この階の攻略、スマホで撮ってくれない?」


首を傾げる。


「公開するの?」


「……録るだけ。公開は後で考える」


準備なしでこの階に来たら、普通に死ぬ。

ただ――今、世界最強クラスのチームですら、30階に届くかどうかのはず。

52階の映像を出すってことは、“世界にバレる”ってことだ。


だから、記録だけ。


「了解」


ディアがスマホを構えて飛ぶ。

僕は黒猫の仮面を付けて、スーラにも偽色変態(カメレオ・スキン)で黒を被せた。


白い雪原に、黒猫の仮面と黒ずくめの姿。

絵は立つ。……でも、油断すると今の僕でも死ぬ階層でもある。


雪山の敵は、モンスターじゃない。

寒さ、視界、足場――全部が敵だ。


戦う場所を選ぶ。風向き、地形、岩陰。

迷ったら撤退ラインを先に決める。

消耗戦はしない。見失う前に区切る。

コユキだって今は影の中だ。


吹雪の中、視界の端で“雪の盛り上がり”が動いた。

嫌な予感。ほんの小さな違和感――前兆直感(オーメン・センス)が、ここで効く。

首の後ろが、ひやりと粟立つ。


僕は半歩だけ引いて、受けの形を作る。


出てきたのは、氷気を纏った小型獣――兎のようだ。

かわいげなんて欠片もない速度で、まっすぐ喉元を狙ってくる。


氷牙兎(フロスト・ピカ)よ』


コユキが念話を飛ばす。


視界の端、雪の盛り上がりが“一拍遅れて”跳ねた。

白い毛並み――いや、氷の粒をまとった牙が、直線で喉元を狙ってくる。


スーラ装甲で受け止める。

黒いウェアに触れた瞬間、兎の前脚にまとわりついていた氷が、溶けた。

スーラに、触れた物質だけが形を失っていく。


(スーラ――溶かしてる)


兎の踏み込みが乱れる。

爪先が噛まず、雪面でわずかに泳いだ。


その隙に、黒い棒――黒想鋳具アーマメント・フォージで引き出す。


「――落ちろ」


さらに、空間斬糸(スペース・スレッド)

線が走って、足場の“繋がり”だけが切れた。獣がバランスを失って雪に沈む。


仕留めようとした瞬間、影の奥からコユキの声。


『それ、耐性持ち。噛ませて』


「わかっ……」


『噛ませて』


影の縁から、口元だけを出して噛みつく。寒さが本気なのが分かる。

そして、捕食。


――体の奥で、冷えの角が少し丸くなる。


寒冷耐性(コールドレジスト)(弱)。……弱い。これじゃ外で動けない。影で十分』


『ゼロよりマシだろ』


『ゼロよりマシ。でも、次探す』


……仕事の会話か。


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