124話『小さな同行者と、午後のゲート』
会社を出て、電車に揺られて、家に戻る。
玄関を開けると、家の匂いがした。
それだけで、会社のスイッチが落ちる。
「おかえりなさい」
早見さんの声。
「ただいま」
今日は、あえて聞かない。
“94階じゃないの?”とか、そういうのは。今は“生活”の返事でいい気がする。
リビングに入って、足が止まった。
段ボールが二つ。見慣れないサイズ。見慣れない存在感。
「……これ、なに?」
誰にともなく落とした言葉に、影がすっと動いた。
「首輪」
コユキが、ひょいと影から出てくる。
「スキルを封じるやつ。4サイズ、10個ずつ」
「……いつ準備したの?」
コユキは悪びれず、当然みたいに言う。
「出社中。94階でディアとレグリスが作って、材料運んだり完成品を持ってきたりは詩織。箱詰めはユキ丸も手伝った」
「……待て。コユキ、お前、影の中で一緒に出社してたよな」
「うん」
コユキはさらっと頷く。
「外出中も、レグリスとユキ丸と連携ばっちり」
“ばっちり”で片付けるな。
……でも、もう驚ききれない自分がいるのも悔しい。
コユキが追撃するみたいに尻尾を揺らした。
「あとで、運送会社の人が取りに来る」
「……そこまで段取り済み?」
「済み」
即答。怖い。
さらに、コユキが何でもない顔で言った。
「それと。秀人、金曜の午後、空いてるよね」
「……空いてるけど」
「14時。淀屋橋の政府施設」
「行くのはいいけど、なんでそうなった。僕、その話は何も聞いてないんだけど」
コユキが、ちょっとだけ“してやったり”の顔をする。
「ユキ丸がね。首輪の納品にあたって、秀人のフリして柊とメールしてた。そこで金曜訪問が決まった」
「……えっ?」
声が、素で出た。
ユキ丸は帽子の縁をちょこんと持ち上げて、ホログラムを浮かべる。
そこには、件名と日時だけが綺麗に整理された“予定”が表示されていた。
――優秀なAIというより、秘書だ。しかも勝手に予定を確定させるタイプの。
「ユキ丸えらい!」
コユキが手放しで褒める。
「褒めてる場合じゃないだろ……!」
ツッコむのも、ちょっと疲れた。
でも、変な話――会社でやってることと、構造は同じだ。
実務は現場が回して、調整は別の誰かが押さえて、僕は“知らないうちに”責任の位置に立つ。
違うのは、ここには稟議も承認印もないってだけ。
(……何だかな。ほんとに)
そう思っているうちに、インターフォンが鳴った。
運送会社だ。
段ボールを2つ、伝票と照らして受け渡す。
受領のサインをして、ドアが閉まる。
静かになったリビングで、僕は一度だけ息を吐いた。
「今日はこのあと、小型ゲートに行く。撮影も兼ねて」
僕が言うと、コユキが耳をぴくっと動かす。
「撮影?」
早見さんが、少しだけ身を乗り出した。
「……私も、行きたいです」
言い方は控えめ。でも、目が逃げてない。
“頼るだけ”じゃなく、自分から一歩出ようとしている感じがある。
「最初から誘うつもりだった」
それを言うと、早見さんの口元がほんの少しだけほどけた。
“素”に近い笑顔。短いのに、刺さる。
――刺さるな。棚に上げろ。今は段取り。
問題は、どうやって早見さんを一緒に連れて入るかだ。
担当の小型ゲートで、僕が誰かと二人で入るところは、できれば見られたくない。
「ディア、相談なんだけど」
僕がブレスレットに指を当てると、ふわり、とミニチュアのディアが出てきた。
出てきた時点で、だいたい察してる顔だ。
「なに?」
「影の中ってさ……人が入っても、大丈夫?」
ディアの目が細くなる。
「……影の中は、暗い。孤独が濃い。人には長時間おすすめしないわ」
胸の奥に、これまでの早見さんの“息の浅さ”が引っかかる。
たしかに、今の彼女に“暗箱”はきつい。
「認識阻害で押し切るのが無難かな……」
「小型ゲートまで、三十分くらいだったわよね」
「だいたいそれくらい」
「それなら、影や認識阻害よりも——もっと綺麗にやれる」
ディアの口元が、ほんの少しだけ上がる。嫌な予感がするやつだ。
「……何か方法あるの?」
「詩織を、私と同じくらい小さくして。カバンに入れて持っていく」
一拍、頭が止まった。
「そんなことできるのかよ」
「できるようになったわ」
「いつの間に」
「一昨日、レグリスの変形原理を聞いたの。昨日、他の生物にも応用できるスキルにしたわ」
「……あの時、質量保存の法則がどこ行ったのか真顔で考えたんだけど」
ディアが呆れた目で僕を見る。
「スキルとモンスターに、こっちの世界の法則を当てはめようとするのが間違い」
「……ですよね」
「ただし、最大で4時間。時間が来れば元に戻るし、さすがにそれは隠しきれないわ。更に小さくなっている間は私の魔力がずっと消費し続けられる。だから時間は守る」
4時間。制約。逆に言えば、ゲート入口をすり抜ける用途には十分だ。
ディアは視線をリビングの方へ投げた。
「で、詩織。どうする。やる?」
早見さんは迷わなかった。小さく頷く動きが、今はちゃんと“自分の意思”だ。
「はい。一緒にゲートに行けるなら……ぜひ」
「よし。準備ができて、家を出る直前にかけるわ」
(……いや待て。体が小さくなるんだぞ?もうちょい迷おう?普通、そこで一回”えっ”ってなるだろ)
支度を整えて、玄関先。
靴紐を結び直す僕の横で、ディアがふわりと浮く。早見さんは背筋を伸ばしたまま、静かに息を吸った。
「詩織、いくわよ」
「はい」
ディアが指先を軽く掲げる。魔力が、薄い膜みたいに空気を撫でた。
「縮小化身」
——一瞬。
詩織さんの輪郭が、ふっと“引き算”される。立っていた場所に、別のサイズの世界ができたみたいに。
ミニディアがだいたい25センチくらいだったはずだから――ワンサイズ小さい。
子どもの手の上で遊ぶ、あの着せ替え人形の服がそのまま着られそうなサイズ。
……元アイドルが、フィギュアみたいな大きさで、ちゃんと瞬きしてる。
背徳感と倫理観がまとめて殴ってきて、脳が処理落ちしかけた。
(やばい……背徳感が……)
早見さんが何か言っている。
口は動いてるのに、声が届かない。
コユキが横で、冷静に言った。
「声、小さすぎて聞こえないね」
「だよな……」
ディアが少しだけ眉を寄せる。
「不便ね。繋ぐわ」
指先で魔力を弾くみたいにして、ディアが回線を引く。
本当に、ディアは何でもありだな……と改めて思う。
『……声、聞こえますか』
頭の中に、詩織さんの声が落ちてきた。
『聞こえた。大丈夫?』
『よかったです……周りが、すごく大きくて。少し怖い世界ですね』
一瞬、20メートル級のレグリスが並ぶ光景が頭をよぎって、背筋がぞわっとする。
「……確かに、それは怖いな」
ディアが現実に戻すみたいに言う。
「時間もないし行きましょ。レベルも上がってる。多少の揺れでどうこうなる子じゃないわ」
「多少って言い方が怖いんだよ」
言いながらも、僕は手を差し出す。
早見さんを、恐る恐る掌に乗せる。
軽い。軽すぎる。
軽いのに、潰れそうで責任だけが重い。
そして……倫理観が一瞬でざわつく。
(……これは、だいぶ倫理観が試されるな)
僕はカバンの中を整えて、早見さんを“安全な位置”に収める。
入れる時、ふとカバンの中の匂いが気になったけど――今さらどうにもできない。
『……ごめん。ちょっと揺れる』
『大丈夫です。訓練だと思えば』
ポジティブが過ぎて、逆に怖い。
カバンの中で安定した気配。
僕は肩紐を掛け直して、玄関の鍵を閉めた。
「よし。行くぞ」
コユキが影に溶けながら、ぼそっと言った。
「そのバッグ、今日一日いちばん大事に扱って」
「……言われなくても分かってる」
そう返して、僕は肩紐の位置をもう一度だけ確かめた。




