形骸化されたもの
スイスに向かったⅤのことなど知るわけもない家接たちはとにかく必死で外に出ようと神殿の中を彷徨っていた。まるで迷宮のように複雑になっている内部を歩いているが、ローズは常にポジティブな気持ちでいた。
「全然外が見えてきませんね~」
「少しだけ不安になってきました…………」
対照的な二人の感想を聞きながら、家接はどちらかと言えばメイニーの言葉に同意する。だからこそこんな状況で前向きでいることができる彼女には尊敬の念を抱かずにはいられない。黙々とこの石造りの神殿を進むローズの足取りには迷いがない。
「そろそろ休みましょうか」
果ての無いように思える道の中で思うところがあったようだ。まるでずっと同じところを回っている感覚が進ませようとする意志を挫いてくる。戻った方がいいんじゃないかと思った時にはもうさっきの部屋はどこにあるのか分からない。
休憩の中でローズはフレイヤの首飾りを眺める。彼女曰く、フレイヤは美と豊穣の女神と言われているようだ。この首飾りを中心に雪が解けていたのはその神の力が首飾りにも残されていたからなのだろうか。神の力を持っている聖遺物というのは少なくないらしく特に信仰が強い地域ではその力はより強くなるという。
ここは北欧神話が最も知られている地域。人の魔術が及ばないのも分からなくはない。ただ、だからといってそれはここを出られない理由にはできない。そんなことを休憩中に考えていたからなのか、それ以降家接の足は自分でも思っていた以上によく動いた。そして神殿を彷徨って30分くらいが経った頃だ。遂に出口らしき場所を見つけることができると全員の足に羽が生えたようにあっという間に外に出た。
「やっと出られた…………」
「あっちにマイクラストの魔力の反応があります」
微かだが家接もそれを感じ取ることができる。雪広もそっちの方にいることが分かって、足場は悪いが家接が戦闘になって草を斬りながら進んでいく。と言っても家接の魔術で前方に吹く風が鎌鼬のように無差別に切り刻んでいるだけなので、やっていることは芝刈り機と同じだ。
どれだけ進んだだろうか。坂やら密集している木やらを避けながら進んでいたらとんでもない時間がかかってしまった。二人は大丈夫だろうかと思いながらその開けたところに出る。すでに二人とは違う魔力がそこにあったため大丈夫だろうかと気になってはいたが戦いが起きている様子もないので慎重に伺う。
「あ、導主じゃないですかっ! どうしてこんなところにいるんです?」
飛び出したローズを見てケリンはやっちまったという顔をした。まるで子供が親に褒められようとするようにして彼女は神殿で見つけた聖遺物を彼に見せる。それを見た瞬間にケリンは目の色を変えて食いつく。彼女の説明なんてきっとほとんど聞いていないのに真剣に見つめるさまはローズとどこか似ている。
「これがフレイヤの首飾り…………」
「どうです? 凄くないですか!」
収まっていた興奮を再び取り戻したローズはケリンと熱く語り合っている。その後ろで、雪広とマイクラストがその様子を見ている家接たちに近づいて肩を叩いた。
「ちょっと話があるの」
盛り上がる二人をよそにしてさっき聞いた話を家接たちに語る。Ⅴが向かったと思っていた場所は見当はずれだったようで今はスイスに向かっているというのが魔術科の人たちが集めた情報らしい。Ⅴが訪れなかったことは確かに想定外だったのかもしれないが、一つの脅威が除かれたのは別に悪いことじゃない。
だが問題はスイスへと向かったⅤだ。最近まで魔術師の組織が無かった北欧諸国ではNo.0のⅨがを抑えられるような存在はいなかったらしく、新たに組織された”スフィアの僕”だけが彼らを抑えるための砦ということになっている。だが彼らだけでⅨの動きを制限するというのは心もとない。
にも関わらずそこにⅤまで国に介在するなんてことになれば到底対応しきれない。今すぐにでもどこかが向かわなければならないが、まるでタイミングを見計らったかのようにイギリスではⅣが現れたことでスイスにまで手を回している余裕はない。加えて、ケリン達も何があったのかは聞いていないが満身創痍。
「手短に言えば、またこき使われるってことよ」
「それに断る理由も無いって言うのが今のところのあれだ。どうせ誰かが行かないといけないのが僕たちになったってだけの話だからな」
話を先に聞いていた雪広とマイクラストはすでに行くつもりという気持ちを固めている。イギリスのⅣの事が気になっているはずなのにⅤのもとへと向かうことを選んでいるということは、そういうことなんだろう。カラ爺と連絡が取れない今、判断を下すのは自分達。すでにそれは決まったようなものだ。
「確か”スフィアの僕”のスヴィンさんとは一度アメリカで会いましたよね?」
「他の人とも会っているけど、良い思い出とは言えないかもしれない」
エマさんに負けたのは記憶に新しい。全力を尽くして勝てなかったということもあって無意識のうちに彼女のことが苦手になっているような気がする。ただ、共闘したときにも感じたがあんなに明るく天真爛漫で強い人は他にはいないだろうなと思う。正直に言えば尊敬半分、苦手半分だ。もし次に彼女と手合わせする機会があるとするならその時は勝ちたいと思っている。
ただ、今はⅤの事を優先しなくてはならない。Ⅸがスイスでどのように動いているのかに関わらず人が多い方が良い。イギリスが手を貸せず、ロシアもきな臭いとなると自分たちはいくべきだ。早速向かおうとするとケリンが四人を引き留めた。
「そうだ、行ってもらうからには一つだけ言っておかないといけないことがある。と言ってもこれが役に立つかはまた別の話だけどな。…………お前らは”スフィアの僕”っていう組織の事を知っているだろう?」
「知ってるも何も、アメリカで共闘したわ」
「そうだ。その組織の創設者であるスヴィン・ライナー。21世紀になってから新しく魔術組織の無い国に組織が設立のは前例が無かったもんだから、頂主が記録科の導主に頼み込んで調査を依頼したんだ。そしたらなんだかそいつの背景が怪しすぎるんだよ。特に幼少期に今のNo.0幹部、Ⅸと深い関係にあったという可能性が浮上している。つまり”スフィアの僕”も危険だっていう可能性は否定できないってことだ。もしかしたら”クォデネンツの守り場”みたいになっているかもしれない。長くなったが、言いたいことは一つだ。全てを信じるな、全てを疑い全てを利用しろ。そうすれば万事うまくいく。ソースは俺だ」
そう言って彼は疲れた体を起こすことを諦めて地面に倒れる。自分が思っていた以上に疲労が溜まっていたみたいで、それ以降どんな声掛けをしてもケリンは反応しなかった。ローズはそんな彼をイギリスまで送るという仕事が増え、フレイヤの首飾りも安全な場所に保管しなければならないことも踏まえるとここで離脱ということになる。
「すみません、最後までお供できなくて」
「そんなことないですよ。いろいろな場所を案内してもらったんでそれだけで十分です」
彼女は謝っていたが、それ以上のものを彼女は僕たちに提供していた。ここからは自分達だけでもどうにかできるはずだ。スイスまでの便だけはケリンさんが手配していたものを貰って、樹海の外まで一緒に出るとそこからは別れとなった。
「ローズさん、面白い方でしたね」
「うん。なんだかサイドゥンみたいな雰囲気もありながら、だけど誰も気分を悪くさせないように気の遣える人だった」
空港までの道のりでは束の間の休息ができた。フレイヤの首飾りについてはほとんど見ていない雪広やマイクラストは不服そうだったが時の運というものだってあるよ、なんて慰めたらまた怒られた。空港に着いて車から降りると雪広は思い出したようにこれから乗る飛行機の事が思い浮かんだみたいで、頭を抱える。
「また飛行機に乗るの?!」
「まぁ、そうなるよね」
「もう帰りたい…………」
彼女が何と言おうと飛行機に乗らずしてスイスに向かうことはできない。イギリスに行くほどではないが、また空の旅をしないといけなくなった。だが飛行機に乗ってみると案外そこまで気落ちすることもなく全員が疲労で気づけば眠りについていて、目が覚めたのはキャビンアテンダントが肩を叩いたからだった。
「…………もうそんな時間」
家接は隣で寝息を立てている雪広を起こすと迷惑にならないようにとすぐに飛行機から出た。とりあえずロビーのベンチまで向かったが、まだ夢うつつな人も多くどこか疲労感が拭えない。やっぱりあの時に感じていたのは一時の元気で実際にはそれは錯覚だったらしい。
伸びをしてとうに日が暮れている外を見る。いつから知らない土地にいるのが当たり前になったんだろうかと黄昏るが、そういえばまだカラ爺に何も言ってないことを思い出して早速電話をする。
「あ、家接君。おはよう」
「こっちは夜ですよカラ爺」
「そういえばそうだったね。ところであれからあまり連絡が無かったけど、その間の話を聞いても良いかな?」
話せば長くなるが、みんな眠たそうにしているし良いか。月が昇る夜空を眺めながらのんびりと話していると時間の流れを忘れる。月がいつの間にか消えていて初めて自分が話し込んでいたことに気が付いた。
「なるほどね。…………よしっ、僕もそっちに向かうよ。それが終わったら一度魔術協会の人には、はっきりと言っておかないといけないからね。君たちは魔術協会の都合のいい駒じゃないってことをさ」
カラ爺との電話が切れて周囲に目をやれるようになる。僕の声が子守歌になっていたみたいで、飛行機の中のようにベンチに体を預けて眠りについている三人が目に入った。仕方がないななんて思うも、まだ外は暗いまま。気づけば自分も目が虚ろになっていて、次に目を覚ましたのは日差しが瞼の裏から家接に朝を知らせた時だった。
「…………んっ。寝てたのか」
営業の無い空港は眠りについている人がたくさんいるが閑散としている。その形容しがたい不思議な感覚の中で隣でまだ目を閉じたままの三人を起こす。すでに起きかけだったメイニーは家接と一緒に残りの二人を起こすが、目を覚ましても随分と機嫌が悪そうだ。だが家接とメイニーも負けてられない。毅然とした態度のままタクシー乗り場に向かう二人に仕方なく後ろを着いていく。
そうしてまだ朝早いというのにタクシー乗り場で四人分、スイスにある”スフィアの僕”があるとされる住所を言うと運転手はすぐにアクセルを踏んだ。乗ってしまえば早いもので車に揺られながら目的地に着く。降り立った場所はのどかな平原、澄んだ空気の中にある大きな家だった。近くには大きな樹と、その下に置かれたベンチが風情を感じる。
「こんな普通の家みたいなのが魔術組織の本部なのか?」
タクシーの中ですっかり目を覚ましたマイクラストはたっぷりと睡眠をとったようで口も良く動く。確かにそれは少し気になるが、もらった情報が間違っていないとするならここが”スフィアの僕”のはずだ。
そういえば事前に来ることも連絡していなかったことを思い出したが、よく考えれば彼らの連絡先を知っているわけでもないのでどちらにせよアポなしで訪問することになっていただろう。家接はドアの前にある手持ちの金具を持って音を鳴らした。
「はーい」
しばらくして扉の奥で女性の声が聞越えてきた。まだ少し早かったか? そんなことを思っているうちにその声の主が扉の鍵を外して開ける。中から顔を覗かせたのは以前に会った時よりもかなりラフな格好をしたエマの姿と、その後ろで朝ご飯を食べているスヴィンの姿だった。
「え、なんでここに家接くんがいるの?」
彼女は慌てて扉を閉めようとするが、マイクラストが足を挟んだおかげでその足は犠牲になったものの閉じられずに済む。急に訪れたのは悪いとは思うが、こっちも急ぎということもあって手短に要件を話すとすんなりと中に入れてくれた。
生活感漂うリビングに向かうが一人一人座れるような椅子は無く食卓ではまだ起きたばかりなのだろう、スヴィンがちょうど朝ご飯を食べ終えて洗面台へと向かっていた。急いで食器をしまって着替えを済ませると言われて十数分。すっかり準備の整ったスヴィンと、エマがリビングに再び現れた。
「…………つまり、Ⅴがロシアを越えてこっちに向かってきてるってこと?」
「そうなるわね」
エマはともかくとしてスヴィンはさっきから深刻な顔をしている。ひとまず自分たちが来た理由を話すと、これからのことも彼らと話し合わないといけない。まずはⅨの実態だ。ケリンさんが言っていたとおりに彼はそのⅨと関わりがあるのかを自分たちはこの会話の中で見極めなければならない。そしてそれは二人にも悟られてはいけない。
たとえ負けるつもりがなくとも、この組織でトップの実力がエマと決まったわけではないのに現状家接でも彼女には勝てない。慎重にならざるを得ないと言った方が正しいだろう。だが家接はそんな回りくどく聞くことは無かった。なぜなら、戦いの中で彼らがそんな人物ではないと直感的に思ったから。
「”スフィアの僕”はⅨとどんな関係があるんですか?」
普段なんてことないエマの表情が一瞬にして変わる。だってこれは、スヴィンの始めた物語だから。




