北西に沈む彼方
元々、レイモンドは上の決定に期待していたわけではなかった。なぜなら今までの経験上でそんなことは起こり得なかったからだ。だからこそ頂主が即断で魔術科を派遣する決定を行ったのには驚いた。
「いいんですか?」
「ロシアという国に留まっていたからこそ容認していたというのに、北欧にまで進出されてはきっと表舞台の住人にも遅かれ早かれ気づかれる可能性が高い。それなら初めからその芽を潰しておいた方が早いというだけの話だ」
こうしてケリン率いる魔術科の人たちは、アメリカでの一件があってからまだ間もないというのに再びの派遣命令に面倒くささを隠しきれない様子で魔術協会を先に出ていく。だが彼があまり行きたがらない理由は他にもあった。前回のアメリカでの祭典で、ケリンは多くの部下を失った。その中にはこれからの才能に溢れた者や互いを愛し合った者、そして彼自身が魔術学園から卒業してからずっと部下だった者もいた。
だがそれももうここにはいない。今は墓の下で静かに眠っている。これ以上の犠牲は出したくないという思いとⅤを捕まえるという気持ちを天秤に架けて彼が選んだ選択肢は、魔術科でも精鋭の10人と共に北欧へと旅立つことだった。
そしてその後に続くようにして魔術協会とローズの一行も北欧に向かうことになったのだが、その間に彼らはレイモンドがいなくなったことをいいことにして悪いとは分かっていながらも他の幹部についての資料につい手を伸ばしていた。特にⅣの資料は分厚くどう見てもそれが一人の人間によって行われたとは思えないほどの所業の数々が最初の方から書かれていた。
だが捲っても捲ってもそこにはⅣの本体に関する記述は無く、あくまで人形によって行われたことがびっしりと書かれているだけ。少なくとも彼女は10年以上その席にいるようで記述から読み取れることは彼女の年齢がほとんど見た目通りだということくらいだ。
10年前は突発的な犯行とも呼べるものが多かったが、最近になってⅣのすることには狡猾さが見えるようになってきた。日本にある魔術学園の件もしかり、天目の壊滅の件もしかり。Ⅳは精神的に成長している。
そんなⅣだが、彼女の行方がこれだけの時間が経っても判明しない一番大きな理由は彼女の活動領域の広さにあるというのが記録科によってまとめられた資料の出した結論だ。Ⅳの拠点はイギリスとされているのにも関わらず、彼女が最後に目撃されたのは日本でありその前はノルウェーであった。そしてその前に現れたのはタイともうどこにでも現れると言ってもいいくらいに出現場所がⅧと同レベルで多い。そのくせ活動的になっているのは全て彼女の生み出している人形ということで、そこまで高精度の人形を近くにいずに操れるわけがないというのが従来の考え方だがそれをあてにして調査をして本体を見つけられた試しは一度としてない。
そのためⅣの排除には占星術が必須と記載されていた。もちろんまがりなりにもⅣの仲間であるⅧが自ら情報を売る可能性など考えられない。Ⅳが発見不可能と結論付けられた所以はここにあった。
「みなさん、ここを出る準備は整っていますか? 頂主からの許可は出ました。早速出発してもらいますね。先に魔術科の導主の方には先行してもらっています。みなさんには彼らが出向かなかった場所に向かってもらうことになります」
どうやら呑気にⅣの資料を見ている暇はもうないらしい。早々に閉じると全員が早速空港へと向かわなければならなくなった。途中でお金に関して今回は気にしなくていいとの連絡を貰ったので早速飛行機はいつもよりも良い席をローズは迷いなく取っていた。
「これで少しは快適な空の旅を過ごせますからね!」
なんて言っていたが、取ったのはファーストクラス。まさか人生で乗る機会がやってくるとは思わなかった。そのおかげなのかは分からないが、長いようで短い空の旅はあっという間に終わってしまう。ただ、五人も乗ったので降りてからはやはり当然のようにローズの携帯はけたたましく鳴った。自分たちといた時にはそんなものは一度として見せることは無かったがさすがに我慢の限界が訪れたんだろう。導主の叱り声が携帯を貫通するかと思うほどの声量で聞こえてきた。
その時に聞こえてきた額があまりにも生々しいせいで家接たちはそそくさとその場から離れていった。自分たちはその恩恵を受けているので何も言うことはできない。とりあえず外で待っていると相当言われたのかやさぐれた様子のローズが遅れて出てきた。
「…………ごめんなさい、帰りはエコノミーで」
「いや、大丈夫ですよ。行きだけでも体験したことないくらい快適だったので」
「それなら良かったです。このことは忘れましょう、今は考えてくもないです……。はいっ、じゃあ行きましょうか!」
彼女は自分の顔を叩くと気持ちを切り替えてこの北欧の地での調査に集中することにした。とは言ってもやることは前回と同じで車を使って魔術科の人達が行かなかったところに向かうということだったのだがそこがよりにもよって車で出向くことができないような自然に満ち溢れたところだった。
となると移動手段は他に頼らなければならなくなる。当然そこで一番にあがるのは雪広の魔術だったが、今回はそうもいかない事情があった。
「実は、さっき叱られたついでに言われたことなんですが今回は雪広さんの転移の魔術は使わないで欲しいと言われました」
「自分で言うのもあれだけど、それはどういうこと? 私より都合よくそこまで向かうことのできる手段があるなら私だって魔力を消費せずに済むから良いんだけど」
「そういうことではなくて、単純に危険な地帯ってだけです。自然が豊かで高低差もあるので万一少しでも座標が違ったりしたらそのまま転落なんてことになりかねないみたいなんでここは慎重に行きましょう!」
そういうことか。確かに転移した場所がそのまま空中で下に渓谷が広がってるなんて状況になったらたとえ風の精の先祖返りである家接でもどうにもならない。たぶんできて自分の体を最大限の風で吹き飛ばしてどうにか無理矢理地面に着地させるくらいで、そんなことをしたら重傷を負うのは確実だ。
そのため目的の場所の近く、車が行けるところまではタクシーを二台呼んで向かうことになる。乗り心地が日本のと比べたら良いかと言われたらあれだが悪くは無かった。
「さて、ここからは歩きですよ。みなさん気を引き締めてください!」
「…………これ、なんか悪意感じない?」
ローズと対照的な雪広の悪態が漏れるが、それもそのはず目の前に広がっていたのは見渡す限りの自然と渓谷。広大な木々に覆われたそこは流れる川の音すら掻き消すほどに自然のさざめきが覆い隠している。どこからどう考えてもここにⅤがいるとは思えない。というより魔術組織すらあるのだろうかというレベル。人の痕跡すら探すのが難しそうだ。
「でも、他のところは全て魔術科の人たちがローラー作戦で潰していっているらしいんで、残ってるのは自然が大半に包まれた場所ばかりになってしまって。私も本当は町とかでの調査の方が良いんですけど、ケルトの遺物を狙ってるってなるとこういう場所にいる可能性も捨てきれないかなぁ? みたいな感じです」
「貧乏くじ引かされたってわけね。それならそれで先にその遺物とやらを見つけちゃえばいいんじゃないの?」
「そんな簡単にはいきませんよ。一体いつから北欧神話が伝承されていると思っているんですか? それに北欧神話はやはり戦いの物語が多い。Ⅴの手に渡らせたくないというのが協会側の本音でしょう。じゃないとこれだけの人は動員しないでしょうから」
結局、あの後人が足りないということでケリンは急遽100人ほどの魔術師を要請した。結果的に大捜索が行われることになったがそれは他の魔術の組織にも伝達されなかったことでアイルランドやスイスの魔術組織からは派手に動きすぎだという指摘も受けたという。とはいえ、今はⅤの捜索が優先。ローズたちもその広大な自然の中に飛び込んでいく。
「こんな自然豊かなところのどこに遺物なんてあるのよ」
「意外と落ちてるかもしれないですよ、トールの槌とかスルトの剣とか」
そんな簡単に落ちていたらそれはそれで困るだろう。日本で言えば草薙剣がそこらへんに落ちているようなものの気がする。そんなことは万が一すら考える必要がない。
それにそんな神代の遺物が落ちてなんていたら一帯の魔力ごと支配していそうなものだ。適切な場所に適切に保管されているような気がするのは自分だけだろうか。
「にしても魔術師みたいな魔力は全く感じないですね」
森の中、と言ってもどこか誰かが切り開いたのか道になっているところを進んでいく。雪も積もって辺りが白色だけになっているのが自分たちの居場所を狂わせてしまいそうで不安だが時折木の枝を折って目印にして進むことで遭難することだけは避けようとする。最悪の場合雪広の魔術で脱出なんて考えもできるが、彼女の指定した座標が遠すぎれば帰還できない可能性もあることを考えれば妥当な進み方だ。
「意外と、あてもなく進むのって暇ですねっ」
全然暇そうに聞こえない声でローズが呟くが、それに賛同するものは誰一人としていない。彼女の足はまったく衰えることを知らないように黙々と進んでいるが四人は山道を普段から通っているような人間ではないので割とすぐにバテていた。
彼女はそんなことにも気づかずに進むので必死にくらいついていたが遂にメイニーが脱落しそうになったのでさすがに彼女を呼び止めて休憩することにする。けっこう森の中に進んで男子陣である家接やマイクラストでも疲れが顔に出始めていたというのにそこには汗の一滴すらない。これが研究や情報収集に明け暮れる記録科の人の日常なのかと考えるとそれだけで恐ろしい。
だが何よりも恐ろしいのはきっとそれを嬉々として作業をしている科の人達なんだろうなと思う。水分補給をして枯れ木に腰を下ろすとゆっくりと吐いた息が白くなって空気に混じって消えていく。少し高めのところで休憩したことで奥に広がる自然が一望できた。
「やっぱりすごいな。こんなの日本じゃみられないよ」
「確かにそうですね。綺麗な景色の写真が載ったカレンダーの一枚にありそうですよね」
それくらいにこの銀景色は見ていて心がどこか落ち着くような癒されるような、そんな感じがする。全員が最低限の登山装備しか持っていないため長居はできない中でこの広大な土地を見て回るのはかなり難しい。その証拠にメイニーは歩き出してから10分そこらで音を上げたし、他のみんなもローズのようにハイペースでは進めない。
とりあえず野営ができそうなところまで行こうということで進んでいく五人だったが、なぜかある地点を越えるとずっと感じていた寒さが消え、視界も白色一色の世界に段々と緑が生い茂る様になってきた。
「なんか、変じゃないですか」
「確かにな。ここもロシアと同じくらいの緯度なら冬のはずだろ?」
まるで自分たちだけが異世界に迷い込んだような、奇妙な感覚を覚える。ついには雪は全くなくなり鳥たちの囀りや渓谷に流れる川も視認することができるようになった。一体ここで何が起こっているのかは分からないがいずれにせよ進むのが良い気がする。ここなら野営をしても凍死することは無いだろうし。
「それにしても、こんな自然豊かなところは久しぶりに来ました! 最近は文献を漁ってばかりだったのでたまには遺跡探索みたいなのも良いですよね」
「そういうもんですか…………?」
とりあえずここが結界内である可能性もあることを考えると雪広の魔術で離脱できる手段を残しておきたい。彼女はスマホを開いて現在地の座標を確認しようとするが、森の奥深くだからか一向に電波が繋がる気配がしない。
「困ったわね。ここ、ずっと圏外だわ」
「ほんとだ、僕も圏外だ」
試しに全員がスマホを出すも、どれも電波が届くことは無かった。となると座標を調べる手段がない。彼女が魔術を使っている時にいつも意識していることは、転移先の場所をイメージすること。その手っ取り早い方法としていつも座標を調べているが、それが無理となると彼女が転移できる先は何か目印のようなものが必要だがこの辺りにそんなものはない。むしろずっと雪景色の森の中を進んできたので転移しようと思うと空港とかになる。さすがにそんな莫大な魔力を雪広は持っていない。
「面倒くさいけど、ちょっと戻るわよ。アンカーを設置しておくから」
全員で雪があるところと無いところの境目まで戻ると彼女はこういう時のために準備していた用意していたみたいで、ちょうど境目に生えていた木の枝を折るとそれを使って木の幹に陣を刻み込んでいく。基本的に結んだ印と詠唱で魔術を使う彼女が魔法陣を使う様子が新鮮で、後ろで見ているとなんだか恥ずかしくなってきたのか手を止めてこちらを向く。
「ちょっと、集中してるんだか見てこないでよ」
「でも雪広がそういうの使うのって初めて見るから」
「私だって使う時は使うわよ。とにかく、あっちで作戦会議でもしておいて」
そう言って彼女が作業に戻るので仕方なくそうすることにした。ローズは既にその状況をメモに残していて、マイクラストは緑のある方を見て何かを考えていた。
「Ⅴはいると思う?」
「さぁな。だが、いなくても何かがあるのは確実なんだろ。それなら行けばいい。いずれそれがⅣに繋がるなら余計にだ」
「でも、どういう魔術なんでしょうね。気候すら塗り替えてしまうなんて魔術は私には想像がつかないです」
そんなことができる魔術…………確かに想像はつかない。だが、神話の遺物であるならできるかもしれないという思いを抱えながら雪広の準備が終わる。
「何考えてるの? さっさと行くよ」
考えててもしょうがない。ローズも準備が終わった雪広を見て進み始めた。この大自然の奥地に何があるのかは自分の目で見なければならないのだから。




