アルプスを背中に
のどかな平原、澄んだ空気の中大きな樹の下に置かれたベンチで互いの顔を見る二人の間には神妙な空気が流れていた。下手に出ている男の方が年齢は上だが、かと言って応対している男の方もあまり強気には出れない。互いの出自を明かした上で話す会話にはその組織の重みが乗り、話はとんとん拍子のようには進まない。
「信用もないような人の言葉を真に受けるほど度量の大きな人間じゃないぞ僕は」
「そうですね。はっきり言えば、これは信頼関係が構築されている上でお話しするべきことでしょう。しかしそうも言っていられない事情が我々にはあるのですよ」
「だから、それも結局はそっちの都合に過ぎないっていうことなのが理解できてないのか?」
「…………もちろんです。こちらの要求を先出しにした私の落ち度だというのは重々承知の上での提案ですから。ですが、今からお伝えすることに納得することができれば私の非礼を許してはもらえなきでしょうか?」
「そんなもの、内容によるに決まっている」
はっきり言って彼に対する心象は最悪だ。こんな海をも超えてわざわざここに来るのを見ても、目の前にいる男はまともではない。交渉の余地なしというのがすでに出ている結論だが、まだ聞く必要はあるか?
「これはⅢからの招待状です。ニューヨークへ来ていただくというのが我々の提案です」
「待て。さっきお前はA級4N犯に所属していると言っていなかったか?それがどうしてNo.0のⅢからの招待状を持っているんだ。…………よくもまぁ信頼関係が必要な場でそんなものを交渉の材料にしようと思ったな」
「呆れるのも分かりますが最後まで聞いてください。そうすればきっとあなたも納得するはずですので」
「そうやって都合のいい言葉を並べても、僕は頭を縦には振らないぞ」
ここまで高圧的な態度を取られても相手は一向に引く姿勢を見せない。だが、自信を盾にした彼が後ろを向くことはないと、交渉の場に立つ少年は考えるにはまだ若い。
「知っていますよ。だからあらかじめⅢはⅧからⅨの手掛かりを手に入れています。もしこの招待に応じてくれるのであればその情報を渡しても構わないとⅢは言っていましたね」
この時少年は話を最後まで聞いてよかったという思いと、相手が思っていた以上に交渉が上手いということを悟った。だがそれを今気づいたところで遅い。交渉は、それが始まるまでにどれだけ準備をしていたかによって決まるものなのだ。相手を把握していない者が相手の策を見抜くなど、天を仰いで星を掴むように荒唐無稽な話だ。
僕が一番欲しいと思っている情報を的確に持ってきている。だがどこからその情報を?
考えていても仕方がない。こんなチャンス、この地にいてもあるかどうか分からないんだ。罠だと分かっていても乗る価値は十分にある。
「分かった。とりあえず受け取っておく。招待に応じるときは直接向かわせてもらうよ」
「良い返事を期待していますね」
そう言って彼は封筒を置くと行ってしまう。
外に出ていく音がして扉が閉まると聞き耳を立てていた数人の仲間が顔を出して部屋を覗き込みにくる。子供たちは純粋な興味から、そして大人たちは心配の眼差しで。その一人、エマはちょうど彼と視線が合った。
目が合っても何も言ってこない彼女を見て、だんだんと自分の選択に自信がなくなってくる。本当はあの時に追い返していた方がよかったのかもしれないと心の中で揺らぐ。どうしても答え合わせがしたくて少年は気づけば思いを口にしていた。
「なんだよ。言いたいことがあるなら言ってくれ」
「別に無いよ。私たちはマスターの指示に従うだけだから」
「……そのマスターってのもやめてくれ。そもそも僕たちは仲間だ。そんな上下関係、いらないだろ」
やっぱりその呼び方はなんだかむず痒い。しかもそれを年長者は嬉々として呼んでくるもんだからこちらとしてはたまったもんじゃない。彼女を見ると案の定、ニマニマとして笑っている。反射的に睨み返したが全くもって無意味だ。
「どうしたの?意見を求めるってことかな」
「そうだよ!結局、さっきの招待状を最後まで受け取ってよかったのか分からなかった。Ⅸの手がかりを得られるならって思いだったけど情報としか言ってないし。だいたいまだできて一年も経ってないんだぞ?こんな小っさい家をどうやって見つけたんだあいつは」
少年の体を引っ張りあう子供たちを傍目に女性は思慮する。
だが出た結論は同じなのか、彼女は頭を横に振った。
「たぶん、私も同じ選択をしたかな。私たちはスヴィンに助けられて着いてきたからその恩っていうのもあるけど、スヴィンが喉から手が出ても欲しい情報ならきっとあの男の人の提案は呑んだと思う。で、スヴィンの立場に立って考えても変わらないね。もうⅨがこの国にいるのかすら私たちじゃ把握することはできないんだもん。Ⅷの情報が信頼におけるものかはさておいて、同じNo.0の幹部からの頼みを無下にするほど組織のメンバー同士が不仲じゃないと思った方が今はいいんじゃなないかな」
「そうか。なら、良かったんだよな?」
「まぁ正解か不正解かは、招待状の行く先で何が起こるか次第だけど。ちゃんとⅨの情報を手に入れれば正解だし、無理なら骨折り損。だけど組織を作って間もない今、都合の良い話が舞い込んできた。きっとみんな賛成するよ」
「そうだな。嫌と言ってもこの組織の長は変わらない。少しはみんなにまとめ役らしいところを見せないとな」
「その意気ですよ、マスター」
「やっぱりその呼び方だけはやめないか!?」
「イヤですよ。マスターはマスターです。私の前に現れたのはその人ただ一人なんですから」
脳裏に浮かぶ彼の面影は今も強く逞しく、そして輝いている。いつかまた、そんな瞬間を目にできる日を彼女は待ち望んでいるのだ。




