戦場の愚者
ルッチは自身が完全な悪であったならと思うことは一度や二度では無かった。Ⅳのように性根から腐った存在であるのならその行動を喜び、Ⅲのように冷酷無比であればきっと自身の選択に迷いというものを生じさせるはずがない。
私の前身であるⅡの数字を賜った女も未だ見つかっていない四大精霊の一つであるウンディーネを隠して姿を消した。何の痕跡も残さずに姿を消している辺り、きっと彼女は完璧な詐術を施したに違いない。
だとするのであれば私はⅡとしての役割を正しく果たせているのだろうか。答えを返すのだとすればそれはきっとNoだろう。いざというときになって魔術協会の婆ちゃんを殺せるのかと言われればきっと迷いに迷う。その先の選択が殺すことになるのだとしても、そこで迷っている時点で私はこのNo.0を背負うには相応しくないのかもしれない。
彼の目の前に広がる荒野の先に彼らの気配を感じ取る。やはりあの程度では死なないか。一つのビーコンが破壊され、このままいけば数日もしない内に限界を迎えて大陸は姿を見せる。その前に龍脈にビーコンの設置を完了させなくてはならないが、目の前にいる彼らはきっと手負いのはず。あれ以降魔術協会から主力な魔術師はビーコンの調査に駆り出されていない。現状把握を最優先事項としていることを考えれば、この二人を始末することで私の目的の達成に必要な時間は十分以上に確保できるはずだ。
三人の邂逅はそれほど時間はかからなかった。理由は単純、相手の乗っていた車がガス欠を起こしたからだ。バイクを降りたルッチは車の前に立ってこちらを待ち構えていた二人を見る。
「私を歓迎してくれるのかな?」
「もしそう思うなら脳を医者に診てもらうと良い」
すでに家接は先祖返りをして相手を迎え撃つ算段を整えている。仕掛けた魔術はすでに砂に隠されていて、ちょうど彼が降りた後方に設置した。家接は短剣に手を掛けるとゆっくりサイドゥンから離れつつルッチの方を見ながら尋ねた。
「あなたの目的を教えて貰えませんか。あなたはこのオーストラリアを隠して世界から認知することのできないような状態にして何を成したいんですか?正直に言って理由が分からないです。これほどまでに大規模なことをしているのもそうですし、No.0がそんな人の目に付くようなことをしてきた組織じゃないからこそあなたの行動には疑問を感じる」
目的は数字を賜った者達の行動の本質であり明かすことは基本無い。だが、明かしてはいけないという事も無いだろう。きっとⅠは彼らに語ったはずだ、その目的が導く彼の末路も。
徐に箱から取り出したトランプから一枚のカードを抜いて投げる。受け取った家接はそのカードを見て顔をしかめた。スペードのA。彼が残りのカードをばっと投げて指を鳴らすと全てが燃え尽きて消える。そうして家接の投げかけた疑問に答えた。
「それはね。私がそういう運命を背負っているからだよ。もうこの世界と関わる必要は無いと思ったんだ。平穏で誰にも犯されない。たとえNo.0がこの世界を支配することになったとしてもここは、私の生まれ育ったこの土地だけは何もされたくない。そんな私の、僕のエゴがその理由だよ。これで満足したかな少年?」
シンプルな回答は余計に彼を困らせた。なぜならそれだけを聞けば彼はただ故郷を憂う一人の青年であり、少なくとも世界を脅かすような組織に属しているような人間なんかじゃないからだ。そう、どちらかと言えば彼はⅠに近い。自らの妻への復讐のために入った彼にとって課された目的は二の次に過ぎない。彼もきっとその口なんだと分かると、敵対関係にならずに済む方法があるのかもしれないと考えた。
「それなら、僕達と敵対する意味は無いんじゃ」
「残念ながらそれはあるんだよ」
ルッチは続きを聞く前に答えた。だって互いの目的は根本的に異なっている。たとえどちらかが譲歩して敵対関係を解消したとしてもその譲歩によって埋めた溝はいずれ大きな窪みとなって現れる。
一度でもここから誰かを脱出させてしまうようなイレギュラーを起こそうものならそれはもう完璧な査証ではない。隠されていない魔術は世界に観測されることで意味を成さなくなるんだ。
「金輪際世界にオーストラリアという存在を認知させないようにする。そこから出ることもできなければ入ることもできない。そこに例外は無い。これからも君たちはこの土地で生き続ければいいじゃないか。それのどこに問題がある?」
「……帰らなければならないので」
「ほら、私と君たちとではわかり合えない。仕方の無いことだよ」
どこからともなく現れたステッキを持つルッチはまるでマジックショーでも始めるかのようにステッキを振り回していく。やがてそのステッキを手に当てると彼の頭をすっぽり隠すような真っ黒の帽子が現れる。先から旗が現れたかと思うとそれは一瞬で彼の羽織る衣装となった。
「ケジメっていうのはこういうことを言うのかな。さようならだよ」
”マジシャン”としての正装を選んだ彼はルッチとして僕達の前に立ちはだかる。僕はこれ以上の対話は望めないと思って手にしていた短剣を鞘から抜いた。瞬間、刀身に風が纏いだし切っ先は小さな竜巻が起こったかのように砂を巻き起こす。サイドゥンも杖で地面に円を描きながら臨戦態勢を整えた。
ルッチはもう何度目かになる魔弾の魔術を見せた。サイドゥンに向かうその魔術は確実に彼女を飲み込んだが、そこには無傷で立っている彼女の姿がある。
「飽きたよ、その攻撃は」
彼は出会ってからこの魔術師か用いていない。オーストラリアの大陸にかけられている魔術もそれと同じ要領で構築されたものだろう。もし彼の魔術がこれしか無いのだとしたらこの戦闘に意味はないんじゃないか。
「こっちの番。魔弾、掃射」
大きな一発の弾丸が彼に向かって飛ぶ。もちろん避けられるがその軌跡には何も残っていない。
そんな攻防を数分繰り返していたからだろうか。彼が着々と準備を進めている事に全く気がつかなかったのは。家接が砂嵐を起こして相手の視界を奪いつつ小さな魔弾をいくつも射出する。彼を砂嵐で囲んで風に火を纏わせて中にいる者を炙っていく。色々な方法で責め立てても彼には効かない。未だ僕達はきっとマジックショーの舞台を見させられているのだろうと思ってしまうほどだ。
「仕掛けは上々」
「錬炎、砂塵を纏いて燃やし尽くせ」
起こした砂嵐は炎を纏って火の柱を造り上げる。走りながらその中にⅡがいるのを確認すると近接戦に持ち込むために近づく。スピードでは分のある家接の攻撃にルッチはステッキで応じるほか無い。
しかし切っ先の短い短剣。レンジだけで言えばステッキの方が長いこともあって攻撃が届くには至らずに火の柱に囲まれながら二人は拮抗する。
「諦めても良いんですよ」
「どうして私が諦めないといけないのかな?」
「よく見てください。この火柱は中が少しずつ狭くなっているんですよ」
熱を帯びた砂が肌を刺すのがさっきよりも頻繁なのはそういうことなのかと彼はすぐに理解した。そして理解した上で彼はそんなことは気にすることでも無いとステッキを強く握り簡単に家接を払いのける。体制を崩した家接がすぐに顔を上げると彼は初めて詐術以外の魔術を見せた。
「どうやら、私がイカサマしかできないただのマジシャンだと君たちは本気で思っているみたいだ。そこまでお望みだというのなら、私の魔術も君に見せてあげようじゃないか」
両手を広げた男の手から離れたステッキはゆっくりと地面に落ちるとそのまま直立の状態を保つ。身構えた家接の背後に忍び寄るのに気がついたのはルッチが魔術を使ってからだった。
「構える必要は無いよ、ここにいるのは私と君だけ。そしてすでに君はも私の術中だ」
気がつけば四方を取り囲むようにしてステッキが地面に突き刺さっている。そこからゆっくりと噴水のように水が溢れだし地面を水浸しにしていく。役目を終えたステッキはルッチ「が目の前にある一つを取ると同時に蜃気楼のように消え、すぐに雷の魔術を地面に迸らせた。
いくら素早いとはいえ家接が電気の速さに勝てるはずはない。咄嗟に導いた結論は地面を水浸しにした水を風で宙に舞わせることだった。家接は当然、感電して動けなくなったが水が浮かんだ軌道の先にいたルッチにも電気は返っていって結果的に両者ともに電気に当てられて動けなくなる。
家接の方がダメージは大きいが先祖返りの力があったということもあって致命傷は避けていた。彼の方もステッキを使って地面に電気を流したことで全身を感電することなく済んだ。
「あやうく私が死ぬところでした」
「殺そうとしてきたんですから文句は言えないですよ」
「それもそうですね」
さっきよりも炎の柱は範囲を狭くしていき、もう二人の距離は10メートルも無い。本来2対1で有利な場面をわざわざ一騎打ちに持ちこんでしまっているので外からの支援を望むのはほとんど無理に等しい。だが依然として有利なのは家接側だと両者とも心の中では感じていた。
「なっ!」
だから気づくことができなかった。格上だと思われる相手に優位を取っている状況がどれほど奇妙で警戒するべきかを家接はまだ知らなかったのだ。
ゆっくりと彼の四方にはステッキが姿を現す。さっきのは詐術じゃなくてただ見えなくしただけ。存在しないものをあるように見せること、あるものを無いように見せることその使い方の塩梅があまりにも上手すぎる。これにはさすがマジシャンと言うしかなかった。
ゴムのような何かがステッキの先から伸びたかと思うと家接の四肢を掴んで引き寄せた。先祖返りの力を持ってしても身動き一つ取れない。風や炎の魔術を使ってもそこには傷の一つすら付かず、地面に埋まっていくステッキによって家接は地面に貼り付けにされてしまった。
「さて、これで私は目的を達しただけでなく精霊の先祖返りも生け捕りすることができた。これ以上良い結末は無いだろうね」
ステッキは再び地面にせり出すと、僕を豚の丸焼きにでもするかのような格好にするために手足を縛ったステッキが交差する。屈辱的な体制にされているが最後の希望に縋るとするとするなら、まだ炎の柱は消えてない。一体ここからどうするつもりなのだろう。
「さすがにそろそろ鬱陶しくなってきたね」
すると彼を中心した風が渦を巻いたかと思うとそのまま炎の柱を飲み込んで相殺してしまった。残ったのは惨めな姿となった家接と無傷のルッチ、そしてその戦いを外から待つしか無かったサイドゥンだ。
「待ちくたびれたよ。盲目の美少女を炎天下にこんなに放置してはいけないと教わらなかったのかい?」
その言葉通り、彼女はこの時間で最大限の力を発揮した。炎の柱が降りるその瞬間をずっと待ち構えていたのだ。反撃の間も与えないほどの魔弾の応酬がルッチを襲う。もはや爆撃と化したその攻撃で起こった砂埃は男の姿を隠した。家接を縛っていた魔術も解除され、魔弾が収まると同時にその場から離れる。
「凄い攻撃だね……」
「もちろんだとも。どれだけ私が暇を持て余したと思っている。これくらいの攻撃は受けてもらわないとね」
まるで相手がなんともなっていないのが分かっているかのような口ぶりに答えるようにルッチは無事ではないものの一応は立ち上がって見せた。無差別級の攻撃は詐術でも防ぎきれるものではないらしい。息切れした様子で彼はサイドゥンを見た。
「やはりあなたは危険なようだ」
「それは嬉しい評価だね。Ⅱである人にそんな風に言われるなんて思ってもみなかった。だけどそれよりも、私は思ってもみなかったものが目の前にあることに驚いているよ」
ずいぶんと興奮した様子でルッチに近づこうとするので僕は慌てて彼女を止める。しかしそれでも近寄ろうとするその目は、闘争心に駆られているかのようだ。
「なるほどそういうことか」
やっとルッチは全てを理解した様子で再び彼女を見た。その目を見れば互いに状況は理解に及んだはずだ。サイドゥンはさっきとは打って変わって捕食者のような目になりルッチは考えていなかった退却の選択肢を選ぶ。
「魔眼収集社の方だったとはね。どうりで手強いわけだ。だけどね、残念ながら私のこれは譲るつもりは無い」
「奇遇だね。私も君から譲り受けるつもりは毛頭無い。なぜならそれほど強力な魔眼を、そもそも生け捕りにできるなんて最初から考えていないからさ」
さっきまでの魔弾の押収は手の内の本の一部だったとでも言いたげなくらいに大量の魔弾は逃げ場を残さないほどに彼を取り囲んだが直撃する瞬間、ルッチは静かに笑っていた。




