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父親の仕事の手伝いでリクトワールから2度目の帰国をしたハーシュメルトは、じきに18歳の誕生日を迎える。サンセベリアに着いた船をおり、ルディアーノと父親とともにひさしぶりに自宅へ帰ったハーシュメルトは、届けられていた手紙に手を伸ばし、宛名だけをさっと見て、父親のものと自分のものとに分けた。ルディアーノ宛の手紙が1通あり、気になって差出人を見ると、マクスベルト・コーマックだった。ハーシュメルトは自分宛の4通の手紙の差出人をよく確認したが、待っている人物の名はなかった。
「わたしにも返事はないもの。王さまとキングが同時に代わって、きっとそれどころではないのよ」
気持を知るルディアーノは、ハーシュメルトを慰めた。
「忙しいのだとしたらさ、その理由が心配だな。ちょっと誰かに聞いてこようか。ねえ父さん、外でウォールレストのようすを聞いてきます。昼食までにはもどります」
若いふたりが出て行くと、父親は手紙を取った。友人や知り合い、仕事の関係者からの手紙のなか、ひとつだけ高価な紙質の、紋章入りの封筒が目に付いた。封筒には差出人の名が書かれていなかったが、それは見覚えのある5輪の花の紋章で、昔の書類を探してみると、おなじ紋章が見つかった。アーノルフィニ家の紋章だった。書類は妻殺しの裁判に関する文書のひとつであったため、かれは当時の不快な記憶がよみがえり、不安からすぐに開封する気になれず、暗い面持ちでテーブルの端にその手紙を置いた。
滅多に町の外へ出ないサンセベリアの住人からウォールレストの現状を知るのは難しかった。それでも、人びとの話から現在キングがサンセベリアに来ているとの情報を得られた。闘技場へ向かうのに橋を渡っているとリーズの姿が見えたので、かれらは手を振った。
「釣り竿なんか持ってどうしたのさ、リーズ」ハーシュメルトが声をかける。
「用意してきたんだよ、子どもたちと勝負するのに。わたしが一番大きい魚を釣ったら、みんな剣闘をやってもいいって言うからね」
「大変だね。ぼくの言ったとおりだろ? ここのひとたちは闘技会に興味がないんだ。ぼくも苦労した。なかばあきらめていたけれど」
3人は顔を合わせて笑った。
「アークは元気?」戴冠式の演説の内容はアークとよく相談していたものの、渋々引き受け仕方なく王位についてくれたのではないか、とハーシュメルトは気にしていたのだ。
「いまにも倒れそうだよ! それでなくても元々体が弱いんでしょ? 大丈夫、わたしもしっかりお支えするから。ハーシュ! そんな顔しなくても、アークさまはあんたの恨み言なんか言ってないから安心して。でもルディアーノのことは心配してた。見知らぬ土地でうまくやってるかって。こまったらいつでも手紙をくれって言ってた。ああ、手紙といえばコーマックさんがルディアーノから返信がないってぼやいてたよ。今日会わなかった? いま海にいると思うんだけど」
「あとで行ってみるわ。午後も海にいるかしら」
「いると思う、ほかにやることないもん。ハーシュ、あとで穴場を教えて」
「いいよ。ところでリーズ、いまウォールレストに変わりはない?」
「ないよ、とくには。ロスカのひとたちの外出禁止は解かれたけどね、それくらいかな。処罰はなかったよ。ウォールレストに住んでたロスカのひとたちは皇女さま――ジーク皇子のお姉さんに教会に集まるよう言われただけみたいだからね」
「そう、何事もないのなら良かった。ねえリーズ、グランディオはどうしてる? まだ王都にいる? ぼくはもう2通、手紙を書いたんだけど、無視されてるのさ。やっぱり怒っているのかな、裏切るようなことをしてしまったわけだし」ハーシュメルトは寂し気に笑って言った。
「あれ、知らないの?」リーズはふたりの顔を交互に見た。「テオジールさんが手紙を書いてたはずだけど、まだ読んでない? 出すって言ってたの、結構前だったけど」
「ぼくたち今日ここへ帰ってきたんだ。テオジールから手紙はきてた。帰ったら読んでみるよ」
橋の近くで話していると、子どもたちが集まってきて、リーズの手を引いた。はやく海に来てくれというのだ。ハーシュメルトも服を掴まれて、手助けしてくれと子どもらに頼まれた。
まだリーズと話をしたかったが、子どもたちのいきおいに負けたハーシュメルトは、「あとで海に行くよ。これから昼食の時間なんだ」と約束し、解放してもらった。リーズにも、「またあとで」と言い、釣りの健闘を祈って別れた。
帰宅すると、家政婦が用意した食事が並べられ、温かいスープの匂いが部屋に満ちていた。ふたりは桶に溜めた水に手を浸し、遅い昼食をとる。
食事中父親はやけに機嫌がよく、息子がそれを指摘すると、笑いながらこう答えた。「ハーシュ、王都に行って良かったな。相当な顧客が得られそうじゃないか」
「顧客? ぼくは知りませんけれど」ハーシュメルトはパンを手に取った。
「わたし宛の手紙にアーノルフィニ家からのものがあったのだ。国王陛下からだった。恐る恐る読んでみたが、外国の絵画を購入したいらしい。直々に頼まれた。風俗画を希望している。平民の日常生活や普段の服装がわかるようなものがいいらしい。それと宗教画だ。あまりくわしくないから画家の指定はしないが、そこそこ名の知れた画家の作品を選んでほしいそうだ。ハーシュ、おまえとは親しい友人だと書いてあったがそうなのか? わたしは王都へ行けないからな、今後おまえに行ってもらう必要がある。その際は船でコルナまで行こう。ウォールレストへは当分行かないほうがいいだろうからな。宿の心配はいらない、ハーシュ、言っていなかったか? コルナにもスフォルツァの家がある。ゆくゆくはわたしがコルナへ移り、おまえたちにこの家をと思っているが、まあいい、その話はあとにしよう。それよりハーシュ、わたしは一度陛下にお会いしているのだ。まだ王都にいた頃、陛下がまだ幼い頃。覚えていてくださるとはなあ」父親の目は感慨深く過去を見つめていた。
食事が済んだころ、ハーシュメルトの古くからの友人がかれを訪ねて来た。盛り上がる釣り場に集合するよう、かれを呼びに来たのだ。テオジールの手紙を読みたかったハーシュメルトは、「あとで行く」と伝え、ルディアーノを先に行かせた。おとなたちも集まっているというので、ほどなくして父親も海へ出かけた。
ハーシュメルトは2階の自室へ行き、机に置いていた4通の手紙のなかからテオジールの名前を探した。ほかのものより厚みのある封筒をあけ、取り出した7枚の手紙に目を通すと、これまでに起きた王都の状況が書かれていた。
テオジールはサンセベリアの若いふたりからグランディオ宛に手紙が届いていることは知っていたが、何かの折、顔を合わせたときに事情を伝えるつもりでいた。だが、行き先のないハーシュメルトからの2通目の手紙が来たと知り、返信を待ち続ける少年らを不憫に思い、手紙をしたためた。
隙間なく詰まる文に恐れ入りつつ、何度も同じ個所を読み返したが、ハーシュメルトはすぐにその内容を信じられず、理解するまでに時間がかかった。
グランディオは処刑されていた。ハーシュメルトが帰郷してから間もなくのころだった。乱れたノーラルの鎮定が越権行為だと指摘されたのだ。グランディオは抵抗せずアーノルフィニの裁定に従い、ノーラルでのおこないはすべて独断で、他の者は計画すら知らなかったと供述していたようだ。グレンとキースは騎士の称号を剥奪され、すでに故郷へ戻っている。テオジールは王宮にはいってアークの近くで騎士の統一を任されており、アーヴィンはテオジールに従っている。
独断など、あきらかに事実に反するのに、自分への処分がなにもないのは妙だとかれは思うが、とうにこの件の裁判は終結しているという。
ハーシュメルトがウォールレストへ連れ去られた日に倒れていた門衛についても書かれていた。王都への不法侵入およびセザン人への危害を防げなかったこの失態は、著しく王宮騎士の名誉と信頼を傷つけるものとして、極刑が決まった。重すぎる刑だと、他の騎士たちの反対の声もあった。ふたりの門衛は身の潔白を主張していたが、太陽神派とのつながりでもなければ起こり得ない事態だとその関係を強く疑われ、判定は覆らなかった。王宮騎士の太陽教への入信は大昔から禁じられている。それはハーシュメルトも知っていた。
処刑されたのはかれらだけではない。先代国王の毒殺の嫌疑がかけられ、すでにウォールフォード夫妻もこの世にいない。夫妻の5人の子どもたちはそれぞれ親族に引き取られ、王都への立ち入りを永久に禁止された。卿の死によって爵位は消滅し、ウォールフォード家は没落した。
グランディオの妻とその子どもたちは罪に問われず、いまもコルナにいる。夫の処刑の日には、王都にいたという。
アークを温厚な人間だと思っていただけに、ハーシュメルトは動揺した。息を殺して気配を消し、弓を引く一瞬をねらっていたのだろうか。ロスカ贔屓のアーノルフィニに抗議する人びとの暴動が多発していたことは、レイミーの手紙で把握していた。反ロスカの象徴でもあるグランディオ・ルードベックを排し、人びとを黙らせ、ルードベック派の騎士の反乱をおさえたかったのかもしれない。
テオジールの手紙をしまったハーシュメルトは気になって、まだ封を切っていないセシルからの手紙を取った。手紙にはオリガとの婚約式の日時の報せ、それからハーシュメルトがリクトワールへ行く際はぜひ誘ってほしいと懇願する内容が記されていた。相変わらず音楽にしか興味がないようで、アークの思惑を知る手掛かりとなりそうなものは書かれていなかった。
机の引き出しに手紙を片付けてから、ハーシュメルトは部屋の窓をあけた。高地にあるスフォルツァ邸からは、海も、サンセベリアの街並みもよく見える。穏やかに晴れた陽気でも道行くひとの姿がすくないのは、もう大半の住人が釣りの対決を見物しに旧漁村のほうへ行ったのだろう。たった今、目の前の道を、釣り竿を持った子どもが走って行った。あの子どもの脳裏にあるものは、だれよりもおおきな魚を釣るという単純な希望だけなのだ。おさないハーシュメルトも同じものを持っていた。たしかに持っていたはずだったが、アストレーヴの強烈な嵐によってうばわれ、混迷の彼方へ消え去った。その在り処を探そうにも、想起には苦痛がともなった。
橋を渡って海へ行くと、子どもたちのはしゃぐ声が響いていた。ルディアーノは子どもたちが駆けまわる桟橋で釣り竿を握りしめ、コーマックと談笑していた。テオジールの手紙を見せ、真実を告げなければならないと思うと、ハーシュメルトは心が痛んだ。その近くで釣り糸を垂らすアルベルト・グローリンは、活発な子どもたちの悪戯で妨害され、辟易していた。だれかが魚を釣り上げると、おとなたちの歓声があがる。桶にいれた魚の大きさを測る者たちも、その歓声が聞こえるたびに顔をあげていた。陸のほうではヴァンクールが少年たちをあつめて剣技の指導をしていた。真新しい光景に興味をもったちいさな男の子たちが、地面に置かれた練習用の木剣を次々と手に取り、騎士の真似をして遊んでいる。無邪気に襲いかかってくるちいさな兵隊を全力で押さえようとするヴァンクールの髪は、めずらしく乱れていた。
懐かしかった。見慣れない騎士たちに興奮して浮かれ騒ぐちいさい子どもたちに手を焼いて、すこしおおきい少年たちを町外れの闘技場にあつめたのはグランディオの案だった、となにかの時に本人から聞いた。母親が死に、怪我をした足のせいで部屋に籠って塞いでいた時期もあったが、グランディオに誘われて闘技場へ足を運んだのだ。はじめはそれほど興味はなかったが、徐々に悲しみを忘れるように熱中するようになった。グランディオはハーシュメルトには特別熱心で、とてもやさしかった。
ヴァンクールの奮闘ぶりを笑い転げて見ているリーズの周囲には、ちいさな女の子たちが花冠をつくって遊んでいる。
「リーズ、きみは参戦しなくていいの?」ハーシュメルトが声をかけた。
「もう特大のを釣ったから。わたしの勝ちは決まってる」リーズは誇らしげに答えた。「それにしても、サンセベリアでは騎士が子守になるね」
「昔からこうさ。子どもたちが泣けばみな駆け寄るけれど、子どもたちが笑ってるあいだはおとなたちも笑ってる」
ハーシュメルトがリーズの近くに座ると、ちいさな女の子が完成した花冠をかれの頭に乗せた。お礼に頭を撫でてやると、女の子ははにかんだ。
おとなたちの笑い声につられて桟橋のほうを見ると、アルベルトの釣り針に海藻がからまっていた。
「あいつ、下っ手くそだね!」リーズが言うと、女の子たちからかわいらしい笑い声がこぼれた。
ハーシュメルトは、アルベルトを側近に起用した理由をリーズにたずねた。すると、キングになってすぐのころ、何人かの騎士に女であることを批判されたとき、同時期に騎士になっていたアルベルトが庇ってくれたのだとリーズは答えた。
「びっくりしちゃった。でもあいつすぐに真っ青になっちゃって、あわててた。テオジールさんがおさめてくれたから、おおごとにはならなかったけど」
アルベルトの行動は罪滅ぼしなのだ。かれもきっと長いあいだ、自分の父親がベルヴィル家にもたらした不幸と、それまでの己の態度を恥じていたのだろう。
「あいつ、いいやつだよ」
こう呟くリーズの目は、どことなく疲弊しているようだった。想像以上の風当たりに精一杯、抵抗しているのだ。




