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KING  作者: 安三里禄史
十二章
71/77

12-5b

 翌朝、中央通りの宿を出たジークは広場へ向かい、市場で賑わう人びとを背に、闘技場沿いの道を進んだ。右手の塀の鉄柵からのぞく青葉に赤い実がついている、そのむかいの家がキングの屋敷だと知らされていた。屋敷の門のそとで待っていたヴァンクールに手招きで呼ばれて庭へはいると、池の縁で水を飲んでいた小鳥が跳ねた魚に驚いて飛び立った。

 昨日目にした少女の青い髪が気になっていたジークは、ヴァンクールが馬の用意で離れたときに、キングの馬車に近づいた。

「セレヴィスさんと、話をさせてもらえませんか」

 ハーシュメルトは扉をあける。「手短にしてほしい。まだ、十分休めていないから。それと、ルディアーノをひとりにはできない。ここでぼくも聞く。声は抑えてほしい」ジークの後方にこちらを窺うグランディオがいる。声が届いていないか少年は心配だった。

「セレヴィスさんの髪を見ました。たしかに青い色でした。エルトリアのことを知りたいのです」

「エルトリア? おとぎ話を聞いてどうする?」

「実在する国と考えています。思い違いでしょうか、率直に言うと、わたしはセレヴィスさんがエルトリア人なのではないかと思っています。もしそうであれば、エルトリアについて教えてほしいのです」ジークは少年の奥に隠れる少女の瞳の色を見たかったが、うつむいていてよく見えなかった。

「ずいぶん突飛なことを言うね、エルトリアが存在するって? もしそうだとしても、なにも知らないよ。ルディアーノはセザンで生まれ育ったんだから。ご両親もセザン人だしね。髪が青く見えたって、ほんとうに? ぼくはずっと一緒にいるけど、見たことないよ」ハーシュメルトは淡々と喋った。

「目を、見せてほしいのですが」不躾かもしれぬと思ったが、ジークはあとには引けなかった。

「それはだめだ、というより嫌だ」すぐさま返し、ハーシュメルトは扉に手をかける。「恋人の顔をほかの男にじろじろ見られたくないからね、ぼくの嫉妬心は海よりも深いのだ。助けてくれたことは感謝する、それと被害を訴えるつもりはない。あとは王都に着いてからにしてくれないかな。なにを聞かれてもこれ以上答えようがないけれどね。もういいかな?」一方的に終わらせて扉を閉めた。

 ゆっくりと進み始める馬車をテオジールが追っていると、馬に乗ろうとしているヴァンクールの横を通った。王宮騎士となって2年足らずの青年の、ひととなりをまだよく知らなかったテオジールはかれに問う。

「お前はいつも口癖のように正義と言う。お前の言う正義とはなんだ?」

 ヴァンクールは凛然たる態度で即答する。「いかなる血も流さぬことです」

 青年は真顔のままであったが、かがやく熱気を秘めた闘志の炎をその目の奥に見たテオジールは、かれのいっさい動じない潔さに深く満足した。

 その後ヴァンクールはともに戻るジークを呼び、馬にまたがり王都を目指す。柔い陽光そよ風香る、おだやかな日の朝だった。



 まだ日は高い昼過ぎに一行は王都へ着いた。広場に近づくにつれ喧騒はおおきくなった。噂は、こぼれた水が地に散乱するかのごとく一瞬で広まる。ハーシュメルトは、綿よりも軽いかれらの口に感心していた。

 眠ってしまったルディアーノを起こしてかれは馬車をおりた。広場にはひとが集まっていた。自力で動くハーシュメルトを見た人びとは、悲劇を期待するやましい本性を隠蔽するため、少年の生還をよろこび、自身の善良さをことさら強調していた。到着したのが死体であれば、その白々しいよろこびの声が真のよろこびの声になるのかと思うと、ハーシュメルトはぞっとした。

 不要な外出は控えるように言われたハーシュメルトは、ルディアーノと屋敷へもどった。返そうと思って渡し忘れた、あの晩持ち出した門の鍵を自室の窓際の円卓に置こうとすると、大量の手紙が山のように積まれていた。昨晩倒れていた門衛から事情を聴取するため王都に残ったグレンが言うには、これらはハーシュメルトへの非難や抗議、説明や謝罪を求める人びとの声が形となったものらしかった。自分の背丈ほどまで積み上げられた白い山にハーシュメルトはげんなりし、空気を入れ替えようと窓を開けると、朝にはなかった生暖かい風が、てらてらと光る密集した木の葉を綻ばせていた。

 不思議と昨日の恐怖はやわらいでいた。それどころか、もしかすると恐怖ははじめからなかった、という気もしていた。極限状態だったことが感覚を麻痺させているのかもしれないが、罪にたいする正当な怒りの断罪よりも、無罪なのに豹変する人心のほうが把握できないぶん、不気味で物恐ろしかった。

「ぼくへのファンレターもいくらかあるかもしれない」

 少年はふざけてみたが、ルディアーノは泣いていた。

「無事でよかった」ルディアーノがハーシュメルトの胸元で呟く。

 ハーシュメルトは少女の外套に残るあまい香りごと抱擁し、少女の首元でかがやく、もしものときの忘れ形見のつもりで置いていたあの首飾りをいじりながら、こう聞いた。「どうしてウォールレストにいたの?」

「ずっとあなただけのことを考えていたから、わたしにはわかったの」ルディアーノはあの夜の出来事を説明した。

 少年はほのかな香りを胸いっぱい吸い込んだ。「ぼくがきみを守るものとばかり思っていたけれど、ふがいない」こみあげる情けない気持がため息となる。

 ルディアーノはまだ泣いていた。

「ルディ、きみほど勇敢な者はいない」

 ハーシュメルトは唐突にルディアーノの両手を掴み、踊りのように向き合って回転しはじめた。慣れない動きに転びそうになっておどろきの声をあげる少女の体を支えてやると、張り詰めたものが解き放たれたのか、少女は笑い出した。ハーシュメルトもうれしそうに笑った。少女の笑顔が見たかったのだ。

「ルディアーノ・セレヴィス」威厳たっぷりの声音を使い、少年はルディアーノの両手をとって、跪く。「困難に立ち向かう勇気、的確に判断する知性、絶望にも屈しない力、どれをとってもきみを越す者はいない。もしぼくが国王なら、キングに任命するのはきみしかいない。どうかこの称号を受け取ってほしい」かれはルディアーノの手に口づけをした。見上げると、少女の顔は曇っていた。けっして記憶から消し去ることのできないあの日の顔とよく似ていた。不安に襲われたハーシュメルトは、ふざけすぎたと謝ろうとしたが、その必要はなかった。

 ルディアーノは繋いでいる手を力いっぱい引き上げて、かれを立たせた。「称号などいりません、王さま。ほかの褒美を望みます」

 無垢な泉に浮かぶ翡翠のようなルディアーノの瞳を見つめながら、ハーシュメルトは、「申してみよ」と笑顔で答えた。

「サンセベリアの景色をこの目で見たいのです」

 ハーシュメルトは両手を少女の頬に当て、まばたきごとに流れる泉を親指で何度も拭った。「ぼくは近々故郷に帰るけれど、きみを連れて行きたいと思ってる。来てくれる?」

 少女はうれしさのあまりハーシュメルトの胸にとびこんだ。

「サンセベリアへ行ったら、きみをもうここへは帰さないつもりだけど……それでも?」少女の肩に手をやって、顔を覗く。

 少女は頷いて、晴れやかに唇を綻ばせたあと、頬の熱を隠すようにはにかんだ。

「わかった。じゃあもうけっして、きみを離さないからね」

 少年はルディアーノの両手を強く握りしめ、指先に唇を押し当てた。少女はかれに触れようと手を引こうとする。が、かれは握ったままその手を解放しなかった。

「離してくれないの?」ルディアーノはかれの悪戯に声を立てて笑う。

「もう離さないと言った」いじらしく手を抜こうとする少女をからかう。

「まあ! いつまで?」

「永遠に」

「永遠に? 困るわ。これじゃ何にもできない」

 窓から風が流れ込む。円卓に積まれた白い山の一部がなだれても、かれらは気にせず戯れている。まもなく訪れた強風に、大量の手紙が宙に舞うのも気付かないほど、ふたりは互いに夢中のようだ。


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