12-5a
眠りから覚めたが強烈な光に敵わず、ハーシュメルトは固く目をとじた。手足は固定され、体中が痛かった。なんども瞬きをしながらハーシュメルトは状況を確認した。目の前に、黒くきつい巻き髪をひとつに束ねた褐色の肌の女が剣を片手に立ち、その周辺には丈の長い白い外衣を着たロスカ人たちが、ハーシュメルトを包囲していた。
脛の部分を革で編み上げた特徴的なロスカの靴を履き、白い布地でできた衣の腿の部分はたるみがある。動くたびに淡白な音を鳴らす無数の首飾りをつけた黒い瞳の女は、刃よりも鋭い目つきをしていた。
横に見える柱から、ここがウォールレストの教会だと判断できた。低所の広場はロスカ人たちにさえぎられて見通せない。当然広場からもハーシュメルトの姿は見えないだろう。教会の扉の脇の柱に体を括り付けられているハーシュメルトは、これが運命であったかと納得し、静かに時を待った。
ロスカの女がハーシュメルトに剣先を向ける。闇の王都に潜り込み、朝日を待って少年を探し、ウォールレストへ連行しようとした。失敗してとして、ナイフを取り出しその場で強攻、刺し違えたとしても目的を果たせればそれでよいと考えていた。が、どういうわけか夜道にひとり、この少年はいたのだ。御神の導きというほかに、この偶然を言い表す言葉があるのだろうか? セザンへの断罪を御神はお認めになったのだ。少年の容姿は調べつくしている。腰まである長い髪、とくに段をいれたアクリの女人のような髪型をした少年は、セザン中探してもひとりしかいないと聞く。この者で間違いないだろう。「我が弟ジークとアーキルを殺したのはおまえだという話を聞いた。真か?」セザン語で問う。
「ジーク・エリオスは生きている。アーキルという名の者については話の通りだ」ハーシュメルトは答えた。
「死を以て償え」そう言って女はハーシュメルトに背を向け、周囲の同胞の視線をあつめた。「個人による断罪は罪である。だがこの男の罪は死に値する。教会を血でよごすこととなるが、この業、包み隠しはしない。そのため御神尊来するこの教会で事をなす。セザンはロスカの謝意を拒んだのだ!」
周囲のロスカ人たちの表情はどれも同じく、女の言葉をすこしでも聞き漏らすまいと敬聴していた。
女は向き直り、「言いたいことがあるならば言え」剣先を少年の顔に近づけた。
「なにもない。したいようにすればいい」
ハーシュメルトが答えると女は剣を持ったまま両手を合わせ、教会の上方を見上げ、何事かロスカ語で呟いていた。神への報告だろうと思い、ハーシュメルトは目をとじた。
迷いはなかった。定めにあらがう気力もなかった。遮断された視界のなかでかれは思う――ぼくを心配するひとたちがぼくを探しにサンセベリアまで行く途中のこのウォールレストで、ぼくの死を知るのはいつ頃になるだろうか。ぼくの死は残されるだろうか。あのロスカ人たちをそうしたように、無用の残骸として燃やされてしまうかもしれない。仕方のないことだけれども、煙となったぼくの魂を、あの子は見つけてくれるだろうか。見つけてくれたとき、ぼくの魂は花の香りにでも化して、ふさぐあの子の微笑を引き出せるだろうか――あのうつくしい思い出の消滅だけが、心残りであった。
ざわめきが聞こえ、女が剣を振り上げたのだろうと思い、ハーシュメルトの体は硬直した。無理だとわかっていても、剣を体に食い込ませぬよう抵抗する本能が働いた。しかし、恐怖に耐えるかれの身に伝わるのは強い衝撃であり、想像していた鋭い痛みはまだなかった。頬を擦る風になじむ、うっとりするほど甘美な匂いがルディアーノを連想させた。
「ここは教会だ、セザン人は立ち去れ!」ロスカの女が、ハーシュメルトを包囲する集団の隙間からふいに現れた少女の服を掴む。
「わたしは同じ罪を背負う者。仇討ちのつもりならわたしの体ごと貫きなさい!」少女はハーシュメルトの体にしがみついていた。
ロスカの女は少女の服を掴んだまま、周囲の者たちにその発言の真偽を確かめていた。
「ルディ、どうしてここに? 危ないから退くんだ!」
ルディアーノの腕をほどくためハーシュメルトは体をねじろうとするが、固定された体では思うように動かない。少女はより一層腕にちからをこめた。
「離れるんだ、きみを傷つけたくない。自分の意志でここへ来た、ぼくは罰を受け入れる」
「ならば」少女はハーシュメルトの目を見る。「ともに死にます」
「娘! おまえは嘘を言っている。退いていろ!」
ロスカの女はちから一杯少女を引き離そうとするが、ハーシュメルトの体に顔をうずめて取りつくルディアーノは、女の、そのうえハーシュメルトの指示も聞かなかった。
周りのロスカ人たちは女の命に従って、次々にルディアーノの服や手足を持って引き離そうとした。少女が揺さぶられるたび縄が体にめりこむ激痛に、ハーシュメルトは歯を食いしばる。が、それよりも繊細なルディアーノの手のどこに、これほどのちからが秘められていたのか。か弱くちいさい、若い小枝のような愛らしい小指が、この乱暴な動きのはずみで折れてしまうのではないかと、少女のけなげな抵抗に胸を痛めていた。
ハーシュメルトが無我夢中でルディアーノに声をかけていると、ロスカ人たちは急に手を休め、階段の下、広場辺りを一斉に覗き込んだ。ロスカの女は剣を手にしたまま群れの外へ躍り出る。
「武器を置け、アグニ! わたしは生きている!」
耳をそばだてると、男の声と蹄の音が聞こえた。
一部のロスカ人たちが男に気付いて跪く。なかには泣き出す者もいた。それを見て、その場にいるロスカ人全員が男の身分に感づいた。アグニと呼ばれた女以外、階下に跪坐して頭をさげたため、階段をあがってくるジーク・エリオスの姿がハーシュメルトにも見えた。
少年の生存を目視でたしかめると、ジークは一段一段アグニに近づく。アグニが声をかけたが、急にジークは少年の傍らあたりに気をとられ、一点を凝視した。その喫驚ぶりは、かれの周囲にはなにも存在していないのかと思わせるほど、目の前の信じ難い光景だけに引き込まれているようだった。
ハーシュメルトはまさかと思い、縄を解こうと柱の脇で悪戦苦闘しているルディアーノの髪を見た。
「ルディ、髪を隠すんだ!」
小声で伝え終えたときにはもう、ジークはアグニに手を取られ、会話をしていたが上の空、ルディアーノから目が離せないらしく、しきりに目をむけていた。弟の視線につられてアグニがふりむくころには、ルディアーノは外套のフードをかぶっていた。少女はかなり疲弊していて下を向き、外界に背を向けハーシュメルトを庇うように体を寄せていた。
何者かから借りた短刀を持ったジークが階上へ移動する。ジークは少女を一度だけ見たが、少年の体に巻き付いている縄を無言で切り始めた。その行為をアグニに咎められるも、ジークは言葉を返さなかった。アグニの口調は強かったが、短刀を取り上げるまではしなかった。
「事態は王都の騎士の方たちも知っています。じきにここへ来ると思います」切り終えてから、ジークが言う。
ハーシュメルトはしびれた体の感覚を取り戻すのと、気恥ずかしさを紛らわせるため腕をさすっていた。
「情けをかける理由を言え」アグニが階上に来る。
「姉上、皆は誤解をしております」ジークは立ち上がり、感情のこもらない声で答える。
「誤解ではない。セザン人からも証言を得た」
「鵜呑みにするのですか」
「この者は罪を認めた」アグニが少年を指す。
ジークはアグニの目を見て黙し、間をおいて、「軽率です」と言うにとどめた。
理解できないアグニは弟を問いただすが、かれは「教会を血でよごすなど言語道断」だと言い、それきり微動だにせず押し黙っていた。
ハーシュメルトが広場を一望できたときには、すでにウォールレストの住人があつまって、教会に群がるロスカ人たちを怪訝そうに眺めていた。ウォールレストの王宮騎士たちも、当初からこのロスカ人たちを不気味に思っていたが、なにかの集会か儀式でもしているのだろう、と問題にせず放置していた。ロスカ人たちの奥にいるハーシュメルトに気付いた住人が闘技場へ駆け込み、騎士たちが武器を持ってようやく広場に出るころに、王都から来た王宮騎士3名が立て続けにウォールレストへはいった。
即座にハーシュメルトとルディアーノは保護された。ジークがテオジールに経緯を説明するあいだ、ロスカ人たちはウォールレストの騎士たちに銃を向けられていた。この者たちは正式な処罰が決まるまでロスカ人居住区からの出域を禁じられ、主犯とされるアグニたち6名は王都へ護送されることとなった。




