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KING  作者: 安三里禄史
十一章
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11-1b

 ジークはまず、遠くにとんだ剣をその場で目視したが、静かに地に伏しており、よもやひとりでに動くという奇怪な現象は起こらなかった。倒れた少年は肩で息をし、すこしだけ身を起こして面甲をあげ、剣を凝視していた。勝敗を決する合図の笛が鳴ったかどうか不明であるが、審判員にたいするドルレアンのはげしい身振りから、公平な審判がなされていないと推測はできる。観客は不満の声をあげ、身に着けているもの――手袋や帽子、装飾品までも――場内に投げ入れる始末である。飛んできた靴が少年をかすめたが、かれを狙ったものかはわからない。しかし、怒号の中に、少年への罵声もまざっていたのは事実だった。ジークは偽りの太陽神を拾って、膝をついて座る少年の横に置いた。少年は剣を一瞥しただけで、受け取らなかった。

 試合場にはいって審判員に詰め寄るドルレアンがほかの騎士たちに取り押さえられている。見兼ねたジークがその現場まで移動しようとしたとき、少年の側近がひとり近づいてきて、声をかけていた。

 少年は側近の手を振り払って、「まだ終わっていない!」と叫んでいた。

 側近は少年の肩に手をおいて、「試合は終わりました。ハーシュさま、あなたの負けです」と諭していた。

「そうじゃない! 話がまだ終わっていない、いいからグランディオ、出ていってくれ!」

「どうしたのです? すこし様子がおかしく見えましたが。ハーシュさま、とにかく話なら中で。一度控室にもどりましょう」

 少年は、立ち上がらせようとする側近を押しやって、「出て行ってと言ってるんだ、うるさいんだよ、みんなを外に出して!」観客席のひと混みをはらうようなしぐさをした。

 それでもグランディオはこの場にハーシュメルトを置いて行くわけにもいかず、なだめたり、両者の武器を回収しようとしていた。

 しびれをきらしたハーシュメルトが、「この剣は自分で片付けるよ、持って行かないで。ぼくは大丈夫だと言ってるだろ? グランディオ、この闘技場ではぼくの言うことを聞くべきだと思うけど」と言う。

 するとグランディオは観念してジークの武器だけ回収し、去り際に耳元で、「あなたのことは監視しています。ハーシュさまに近づかぬよう」とだけ伝えた。

 ジークは話があるという少年へ体をむけた。かれは立ち上がる気力がないのか、両足のすねを地面につけた姿勢のままでいた。うなだれて喋る少年の声は、客席に残る雑音に邪魔されて聞こえない。

「頭をおあげください。その姿勢では、あなたがわたしに頭をさげているように見えます」ジークは片膝をついて言う。

「どう見えたってかまわない」ハーシュメルトはつぶやいて、顔をあげた。「ぼくが一番はじめに手にかけたのは、きみの弟だろう?」

 ジークは目を伏せ、頭をさげた。

「いまさら弁解はしない。口ばかりの謝罪にはなんの価値もない。きみにとってはいまいましい話だけど、セザンはぼくを罪人としない。ならばぼく自身が決める。きみは勝者だ、この闘技場において勝者であるきみの行動を、ぼくはすべて受け入れる」そう言ってハーシュメルトは自身の剣を差し出し、兜を脱いだ。

「おさげください」ジークは剣には触れずに告げた。「わたしはあなたを裁定する立場にありません。わたしを勝者と認めてくださるならば、わたしの望みをお聞き入れください」

 ハーシュメルトはしばらく経ってから、口をひらいた。「サンセベリアの、エドアルド・スフォルツァを訪ねればいい。そのひとがサンセベリアの商人一家の主だから」

「そのかたは、あなたの父親ですか?」

 涙が頬を伝うが、ハーシュメルトは問いに答えなかった。

「渡したいものがあると言っていた。きみはたしかにそう言っていた。ぼくはそれが気になった。それが髪飾りなら良かったのだけれど」ハーシュメルトは虚ろに、独り言のように喋っていた。

「ひとつは、我が国の皇帝から、セザン国王への書状のことです。ですが、髪飾りは持っています。遺品ではないかと、髪飾りを拾った市民から預かったものです。蝶の形をした、銀製の髪飾りです」

「きみたちの所持品はサンセベリアに置いたままだ。話はつけておくから、髪飾りはサンセベリアのそのひとに返しておいてほしい。それと、これはロスカの国宝なんだろ? 本来の目的はこれなんだろう?」ハーシュメルトは剣を指した。

「いいえ、追い求めていたわけではありません。それにまだ、国宝に値するものかどうか、定かではありません」ジークは剣を見据える。

「もし国宝なのだとしたら、ロスカに返すつもりでいる。もういらないから、持って行ってほしい」さらに深く剣を差し出す。

「有難いことですが、この件はまたいずれ。その必要があれば然るべきときに、然るべき場所で、賜りたく存じます」

 ジークは決して身動きせず、剣にも触れず、己の些細な行動が騎士たちに剣を抜かせるきっかけとならぬよう、慎重に対応した。この場で安易に剣を受け取って、それを奪ったのだとか、少年に斬りかかろうとしたとか、有らぬいいがかりをかれらにつけられぬよう、細心の注意を払ったのだ。

 気付いたときにはもう、観客のすがたはなかった。いままで口論をしていたのだろうか、感情が高ぶっているドルレアンに呼ばれ、ジークは頭を垂れながら立ち上がり、座る少年に一礼してから通路に繋がる扉へむかった。

「待ってほしい」ハーシュメルトはジークを追った。「きみはぼくを赦せないはずだ」

 ジークは足をとめた。1年前の惨劇が脳裏をかすめる。かれらの思いを無駄にしてはならぬ。並の人間では成し得ぬこと、だからこそジークを生かすのだと、かれらは犠牲となった。これを宿命とし、ジークは心を神に預けた。心住まぬ我が身に害心は生まれまい。たとい、己の未熟さからそれが潜んでいようとも、断じて悪心に支配されてはならぬのだ。

「この地に来たのはあらゆる覚悟の上。いっさいがわたしの判断による結果なのです」ジークは頭をさげたまま立ち去った。

 少年が2度追いかけてくることはなかった。



 着替えを済ませたハーシュメルトが闘技場を出ると、すぐに人混みに飲み込まれた。人びとが好き勝手に健闘を称えたり、敗北を嘲る声がうるさくて、ハーシュメルトは適当に笑顔をうかべ、足早に過ぎた。

 少年の異変に気付く者はだれもいなかった。側近たちでさえ「立派な闘いであった」と少年の奮闘に賛辞を送っていた。グランディオだけは「意識は確かか?」と心配し、なにか感づいているようにも見えたが、ハーシュメルトの剣を調べるまではしなかった。

 夕方、屋敷に帰ると父親から返書が届いていた。ハーシュメルトが先日送った、剣についての扱いを相談する手紙の返事である。手紙にはこう書かれていた。


「その剣は、わたしの祖父がセザンのどこかで手に入れたという話は父から聞かされたが、ずいぶん昔のことだからあまり覚えていない。父もそれほどその剣に入れ込んではおらず、わたしもおまえが見つけるまで忘れていた程度のものだ。スフォルツァ家の家宝ではない。その剣は、おまえが旅立つとき授けたつもりのものだから、剣をどうするかは所有者であるおまえが決めなさい。価値あるものかどうか、とのことだが、400年前のものであれば、めずらしいものではある。返すべきところに返したいとおまえは言うが、それは間違いなくセザン製の剣である。なぜロスカの名が出るか、解せないところではあるが、一度ドルレアン卿に相談したほうが良いのではないか? もう話は済んでいるのか? ドルレアン家には古記録があるはずだから、我々より多くを知っているひとだ。気難しいひとだが、骨董品の話なら相談にのってもらえると思う。くれぐれも失礼のないように」


「自分で決めてくれって」ハーシュメルトは自室のソファで手紙を途中まで読み、ルディアーノに伝えた。「やっぱり返す、もう決めた」手紙の続きには帰省の時期に関することや、将来を約束する相手がいるなら一度連れてくるように、などと簡単に書かれていた。

 ハーシュメルトはそれから自室でルディアーノと過ごした。観に行くとめずらしく言っていたアークのすがたが闘技場になかったが、ルディアーノも会わなかったようだ。決まりきった勝負に興味がなくなったのであろうアークを、かれは賢明だと思った。

 夕食の時間となって、使用人に呼ばれたふたりは食卓へむかう。敗北に傷ついたかれを気遣うためか、テーブルには好物の卵料理が多く並んでいた。空腹であったことを思い出したハーシュメルトが席に着くと、側近たちはやさしい労いの言葉をかけ、それぞれ席に着いた。懸念していたより和やかな雰囲気に、ハーシュメルトはいくらか心がやすらいだ。アーヴィンが「少年の目覚ましい成長に焦りを感じている」と奮起し、笑いを誘っていたほどだ。

 やはりかれらの目にはハーシュメルトがただ懸命に闘っているように映っていたのだろう。奇妙な体験ではあったが、少年は自身の体験を胸の内にとどめた。自分でも奇妙な力に操られていたと信じるほうが恐ろしく、同時に、罪責から逃れるための言い訳にしてはいけないのだと思ったからだ。それに、突き詰めれば最後に辿り着くところはエルトリアである。エルトリアの存在を知らしめる原因となる行動だけは控えたかった。ただちにエルトリアとルディアーノのつながりを発見されるとは考えにくいし、発見されたとしてどういう危害が及ぶかわからないが、わずかでも可能性のある痕跡は隠したかった。万一にでもルディアーノを傷つけたくはない。ルディアーノにエルトリアの血がはいっているという噂が広まれば、町を歩くたび指さされ、見世物のように好奇の目をむけられる、こんなことがあってはならぬのだ。

 その日の夜は久しぶりにすぐ眠りに落ちた。夜中に目覚めることもなく、朝、ルディアーノの声で一日がはじまった。いつも通りに茶を飲んで、昼になると食卓へ足を運んだ。ハーシュメルトはその昼食の席で、アーノルフィニ国王が昨夜崩御したとの報せを受けた。


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