11-1a
闘技場の控室で、ハーシュメルトは側近たちに武具を着せられていた。少年は鎖帷子、そして膝までの丈の上衣、更に袖なし外套を着用した。遠くの客席からも、どちらがハーシュメルトか判別できるように、緑色の上衣の前面と外套には、かれの紋章が大きく縫われている。
支度が終わると、少年は度々迷ったが、持ち慣れたあの剣、いまでは太陽神と思われるいわくつきの剣を手にし、試合場へむかった。通路の窓から観客の高揚が伝わる。扉がひらきハーシュメルトが現れると、空が割れるほどの歓声が起こった。少年は、すでに場内に立っているジークの前で立ち止まった。ハーシュメルトが罪を犯してから1年。ロスカの血が沈むこの場所で、決戦がはじまる。
少年はジークに近づき、自身の剣を低い位置で差し出した。ジークも剣を前に出して相手の剣と交差させ、それから両者が左手に持つ盾の上に、それぞれの剣先を乗せた。このときハーシュメルトは、太陽神と思われる剣へのジークの視線を確認した。だがジークはすぐに視線を少年に移し、セザンの剣闘前の作法に従い、向き合ったまま5歩後退し、面甲をさげた。
ヴァンクールから教わっていたこの作法を今日までの期間、ジークは70を超える試合に出場してきたが、いずれも対戦相手に黙殺されるか手荒く返されてきた。そのためジークは手本のような作法をおこなう行儀のよいハーシュメルトを、よりいっそう警戒した。
審判員の合図で両者は剣をかまえ、対峙したまま円を描くようにゆっくりと動いた。気が抜け、隙だらけの少年相手では容易に勝利をおさめられそうだが、ジークは確かめねばならなかった。太陽神の宿る剣の姿は、故郷の宮殿の壁画や飾られた銅像、そしてあらゆる書物からうかがい知ることができた。少年の剣はジークの知る太陽神と酷似しているが、姿ばかりが似ていても、あれが太陽神だという確証はない。
あの者が一番はじめに手にかけたアーキルは、15とまだ未熟で力に抵抗できずにいたのかもしれないが、ジークの妻の叔父とその子シャオフとセリクは一族のなかでも武勇に優れ、あの少年相手に敗れるとは到底信じ難い。かれらは抵抗できぬよう手足を拘束され処刑されていったのだと、状況の知れぬ牢の中で想像したが、のちにヴァンクールに尋ねると、たしかに手を下したのはあの少年であり、錠は外され、武器も持たされ、鎧はたがいに身につけていなかったという。
このちいさな少年にそれほどの強さを感じられず、アーキルはともかく、シャオフとセリク自らが犠牲とならなければいけない理由があるゆえに死を選んだのでなければ、少年に敗北するなどどうしても考えられなかった。唯一、信じ難い状況が起こった原因があるのだとすれば、それは太陽神、ロスカに破滅をもたらす――とジークが考える――太陽神の仕業のような気がしてならなかった。
ジークは一向にむかってこない少年の持つ剣を注視する。不気味に光る、剣の鍔に埋められた深紅の宝石は、いかなる鉱物を以てしても傷つけられない太陽神の目なのだと伝えられている。あの剣を打ち付ける行為は神に刃向かう行為と同等であるが、いつかはロスカのために破壊しなければ、永遠に我が大地に安寧は訪れぬ。
正体を隠す太陽神を挑発するべくジークはすばやく前進し、自身の錆びた鉄の剣を少年の剣に打ち付けた。相手の出方を見ようとジークが1歩後退すると、少年はつられるように迫りより、剣を数回突いてくる。ジークは相手の攻撃を避けられるものは避け、剣で2度、盾で1度弾いてから、太陽神だけを狙って右手を振り続けた。あれが太陽神なのであれば、ジークの行動は神の怒りを買い、もっとも危険な大罪を犯す者を排するべく神があらわれ、ジークの命を奪うだろう。1年前のあの呪わしい日に、愛する家族を死に至らしめたように。
太陽神に「神の目的はなにか」と問いただす必要がある。ジークの暴挙はロスカでは死に値する罪となるが、かれはすでに4人の同胞を殺した罪人である。もはや死人同然なのだ。ロスカの災いの元凶となるならば、たとい神でも討ち滅ぼさねばならぬ。死人であるがゆえに為せること。すべてはロスカのために。
可能な限り相手の少年に衝撃が伝わらぬよう、ジークは加減しながら目的のため粘った。少年が倒れ、勝敗が決まれば二度とこの剣と対峙する機会は訪れないだろう。少年がそれとわかってこの剣を所持しているのか不明であるが、この少年がロスカのために剣を手放すとは考えにくい。好機はいまだけである、なんとしても暴くまでは、試合を終わらせてはならない。
ロスカ人への敵意がそのまま観客の声となり、おぞましい罵声がジークを襲う。ジークはあの少年に生かされた、その狙いを推考した。ロスカへの報復ならばあのときに殺してしまえばいいものを、少年はなぜかジークを生かし、なおかつ要望に応え、約束通りいままさに剣闘試合をしている。だがこれは、望みがあると油断したところで亡き者にするという謀略におどらされているだけか。ジークはこの場が己の死の舞台と覚悟して、少年の側近を探した。少年に一太刀浴びせたその瞬間、側近のだれかが発砲すると予測したからである。かれはキングの観戦場に整列する側近5人を確認した。かれらは剣を身につけており、外套に隠される右腰には銃もあるだろう。現時点ではただ静観しているように見える。かれらのうちひとりが気にする方向にドルレアンの姿があり、かれは口約通り窓のある通路に立って、側近らを見張っていた。少年の側近があらぬ行動をとれば、直ちに抗議し、場合によっては応戦するつもりでいるとドルレアンは言っていた。
疲れの見える少年の動きが鈍るころになっても、状況は変わらなかった。神らしきものが姿を見せるわけでもなく、時ばかりが過ぎる。やはりロスカの神はロスカにおり、剣にその身を宿すなど言い伝えにすぎぬのか。目の前の剣はただの剣であり、思い違いであったかと無念に至るとき、ジークは少年の言葉に耳を疑う。
「なぜ、自分たちの神に刃向かう!」
少年はたしかにそう叫んだ。勘違いではない、現代のセザン人に、この剣を太陽神だと認識している者がいるのだ!
息切れする少年から盾に受けた一撃が思いのほか強く、ジークの右足が地面の砂を鳴らす。ジークは剣を握り直して体勢を整え、向かってくる少年の攻撃にそなえた。別人かと思うほど機敏に動く少年の撃をかろうじて防ぐのみであり、ジークは反撃の機を見出せず、次第に追いこまれていった。
少年のためらいのない突きによって音を立てる、ジークの盾の固い金属音に呼応する観客の狂喜のさけびが耳をつんざく。いきおいにのる少年が、首を刎ねるがごとく横に振った剣を間一髪、ジークは剣で受け止めた。不覚にも壁際に追い詰められ、どうにかしてわきへ逸れようとするが、相手の剣を押し戻すことさえできずにいた。
全身に力をいれるが、このままでは身がくずれそうになる。ジークはふと思いつき、相手の気をそらすため、一か八かロスカ語でこう声をかけた。
「ロスカの血を求む者、ロスカの神にあらず」
力のゆるんだ隙を見て、ジークは少年から離れた。反応したのは少年か神か。試合の最中であるにも関わらず、少年はおろした右手の先を見ているようだ。ジークが慎重に近づいてみても、かれは動かず剣を気にしていた。
ジークはさらに近づいて、「どうかしたのか」とロスカ語で問う。
ハーシュメルトは瞬時に反応し、ジークから顔をそむけ、「なんでもない」とセザン語で答えた。
少年はジークから離れ、剣を構えなおした。
ジークは迷っていた。このままでは敗れるかもしれないという不安と、あの剣が失われた太陽神であろうと知れただけでも十分だという思いから、直ちに決着をつけたかったが、その先が見えない。かりに、観客全員が銃を持っていて、少年が倒れると同時に無数の銃声が鳴り響くのではないか。だがそれが現実となれば倒れた少年にも被害がおよぶ。この懸念はおおげさにも思われるが、似たような結末にならないとは限らない。側近たちが武器を所持しているのはたしかなのだ。結局は己がロスカ人である以上、勝敗が運命をわける要因にはならぬ。少年はあの日、はじめて会ったあの日に言っていた。ロスカの血でセザンはよろこぶと。
少年はなおもジークに襲いかかってくる。すでに体力を消耗し、足元のふらつく少年はいつ転ぶかも知れぬ状況だった、ジークはちかい将来の己の運命がどうであれ、やはり勝負に負けるわけにはいかないという、生まれ持った闘志が覚醒し、転倒を誘発すべく少年の剣に衝撃を加えた。
ジークははじめから、セザン人の怒りを最小限におさえるため、少年の体に剣をあてる攻撃はしないと決めていた。転倒、もしくは武器を落下させればよいと考えていたが、なかなかしぶとく、意表をついて巧みに避けても、鍔で相手の剣を引っかけても、ジークにはまるで、あの剣が少年の体を支えて転倒を阻んでいるかのように見えたのだ。
少年は焦燥を感じているのか、しきりに剣を気にかけていて、対戦相手への注意を怠るほど錯乱しているようだった。少年の意に反している動きと認めざるをえないほど、不自然な挙動であった。少年が剣に踊らされながら「なぜロスカを殺さねばならない?」と混乱している声さえ聞こえた。いまごろになってわざとらしくも聞こえる少年の言葉をジークは不気味に感じたが、その発言の真意よりも、操られているような動作、時間の経過とともに強まる力がなにより、あれが太陽神、すくなくともエルトリアがロスカに持ち込んだ剣であると考えるほうが容易であった。
剣の意思によって体を貫かれる身の危険を感じたジークは意を決する。
我々の敵はセザンではない。400年前、神といつわり災いの種をもたらし、ロスカを無限の動乱に陥れたエルトリアである。
いつわりの神に屈するわけにはいかなかった。ジークは剣を狙って猛撃し、少年の体をゆさぶる。ふらつくたびに少年を起こそうと、剣先がジークにむけられる。
両者の剣がはげしく交わるが、すでにハーシュメルトはおびえて目を瞑っていた――兜の奥で、ひと知れず。
「剣を放してください」
ジークは声をかけ、少年の剣を力強くなぎ払う。手放された剣は勢いよく地面をすべり、ハーシュメルトは右によろけてから倒れた。




