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KING  作者: 安三里禄史
十章
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10-7

 刻一刻と試合の日が迫るなか、ハーシュメルトは早朝、鈍った体をすこしでも動かそうと、騎士区にある訓練所に来ていた。ハーシュメルトは練習用の木剣を握りしめ、軸に固定された人型の的に、己の雑念を振り払うよう無造作に打ち付けていた。

 息が切れるころ、我に返ったハーシュメルトは自分の置かれた状況にいらだち、剣を床へ投げ捨てた。ロスカの子どもは幼いころから武に励み、勇猛な戦士に育てあげられると聞く。皇族も例外ではない。むしろ皇族であればこそ、ひとよりもすぐれた戦士となるべく教育されるであろう。それはあのジーク・エリオスの闘技場での戦績をみればあきらかである。

 以前かれが、というより正確にはヴァンクールが、ルディアーノの誕生日を過ぎたあたりからクーラント会場での参加も要望したとき、「できるものならやってみろ」とハーシュメルトは許可を出した。それであの者はふたつの会場で奮闘していたようだが、王都やクーラントの出場者は武名高い者が集まる。そのような強者が揃うなか、ジークは一度も負けず、手間取りもせず、勝利を手にしていた。みとめざるをえないほど圧倒的な勝利だった。それを相手にいまさらどう足掻いたところで、結果は変わるまい。

 ハーシュメルトはジークを知れば知るほど勝利をあきらめるようになり、なにも対策せず時が過ぎるのを待っていた。平均的な体格のハーシュメルトが、成人したセザン人よりも背の高いジークに負けたところで、あの体格差ではやむをえないと同情され、致命的な失敗とまではならないだろう。しかし試合を目前に控え、少年は思い直した。ルディアーノに無様な負け方を見せたくないと思ったからだ。結果は変わらずとも、力の頂点である闘技場の王が、そう簡単に負けるわけにはいかない、とこの期におよんで奮い立ち、訓練所へ足を運んだが、無駄な努力とばからしくなり、みじめな自分にいらだったのだ。

 ジークはいま、ハーシュメルトの持つ剣を太陽神だと確信しているのだろうか。アークに打ち明けてからだいぶ時がたつが、ヴァンクールは確かめに来なかった。アークは約束どおりだれにも剣の話をしていないのだろう。だが、試合の日になればあの者は間近で剣を目にする。もしあれがロスカの国宝、太陽神なのであれば、神に剣はむけられないと武器の変更を願うだろうか。

 ハーシュメルトはまた、ロスカ人の前で剣を手にし、再びまじないにかかるのではないかと奇妙な不安に襲われた。いまこの時点でジークに対する憎しみはない。冷静に考えれば、あのときもまた憎しみなど沸き起こるはずがないのだ。かれらがいったいなにをしたという? ただセザンに来ただけではないか。かれらが上陸したサンセベリアで武器をふるったか? そんな話は聞いていない。自分が父親に会いにサンセベリアへ帰ったときも、住人はだれひとり、ロスカ人に脅威を感じたという者はいなかったではないか。サンセベリアにいる騎士たちが、不法侵入ではないかと疑い、一時的に捕らえ、それをハーシュメルトが王都へ連行するよう指示をした。かれらが王都へ来たとき、体中きずだらけであったが、あれは途中に寄ったウォールレストの一部の反ロスカの騎士たちによるものだ。ハーシュメルトの指示ではない。だが痛々しいその体を見ても少年は、かれらにあわれみなど感じなかった。そのときにはもう怒りに支配されていたのだ、出所不明の怒りに!

 ハーシュメルトは強引にでも己の過ちには原因があると思いたかった。気のまよいによる行動であってはならなかった。明確に他者から惑わされ、自力ではどうにもできなかった、いや、それどころかあのときの自分は自分ではなかったと信じたかった。そうでなければ、このけがれた魂をもつ己がルディアーノに触れることによって、潔白な少女をけがしかねないと恐れたからだ。もしあの愚行が避けられぬまじないによるものだとしたら、余儀ないこととされ、いくらかでも罪はかるくなるか? だとしても奪った命戻らぬ限り、完全に赦されはしないのだ。

 法に赦されるものをさらに何に赦しを請うのか、ともしロスカ人に聞くならば、それは神だと答えるだろう。だがセザンに神はいない。ならば神のように崇める者に赦されれば救われるのか、否、ルディアーノは一度もかれを責めず、それどころか愛すると言っている。ならばそれに等しい者ではどうかと考えるが、父親もアークも罪人を見るような目を、かれにむけはしなかった。亡き母はどうであろうか。この苦しみはハーシュメルトの心中にいる母が、息子の罪を咎めているからこそ増大するのかもしれない。が、それを確認する方法はない。

 以前、赦しを請う相手はロスカ人かと思い至ったが、はたしてそれは真か。仮に死者の遺族が全員かれを赦すと言ったところで、すでに魂にこびりついた血はけっしてかれらには剥がせない。アークの言うように、心中にのみ存在する煤の払い方が本人にしか知り得ないように、魂の浄化もまた、他人には成し得ないのだ。なぜなら、ひとには他人の魂の場所など発見できないのだから。

 赦しを請う相手は己自身だとする。己が己を赦さない限り、己が罪と考えるものは消滅しない。アークは、償いとは己自身のための行動だという。なにをしても相手のためにならないのであれば、せめて己のために償いをしたいと思うのは下劣な思考か。己のために! やはり償いなど相手には無意味で、これだけ反省しているのだと、他人にこれみよがしに己の苦難を見せるだけのものではないか。だとしても、救われたいのならば相手が傷ついた分、己も傷つくべきだろう。遺族にとっては失った命とほかのあらゆる命は同等ではないが、相手が失ったものを己が手放すとなれば、差し出せる最大のものは結局、命である。

 ハーシュメルトはルディアーノの力を知るからこそ、エルトリアの不思議な力によって魂を侵蝕されたのではと怯えるが、まじないを主張したところでだれが信じるか。証明してみせよと言われてもルディアーノを犠牲にするわけにはいかない。それに、ルディアーノの力は癒しや再生といった類のものであり、人心を操るようなものではない。己のあやまちをエルトリアの魔術のせいにするのはなんと厚かましい態度であるか。ウォールレストに住むロスカ人たちにこれまで殺意など沸かなかった。間近で対面していないせいか、それほど意識していなかったからか、どちらにせよ己の行動は己のもの、意識は確かにあったのだ。まじないにかかっていたなど妄想するのは愚劣な弁解にすぎぬのだ。

 ひと気のない訓練所の荷置き台に膝を抱えて座っていると、「こちらにいましたか」と言うグランディオの声が聞こえた。

「ルディアーノがひどく慌てていましたよ、起こしに行ったらあなたがいないと」

 ハーシュメルトはなにも答えなかった。

「体が冷えます、帰りましょう。それとも稽古をしたいのなら、付き合いましょうか?」グランディオは床に落ちている練習用の剣を拾い上げ、反応のない少年の隣に腰かけた。「みな、心配しますから」

「いちいち探しにこなくていいよ。アストレーヴのどこかにはいるんだから」ハーシュメルトは顔を伏せたままふてくされて言った。

「律儀に約束を守る必要などないでしょうに。不安なら、適当に話をつくって中止すればいいだけのこと。だいたい、なぜあの者の要望を聞いたのです?」

「なぜだろうね、しつこかったからじゃない? ぼくは嫌われまいとしてひとの意見に流されるらしいからね!」ハーシュメルトは躍起となり、いい加減に答えた。「グランディオ、もう放っておいてくれない? ひとりになりたいんだよ、すぐに帰るから」

「なりません。体を冷やしすぎてはいけませんから。ひとりになりたいなら部屋にいてください」グランディオは、上着を着ていない少年の腕をとった。

「やめてくれって言ってるだろう!」手を振り払い、少年は台から離れた。「そうやって気遣うふりをしてぼくを心配してみせるのは!」

 グランディオは一息ついて、「心配なのは本心ですよ」と言った。

「そうだろうね! きみにとってぼくは大事な駒だろうからね!」ハーシュメルトは言い終えたあと、言葉が過ぎたかと気まずくなり、視線をそらした。

「世間の噂を鵜呑みにしないでください。駒だなんて。わたしはあなたを言いくるめて王都に連れてきたわけじゃないでしょう? こうなるよう仕向けたわけでも、強制したわけでもない。わたしの提案にハーシュ君、きみがやると自分で決めたのです。きみのお父さまがどういう気持できみを育て、そしてキングになると決めたきみを見送ったか、よく理解しているつもりです。なんども伺い、話をしましたから。きみを心配するのは責任があるからです。怪我をさせてはいけない、体調を崩させてはいけない、なんども言いますけれど、なにかがあってからでは遅い。わたしはこれからも王都にいる間は、きみの親代わりでいようという気持に変わりはありませんよ」

 隙のない丁寧な口ぶりが癪にさわる。「聞こえがいいことばかり言うくせにさ」ハーシュメルトは乱暴につぶやき、「本気で親代わりのつもりだったら、ぼくがあやまちを犯す前にとめてほしかった!」と吐き捨てるように言って、その場を走り去った。

 身勝手な文句であるとは承知している。自力で解決できないもどかしさをぶつけたかっただけである。

 凍てつく外気に堪えかねて屋敷に戻ったハーシュメルトは、足早に自室へむかった。だれにも会いたくなかった。途中、ルディアーノがハーシュメルトを見つけるなり飛んできて、持っていた毛皮の肩掛けをかれの体に巻きつけた。ルディアーノは両手をかれの頬にあて、血色の悪い唇を見ると、急いでかれの部屋の暖炉の前に誘導した。いまにも息絶えそうなかれの乾いた白い手を、ルディアーノはソファに座り、なんども擦って温めていた。

 ハーシュメルトは、目の前の赤い炎をぼんやりと眺めていた。「きみにさえ赦されれば、それでいいと思っていたのだけれど」

 少女は、熱の戻らないかれの体や手を包んでは擦り、自分の頬に当てていた。

「ルディ、エルトリアの魔術でひとの心を癒すことはできる?」

 ルディアーノは手を休め、背もたれにある毛布をかれの膝にかけた。「いまでもハーシュさまの心が休まらないのであれば」と言い、それは不可能という意味として首を横にふる。「けれど、そのような力を使わずとも、わたしはハーシュさまをお救いしたい」

 ハーシュメルトは毛布をルディアーノの膝まで広げた。「ルディ、いくらセザンの法で赦されるとはいえ、ひとを傷つける行為は罪だ。それがロスカ人であってもね。ぼくがたまたまキングで、事を起こしたのが闘技場の中だったから罪に問われないけれど、ぼく自身がそれを認められなくなった」

「ハーシュさま?」少女は不安げに見つめる。

「アークはきみの才能をとても気に入っている。もしこの先困るようなことがあれば、アーノルフィニを頼るんだ。もともときみはそこにいたわけだし、アークはいつでもきみを迎え入れてくれるよ」

「なぜいまアークさまのお話をなさるのです?」

「かならずどこかで報いがくる」かれは呟き、「その矛先がきみにむけられることだけは避けなければならない」前のめりになって組んだ、自身の両手を直視していた。

 ルディアーノはかれの視線の先に手を添える。「お守りします」間近でハーシュメルトの苦しみを見てきたルディアーノには、かれの決意の行く先がわかる。「なにがあってもかならず、わたしはハーシュさまをお守りします」

 覚悟の壁が阻むかれの心に届かなくとも、ルディアーノに迷いはなかった。翻弄する運命を打ち消すように、少女は「あなたを守る」と言葉を重ねた。非力でも、騎士の娘である。だれかを守るための修行だと、訓練所の片隅で拾った小枝を剣として、父親たちの動きを真似ていた。頭上で結んだやわらかい髪を振りみだしていると、訓練を終えた父親に抱きかかえられる昔を思い出す。自分も騎士になるのだと、無邪気な夢を描いていた。王を守る騎士のように、大切なひとを守る騎士になるのだと。

 疲弊して眠りについたハーシュメルトの靴を整え、自室にもどったルディアーノは、小箱にはいった王宮騎士の徽章を取り出し、手のひらに乗せた。中央に一輪の花があり、その背後で交差する2本の剣、下部にはセザンの大地が広がる、銀製の丸型をしたその徽章の模様は、花が国王、剣が騎士、大地が民をあらわしていた。騎士が身につけるこの徽章は、ルディアーノの父親のものだった。父親が亡くなったあと、少女の無邪気な夢を知っていたテオジールが「特別に王宮騎士の一員と認める」と、思いやりの心から、ルディアーノに渡したものだった。騎士の称号は国王から個人に与えられるものであり、ルディアーノにとってこの徽章に形見以外の意味はなく、世間にたいして何の効力もない――もちろん悪用しなければの話だが――この徽章を持つことによって、父親を傍に感じられる心強さと、騎士の気分になりきれるよろこびがあった。

 徽章を身につけた少女は鏡の前に立ち、自分は騎士である、と心のなかで繰り返した。そして、ハーシュメルトからもらった花にこいねがう。エルトリアについて何も知らないけれど、未知なる力が神秘を呼ぶかもしれないと、奇跡を信じ、己を信じ、ルディアーノはこの日からパルトメルダに毎夜、祈りをささやいた。

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