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KING  作者: 安三里禄史
九章
48/77

9-1

 その後、父から手紙を受け取ったハーシュメルトはサンセベリアへ出発した。グランディオは珍しく王都に残ると言い、ほかの4人が護衛についた。

 ウォールレストからロドレ川に沿って東へ進んでいくと、かの英雄の名がつけられたソルド橋が見え、その先に湾が広がる。北の旧漁村と南の建設途中の港市をつなぐソルド橋の北側近くにサンセベリアの闘技場が、南側の丘に商人たちの住む屋敷が建ち、ここにハーシュメルトの実家がある。

 ハーシュメルトはまず先に丘をまわって南の森にある墓地に行き、母の墓へ花を供えた。それから側近たちと別れて実家へむかう。道なりに丘をのぼって住宅地を歩いていると、実家の門の前で、ソルド橋のある下り坂のほうを見ている父親のうしろ姿が見えた。息子の到着を待ちわびているのだ。墓地に寄っていたため父親の予想とは反対方面から帰ってきたハーシュメルトは、父エドアルドの背中に声をかけた。

 すぐに父親は安堵の表情で、「先に母さんに会ってたのか」抱擁したあと息子の両頬を手で包み込んだ。

 ハーシュメルトの生家は王都の一等地にあるような2階建ての立派な石造りの屋敷で、祖父の代にサンセベリアを港市にする計画が実行され、別邸としてこの地に建てられた。この一帯に住む商人はほとんど、サンセベリアの発展に尽力すべくコルナから移住、もしくはスフォルツァ家同様別邸を構えた者たちだ。統一された家並みは海から見たときの景観を大切にしようと、白を基調として造られている。

 もともとこの地にいる漁師はもちろん、港市建設計画で移住してきた卸商、造船技師、その他職人たちは毎日仕事で忙しく、闘技会で遊んでいる暇などない。エドアルドも夢見ていることだが、いつかはこのサンセベリアを、コルナを凌ぐ大港市にさせるのだ。

 なお、この計画は本格的なロスカとの貿易を目的としていた。

「父さん、ぼくはもう17です。子どもみたいに手をつなぐのはよしてください」ハーシュメルトは気恥ずかしさから、庭でそう伝えた。

「もう17か。おまえが王都へ行って2年は経つのか」父親は庭を通るあいだ、離した手を息子の肩に乗せ、寂しさを紛らわすようになんども掴み、叩いていた。

 家にはいると懐かしい香りが漂った。甘酸っぱい果物のような快い香り。玄関には昔から同じ花が飾られている。母親の好きな花だ。

「なにか、話があるんだろう?」居間にはいると父親が聞いた。「ああ、その前にあれを渡しておこう。おまえの誕生日の贈り物に用意したものがある。サンセベリアに来る予定があるか手紙を出そうとしたが、そのときちょうどおまえから手紙をもらった。すこし待っていてくれ」

 そう言って父親が1階の自室へ行っているあいだ、ハーシュメルトは居間で佇んでいた。広い居間の角にあるソファは子どものころ母親の気配を感じながらひとりで、または母親と一緒に、よく本を読んでいた場所だった。その正面の壁には、子どものころはまったく気にしなかった絵画がいくつか飾られてあるが、以前帰省したときにあったものだったかさえ覚えていない。興味がなかったのだろう。かれは絵の前に立ち、それぞれ見くらべてみた。ひとつは色濃いあざやかな色調の、正体不明の絵だった。その両隣には、どこかの自然の風景と街並みが描かれたものがある。それらの右端の絵には、黒だけの色で山と月、川が描かれていた。月ではなく太陽か? と漠然と考えながら、幼いころ父親不在のときには母とふたりで食事をした、深い茶色の矩形のテーブル席に着いて、父親を待った。

 ふと、ハーシュメルトは近くの暖炉に目をやった。室内は日差しに暖められているからか、まだ薪は燃えていなかった。かれは子ども時代のある行いが原因で、この暖炉を見るたびに心苦しくなった。父親に対して申し訳ないと思う気持ちと、取り返しがつかないことへの後悔が、交互にかれを責め立てた。炉棚には傾斜のある青い台座に飾られた母親のブローチが置いてあった。青い球形の宝石を、花と葉で取り囲む形をしているこの銀製のブローチは、かれが8歳のとき母親への贈り物として、父とウォールレストまで出かけて選んだものである。台座には空きがあり、その部分に飾られるはずの髪飾りは、もう永遠に戻ってこない。ブローチと一緒に贈った髪飾りはあの日、母親が身に着けていた。ブローチは母親の服に付いたままセザンに戻ってこられたが、髪飾りはいくら探しても見つからなかった。

 父親が戻ってくると、両腕にそれぞれ抱えたものをテーブルに置いた。

「なんです、これ」ハーシュメルトは鉄製の盾を手に取った。

「実際に使用されていたらしい、リクトワールの古代の盾だ。むこうで有名な大富豪が亡くなったときに、収集家であるかれの屋敷にあったものを親族がいくつか競売にかけたのだ。剣闘試合で使ってはいけないよ、ハーシュ、美術品のように壁にかけるか台座に置くのだ。おまえもじきに、いや、いまだってセザンの顔なのだ。こういうものを揃えて箔をつけるのも大事なことだ」

「ありがとう父さん。でもセザンの顔はよしてください」ハーシュメルトは苦笑いをした。

「ところでハーシュ、ひとりで帰ってきたのか? 騎士の方のすがたが見えなかったが」父親は盾を眺めている息子に聞いた。

「側近のひとたちは気を使ってくれて、すぐにぼくを解放してくれました。いまは船を見に行ってますよ、きっと」

「ルードベックさんもいるだろうね、ハーシュ? あとで挨拶に行かなくては」

 ハーシュメルトは顔をあげた。「グランディオは来てないよ。家族に会いたいからって、コルナへ行っています。テオジールならいるけど」

「そうか。最近ようやく男の子が生まれたみたいじゃないか。おまえはもう会ったのか?」

「まだですけど、どうして父さんが知ってるんです?」ハーシュメルトはそっと盾を置いた。

「手紙で知った」と言って父親は椅子に座り、「たまにおまえの様子なんかを知らせてくれるのだ。本当に、ルードベックさんはおまえのことを良く思っている。ここまでおまえが成長できたのも」ここでもの思うため息をついた。

 手紙に余計なことを書かれていないかとハーシュメルトは気を揉みつつ、テーブルに置かれた本にふれる。「父さん、これは?」

「これもおまえに買ってきた」父親は、表紙を革で装丁された2冊の本を差し出した。「ひとつは、リクトワールの劇場で昔から人気のある劇がどうやら本になったというので、買ってみたのだ。リクトワールの人間なら知らぬ者はいないといわれるほど有名なものだ。知っておいて損にはならないだろう。もうひとつはおまえの母さんによくはなし聞かせていたものだ。父さんはこれをリクトワールの劇場で上演されたのを観たが、最近むこうの作家が小説にしたというのを知って、探していた。ダリアはこの話が好きで、会うたびに続きをせがまれたな」

 1冊には中央に紋章のような印、もう1冊はひとの横顔が表紙に描かれていた。

「これはどういう話です?」ハーシュメルトは、母ダリアが好んだという話の本の頁をめくりながら聞いた。

「恋愛悲劇だ。荒れ狂う愛によってその身を滅ぼす話だ。まったく、ダリアには無縁な世界だが、悲惨な物語の主人公に同情してよく泣いていたな。まあ、無縁だからこそ現実味をおびず感動できるのだろう。身をもって経験した人間にとっては愚かだった過去の自分の顔がちらついて、嫌悪感しかわかないからな」父親は笑いながら言った。

「主人公は男ですか?」ハーシュメルトは整然と書かれた外国語を眺めている。

「女だ。ひとりの男のために地位も平穏も人生の保障もすべて手放し、最後には破滅する。博愛的なおまえにも無縁な話だな。人並みに感動するか、ばかばかしいと途中で飽きるかのどちらかだろう。だが、内容はそれだけではない。物語の舞台は芸術発祥の地といわれている町だ。街並みや歴史ある建築物、芸術にたいするものの見方、それに歴史そのもの、この本の真価はそれらの部分にある。おおいに学べる本だ、ハーシュ、知ってるに越したことはない」

「父さん、ぼくは嫌悪感と戦いながらこの本を読むことになりそうです」静かに本を閉じ、重みのある表紙を指でなでる。「まさに荒れ狂う愛というものを、身を以て経験するところです。もちろん破滅する気はありませんが」

 父親は息子の唐突な発言に、なにか冗談を言ったのかとまず笑いかけ、「どういうことだ」と聞いた。

「すべてを台無しにしようとしているところです。この本の主人公のように。性別はちがいますが、ひとりの女の子のために。父さん、自分に正直に生きるというのは、許されないことですか?」

 父親は食い入るように息子を見たが、真剣な表情が崩れるようすはなかった。「ハーシュ、その娘というのは、ウォールフォードの娘とは別の娘か?」

「はい」

「あちらの家には許可をとっているのか? 父さんは初耳だ」父親は手を口元にあて、深く考え込んだ。「いやしかしハーシュ、台無しとはどういう意味だ、くわしく話してくれ」

「まだ誰にも言ってはいません。ぼくはその子とだけ結婚をしたいのです。いまはまだ、やるべきことがあるのですぐにというわけにはいきませんが、雪の降る季節があけたころ、ぼくはキングをやめます。その子を連れ、このサンセベリアで元通り穏やかに暮らしたいのです」

 父親はほころびかけた口元に力をいれた。「やめるとはどういうことだ、続けられなくなったのか? まあ、わたしはおまえを騎士にするために育ててきたわけではないが、ルードベックさんの手紙でおまえの活躍は大体知っている。期待されていることも知っている。そう簡単にやめられるのか? 国王候補だなんて、あれは嘘か?」

「嘘ではありません。父さんはぼくが闘技場でしたことは知っているんでしょう? あの日以来ぼくはセザンの希望だなんて呼ばれています、滑稽でしょう? でももうぼくは嫌なんです。自分を犠牲にしてまで他人のために生きたくない。希望だなんて都合よく呼ばれているけれど、実状はただの道具です。父さん、グランディオは本当にいいひとですか? あのひとはぼくを国王にして実権を握りたいだけですよ。グランディオはこんなこと手紙に書かないと思いますけど、王都にはぼくを王宮騎士の犬と呼ぶひともいるんです。自分でもそう思います。ぼくはもう希望にも犬にもなりたくない。数年で帰るつもりでしたし、父さんさえ許してくれれば、ぼくは父さんの跡を継ぎたい。ただ元に戻りたいだけです。アーノルフィニ国王には息子がふたりもいるんです、かれらが継げばいいでしょう。ぼくがキングになる前はきっとかれらもそのつもりだったんでしょうし、わざわざ王位を奪うようなことをしたくありません。父さん、ぼくは国王になんてなりたくないんです」

「許すもなにもない、ハーシュ。おまえは待ち望んでようやく生まれた息子なのだからな。おまえの活躍を知るたび、いつかはこのまま王都に取られてしまうような気もしていた。そうか、帰りたいか。じつは今日、おまえに最後の別れを告げられるのだと気が気でなかった」安堵した父親は緊張のとけた顔で、息子の頭をなでたり肩を掴んだりしていた。「おまえがその気持なら、父さんはいくらでも協力しよう。すんなりと事が運べばいいが、サンセベリアにもどるとなれば婚約は解消となるだろう。だが心配はいらない、なんとか話をつけておこう。ルードベックさんにはいずれ話をするんだろうね、ハーシュ? あのひとに取りもってもらう必要がある。わたしは王都へなかなか行けないのだ」

「はい、いずれは。ですけど父さんからはけっしてなにも言わないでください。しばらくはいつも通りに過ごしたいんです。グランディオはぼくを恨むかもしれません」どうにも気乗りしないようすだった。

「わかった。考えがあるのならおまえの好きなようにしなさい。だが困ったときはいつでも力になる、それだけは忘れないでくれ。それとルードベックさんは野心家かもしれないが、悪人ではないよ。ハーシュ、いつもおまえを気にかけてくれている」

「そうですね。ありがとう、父さん」息子は納得したように頷いてみせた。


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