表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
KING  作者: 安三里禄史
九章
49/77

9-2a

 1年近く戻らなかっただけで、サンセベリアの景色は変わっていた。湾の近くに建設途中だった倉庫はいくつか完成し、丘から湾につながる道沿いには宿場や店が増えている。懐かしさを身に染みこませようと、かれはソルド橋を渡って旧漁村のあるほうへ歩いて行った。潮の香り、浮かぶ船、呑気な人びとの笑い声、王都の固い石畳に慣れた足をほぐす土の道、地面を覆う草はきめ細やかな絨毯のように整然と、健康な緑に育っていた。

 元来社交的なハーシュメルトは、ほとんどの住人と顔見知りだった。旧漁村の大きな円花壇のある広場で少年に気付いた住人が、いの一番にハーシュメルトを見つけたことを、まるで人類最大の発見をした手柄を自慢するかのように、大声で人びとを呼んだ。狭い村である。住人はすぐにあつまってきた。生まれたときから付き合いのある友人たちとの再会は、とくに心が動いた。この1年足らずの期間での自分の行いを、かれらに説明できるだろうか。きっとかれらはハーシュメルトの王都での健闘ぶりや生活を、いつものように興味津々に聞いてくるだろう。ロスカ人がセザンに来たことは当然知っているはずだ。捕らえたのはこのサンセベリアの地なのだから。ハーシュメルトは友人たちからの質問には、ひとまず当たり障りのない返事をした。屈託のないかれらの笑顔を見ていると、うわさはまだこの地へ訪れていないのかもしれない。だとすればなおさら、己の罪の告白など、どうしてもできなかった。

 それから数日、ハーシュメルトはサンセベリアで和やかな時間を過ごした。父からもらった本を読んだり、再度母親の墓へ行ったり、友人たちと子どものころのように近くの森へ行ったり、広場にあつまった人びとに王都での生活を聞かせたり、要望に応えて闘技場で騎士たちと剣闘してみせたりした。

 父親には未だ本題を切り出せずにいたが、いよいよ明日サンセベリアを発つという日の晩、決心がついたハーシュメルトは自室にいた父親を居間へ呼んだ。

「深刻な話か?」

 父親は暖炉の炎に照らされた息子の強張る表情を見て取った。

「深刻にならないことを願いながら、ここへ来ました」

 ふたりは静かに席に着いた。活動を終えた町からひとの声は消え、時おり吹く風の音が夜の闇を通り過ぎていく。ハーシュメルトは炎の弾ける音に気を取られ、見入っていたが、いまは過去を悔いている場合ではないと目を逸らした。

「父さん、ぼくは、王都ではぼくのことを知らない人間はいないと言い切れるほど有名になりました。信じられないかもしれませんが王都のひとたちはいつも、ぼくのことをうわさしています。称賛もありますが、ときには腹立たしいものまであります。そのなかで最近耳にした不可解な噂を父さんに確かめたいのです。噂を本気にしているわけではないですが、直接確かめたかったんです。父さん、ぼくには妹がいるのですか?」

 父親はじっとテーブルの上に視線をむけ、やがて頭を両手で抱え、深くため息をついた。「だれから聞いた?」

「だれからというわけではありません。そういう噂を耳にした、という程度です」

「ルードベックさんは何と言っていた?」

 父親はひどく思い悩んでいるようだった。

「なにも。なにも知らないと言っていました」

「王都にいればいつかはこの日が来てしまうと覚悟はしていたよ。人びとの記憶を完全に取り除くのは不可能だからな」

「じゃあ、ほんとうなんですか、妹がいるというのは。けど、べつのところで、ということですよね? ぼくの母さんは知っていたのですか?」

 目を瞑りながら父親はこまかく頷いていた。「知っていた。はじめから、偽りなく全部話していた」

「父さんは」ハーシュメルトは言いかけ、想像もしなかった現実に傷つくのを恐れて躊躇したが、どうしても真実は知りたかった。「父さんは、ぼくの母さんと結婚は、していたのですか?」

「もちろんしていたよ。おまえを身ごもってすぐに結婚した。はじめからダリアと出会っていれば、こんなことにはならなかった」

「こんなこと? 父さん、教えてほしいです。父さんにも母さんにも言ったことはないですけれど、ずっと気になっていたんです。父さんはアストレーヴの貴族なのに、なぜサンセベリアに住んでいるのかって。やっぱり、アストレーヴにもべつの家庭があったということですか?」

 過去を思い出しているのだろうか、父親は目を閉じたまま、「そうだ」とつぶやいた。

 ハーシュメルトの父エドアルド・スフォルツァはダリアと出会う20年以上前、王都の貴族の娘と結婚し、王都アストレーヴで暮らしていた。かれははじめこそ幸せに暮らしていたが、ひとつだけ次第にふくらむ懸念を軽視できなくなっていた。貿易の仕事は代々受け継がれてきたもので、かれはどうしても子どもが、なにより男の子が欲しかったのだ。なかなか希望通りにいかず、ふたりほど女児が生まれはしたが、どちらも1歳になる前に死んでしまった。養子も考えはしたが、まだ夫婦ともに20代であり、可能な限り血のつながる子どもが欲しかったのだ。

 そういう時期に、エドアルドはダリアと知り合う。ロスカやリクトワールでの仕事があるときはこのサンセベリアの屋敷にいたため、この町で出会った。ダリアはまだ少女という年齢だったが、なんと美しい娘だろう、とひと目で心奪われた。ダリアはかれの屋敷へ通うようになり、広い世界に興味を持ってエドアルドの話を熱心に聞いていた。エドアルドは外国の言葉や文化を教えたり、物語を聞かせたり、海や星について語った。

 ある日、エドアルドに対するダリアの愛情を知ったとき、かれは身の上を打ち明けた。すでに妻がひとりいるが、どうしても子どもが必要だということを。ほかに妻を持とうと考えていたところだが、子ができるまでは結婚は控えたい、つまり子ができた場合に限り結婚をしてもいいという身勝手な条件なのだが、ダリアはそれを承諾した。エドアルドが貴族で裕福だったことから、ダリアの両親も反対はしなかった。

 その2年後、ハーシュメルトが生まれた。エドアルドはダリアの懐妊を知った時点で婚姻の許可を国に求めた。生まれるのが男であれ女であれ、このときにはもうどちらでもよくなっていた。それほどダリアを愛していたのだ。ハーシュメルトは健康に育ち、その成長を見ることが何よりのよろこびとなった。そして、待望の息子が生まれて6年後、アストレーヴの家に娘が生まれたのである。

「噂されているのはその娘のことだろう。ダリアとの結婚は正式にみとめられているし、おまえもわたしの子と認められている。非難されるような話ではないのだから、おまえが気に病む必要はない」

 おもむろに席を立った父親は、いまにも息絶えそうな暖炉の中に薪をくべた。火のいきおいが甦るようすを見守る父親の横顔は、炎に照らされちらちらと揺れ動いているようだった。

「妹というのは、いまもアストレーヴにいるのですか?」

「知りたいか?」父親はまだ炎を見ていた。

 息子は目をふせる。「いえ、いいです。知ったところでぼくにはなにもできないし。けど父さん、むこうはぼくのことを知っているのですか?」

「知っている。むこうの妻はおまえの出生届を見ていた。娘にどこまで話していたかは知らないが、兄がいるということはなんとなく知ってはいたな」言いながら、父親は席へ戻った。「ハーシュ、確かめたいこととはそのことか? 明日、家を出るのだろう? 体を冷やしてはいけない。もう休みなさい」

「あとひとつだけ、どうか教えてください。不名誉な噂に怯えるのは嫌なのです。父さん、ぼくの母さんはセザン人ですよね?」

 息子の切羽詰まった表情に父親は目を丸くしたが、すぐに微笑した。「ああ、セザン人だよ。ダリアの両親も祖父母も、サンセベリアの出身だ。混血と疑われるような容姿の者はいなかったよ」

 ハーシュメルトはその後押し黙ったまま身動きひとつしなかった。父親は息子が口を開くまで静かに待っていたが、息子が何を知りたがっているのか、かれには予想できた。王都にいれば、いずれは知ってしまうだろうと覚悟はしていた。それもあってかれは当初、息子を王都へ行かせたくなかったのだ。しかしグランディオ・ルードベックが最大限の配慮を約束し、母親の死後塞ぎがちになっていたハーシュメルトの気がまぎれるならと、王都行きを許したのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ