7-1a
夜が明けて、ハーシュメルトはリーズを迎えに行き馬車に乗ってノーラルを発った。王都へ行くにはまず山の向こう側に行き、ふもとにあるジェダで一泊し、南の平野にあるウォールレストに寄る必要がある。山を越えるのは初めてらしく、リーズは窓を開けてせわしなく頭を動かして景色を眺めていた。ハーシュメルトとしては、羽音のうるさい虫もはいってくるし、眺めたところで木ばかりなのだから全開にしている窓を閉めてもらいたかったのだが、口には出さず、客人の好きなようにさせた。
リーズは風景だけにとどまらず、それぞれの町にある闘技場を見たがったり、人びとの生活、店の種類、食べ物などを知りたがった。道のりは長いので、ハーシュメルトは馬車のなかでリーズの質問に答えていた。
とくにウォールレストの町の賑やかさにリーズは仰天し、馬車をおりて通りを塗り潰すように町の道という道を走り回っていた。迷路のような路地裏にはいると、リーズを見失わないよう追いかけるのに苦労した。ウォールレストの北口から町へはいっていたため、壁に囲まれたロスカ人居住区が近くにあるのをハーシュメルトは思い出し、なんとかリーズを捕まえて中央広場のほうへ誘導した。
ロスカ人の居住区を壁で隔てているのは昔の戦争の名残で、ウォールレストに住むロスカ人の安全地帯をつくった、という解釈に誤りはないのだが、一方でロスカ人を隔離したいセザン人もいた、という解釈にも誤りはない、時代や立場によって存在目的の異なる、泥にも鉄にも真鍮にも素材を変える壁で距離を置いているものにすぎなかった。だがリーズはおそらくこの壁がロスカ人の自由を奪っているものと解釈するだろう。ハーシュメルトは誤解からうまれる不必要な口論を避けたかったのだ。
リーズを連れて歩いていると彼女は突然立ち止まり、通りの両脇に詰まるように建ち並ぶ天を見上げるほど高い建物を食い入るように見て、これはなにかと聞いてきた。ハーシュメルトは声をかけてくる町人に手をふってあいさつしながら、これは階ごとに別の世帯が住んでいる集合住宅だと答えた。2階建て以上の建物を見たことのないリーズは興味深そうに見上げ、窓の数を懸命に数えていた。
「道がきれいね」
次にリーズは石材で舗装された足元に興味がうつったようだ。「アストレーヴもこんな道?」
「そうだね、アストレーヴの石畳は場所によって模様が描かれているから、もっと華やかに見えるよ」
リーズがロスカ人居住区から反対方向に歩き出したのでハーシュメルトは行き先を任せ、うしろから付いて行った。もちろん、その背後には側近たちもいる。
ハーシュメルトはリーズが見たがっていた闘技場を案内しようと左へまがり、町の主要通りである中央通りへでた。中央通りを東へ進んでいくと左手に大きな正八角形の闘技場が見える。左へ曲がり広場へはいると、リーズはある建物に視線がくぎ付けとなっていた。闘技場は左側にあるのだが、リーズは右側を見ているのだ。
やっぱり気になったか、と思いながらハーシュメルトは広場の奥にある大階段へ走って行くリーズを追った。リーズは3つの扉の脇にある柱に手を置いて、空を突き抜けるような塔を見上げていた。そこだけ時の流れを感じさせないおごそかな雰囲気にリーズは言葉を失っていた。全体が白い壁のせいで、赤いいろどりのウォールレストから独立した世界のようでもあった。リーズはとびらの取っ手に手をかけたが、ハーシュメルトに腕を掴まれた。
「これ以上入ってはいけない」ハーシュメルトがリーズを柱の外へ連れ出す。「これがウォールレストの教会だ。太陽神派でなければ立ち入り禁止なんだ」
「禁止ってどういうこと? ロスカの宗教の決まりがあるってこと? ここはセザンなのに?」
「まあね、40年前の戦争の和解の条件として教会の存続が決められたんだけど、ウォールレストに住んでいるセザン人がそれに反発して暴動を起こしたんだ。リーズ、場所を変えたい、こっちへ」ハーシュメルトは広場を横切り、教会と対面する位置に建つ闘技場へはいった。
「40年前の戦争でセザン人もロスカ人もたくさん死んだ。戦争が終わってもやまないウォールレストの暴動に当時の国王はあらそいを禁じたけど、そう簡単にはおさまらなかった。ロスカ人のほうは、ここが自国じゃないからおとなしくしていたみたいだけど、セザン人はそうならなかった。自国を守る正義さ。でも被害を訴えたロスカ人に同情した当時のウォールレストの領主が国王に許可をもらって、独自の決まりをつくったんだ。太陽神派でない者は教会へはいれないという、いわば、ロスカ人の避難所としたのさ。もしセザン人に襲われても、ここへ逃げれば身を守れるっていうね。そのときからこの教会は太陽神派にとっての聖域となったのさ。もちろん、そんな決まりに従おうとするひとはいなかったみたいだから、国王は王都から騎士を派遣して徹底させた。セザン人がロスカのためにここまでするのもおかしな話なんだけどね。結局その国王は暗殺されたらしい。犯人は不明だけど、国民の総意じゃないかな。40年前の戦争に関してはロスカのほうから攻めてきたのに、最終的にロスカを庇護したんだからね。まあ、そんな歴史があるんだ。現代の純粋なセザン人はもう教会へ近づくこともないよ。といっても、純粋なセザン人がいまウォールレストにどのくらいいるのかもわからないけれど。見た目だけじゃ判断できないからね。いまの国王さまもロスカに友好的だし、もし訴えられたりしたら処罰されるかもしれないもの。なるべく関わりたくないのさ。とにかくむこうからしても、知らないセザン人が教会に近づくのも嫌がるんじゃないかな」
「そうなんだ」リーズは悲しそうな目で教会を眺めていた。
ロスカの大陸から西にあるセザンはちいさな島国である。はるか昔、ロスカにいたセザンの民は大陸から追い出され、逃げのびた海でいくつもの舟が遭難し、多くの命が沈んでいった。運よく島に辿り着いたセザンの民はこの島を自分たちの領土とした。植物はよく育ち、緑は絶えず、雨もよく降り、大地は枯れない。このセザンでは灼熱の太陽に身を焦がされることもなく、いつでも花が咲いていた。神への信仰心を捨てたセザンの民はこのうつくしい島を楽園ととらえ、セザンの民に救いを与えた自然を愛し、この大地を大切にしてきた。
時代が変わり、セザンは争いの混乱に陥った。どうにか反乱をおさえるため武力を求めた当時の国王は、セザンで大量にとれない多くの鉱物をロスカに頼った。昔の因縁も色褪せている時代の話である。ロスカはその依頼に対し、鉱物はもとより必要であれば軍隊も貸す用意は整っていると答えたが、同時にひとつの条件を提示した。それが、あの建築物の建立である。セザンの民家にロスカ織の玄関マットを敷かれているような、またはセザンの船にロスカの紋章を焼き付けられているような、まさにセザンの領土に印象深く居座っている、ロスカの象徴としての務めを立派に果たしているあの建築物。今ではあろうことか階段の上に堂々と建ち、まるで対面する闘技場を厳粛な眼差しで見下ろしているような、あの教会の建立である。
当時の国王がどれほど切羽詰まり、脳から汗がでるほど悩み、夜も眠れぬ苦しみを味わったすえの決断だとしても、現代のセザン人にとってはただの愚かな決断にすぎず、セザンの大地に傷をつけた不名誉な国王という認識で末永く国民から恨まれるはめになった。
反乱がおさまっても、次に王宮内部から教会に関しての不満の声があがり、建築途中の教会を破壊してしまおうとする動きもあるにはあったのだが、建立のために派遣されていたロスカの軍隊が思ったよりおおく、手出しできなかった。そしてそのままこの地に住み着いた一部のロスカ人がウォールレストにいるロスカ人の祖となった、という話である。なお、こういった戦時下にあってもセザンの大地がひからびることはなかったようだ。
王都に着く前からリーズは金で縁取られた馬車の窓を開け、緑豊かなセザンの大地を眺めていた。セザンはちいさい島国だと聞き及んでいたが、どことなくノーラルよりも色鮮やかで、光輝き、生き生きとしているようだった。
「ノーラルとすこし違う」リーズが窓から頭を出して言う。
「花がたくさん咲いているからじゃない? もうすぐ王都に着くよ」ハーシュメルトも外を覗くと、北の山から流れるラーミナス川が見えた。
「ノーラルではこんなに咲かない。別の国に来たみたい」
「そういやそうかな? 雪がふっても咲いてるよ。ノーラルは違うの?」
「そんな寒い時期に咲かないよ! 同じセザンでも、このあたりの植物は元気なのね」
「見えてきたよ、ほら、あれがアストレーヴだよ」
ハーシュメルトに促され、さらに頭をだして前方を見ると、川のさきにある壁がリーズの目にはいった。
「あの壁の中に王都があるの? 閉じ込められてるみたい」
「閉じ込めてるんじゃなくて守られてるんだよ。ひとの出入りの管理もしやすい。ここにはセザン人でなければ住めないからね」
「あんたたちってほんとうにロスカ人が嫌いなのね」
「べつにぼくがつくったルールじゃないよ」
王都にはいるとき、門の両脇に立つふたりの門衛は馬車が過ぎるまで敬礼していた。
「あのひとたち、だれがはいったか確認しないの?」リーズが門衛を指して言う。
「この馬車はぼくのだからね。それにうしろにグランディオがいるだろ? わざわざ止めてまで確認しない」
ハーシュメルトが説明すると、リーズは後方で馬に乗るかれの側近たちをのぞいた。「だから迎えに来てくれたの? わたしひとりじゃ王都にはいれない?」
「きみはセザン人だろう? リーズ」
「あんたきのう言ってた。純粋なセザン人かどうかは見た目じゃわからないって」
「たしかに言った。でもきみの場合仮徽章を見せればはいれるし、それより見た目でまず疑われない」
純粋なセザン人――これを確実に見極める方法はなかった。おおよそハーシュメルトやグランディオ、それにリーズのように黄金色の髪と瞳であれば疑われはしない。テオジールやヴァンクールのような茶系の髪であっても出身が王都であれば、セザン人だとみなされる。
「きみの見た目がうらやましい」――以前アーク・アーノルフィニに言われた言葉をハーシュメルトは思い出した。きょうだいのなかで唯一黒髪のアークは、自分の血統を気にしているようだった。王家であるアーノルフィニ家に、どこかでロスカの血がはいったとあからさまに非難する者はいないが、色が物語る。アークが外に出なくなった理由は少なからずここにあるのではないかと考えたが、ハーシュメルトは何も聞かなかった。
その後もかれはリーズに延々と「純粋なセザン人の定義」を質問されたが、正確には答えられなかった。
大通りを馬車で進むなか、質問に飽きたリーズはまたもや窓の外に顔をむけた。アストレーヴで一番広いというこの大通りの両脇、車道と歩道の境には等間隔に花壇が配置され、たくさんのひとが往来し、にぎわっていた。子どもたちの駈けずりまわる声や、すれちがう馬車の車輪の音、男たちが店の前のテーブルで通りを眺めながら酒を飲み、女たちが道の端に輪になって噂話に花を咲かせている。あらゆるものの広さや数、規模、色彩、よろこびの伴う声がノーラルとは格段にちがっていた。
王宮庭園まで繋がるこの大通りを半分は過ぎたであろうか、リーズは落ち着かないようすで、しきりに町の人びとや建物についてハーシュメルトに聞いていた。かれが「通りを見ながら歩こうか」と提案すると、リーズは馬車をとびおりた。




