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KING  作者: 安三里禄史
六章
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36/77

6-3b

 コーマックを見送ってからリーズは家へ戻り、2階の自室の机の引き出しにハーシュメルトからの手紙をしまった。部屋にある家具はどれも古びた木製の質素なもので装飾はほどこされておらず、ベッドは情けなく傾いていて、薄い毛布だけが唯一体を温めるものだった。闘技会で手に入れた仮徽章を1枚でも換金すればひとなみの生活はできたが、リーズには目的があった。仮徽章10枚で貴族の称号を獲得し、リクトワールに渡航する。渡航するには貴族以上の身分でなければ許可されなかった。称号が個人に与えられるものなのか家族で共有できるのか、それすらリーズは知らなかったが、親を亡くして頼るものがなくふなった少女は、ただ戦うしかなかった。時間はかかっても、お金さえあれば解決の糸口は見つかるのだと思っていた。集落にいるロスカ人の話によれば、リクトワールは他人種を受け入れ平和で寛大な国だという。まずは自分ひとりでもリクトワールへ行き、セザンの悪を訴え助けを求めれば、わずかでも救いがあると信じていた。成功するか定かでない、途方もない計画だが、うずくまって泣いているよりましだった。

 窓の外を見ると、家の裏の畑に兄がいた。多額の税をかけられているなか、どうやって切り抜けていたのか兄は何も教えてくれなかったが、兄には兄の苦悩があったのだと気づいたリーズはあらためて兄のしあわせを強く願った。

「兄さん! すこし休もう。お茶いれるから一緒に飲もう!」リーズは窓を開けて叫んだ。

 まもなくロレンツが帰ってきても、リーズは台所を右往左往していた。

「リーズ、なにか探してる?」兄は笑っていた。

「兄さん、茶葉、どこだっけ? この前ヘクターさんからもらったやつ」

 ロレンツは棚から茶葉を取り、「あとはぼくがやるよ」役目を交代した。

 リーズが食卓で待っていると湯が沸いて、兄が茶を運んできた。

「手紙、読んでもらえた?」

「ハーシュからだった。今日来るって。多分午後」

「もう決めた? せっかく来てもらって断るんじゃ、気の毒だよ」

「そうなんだけど」リーズは落ち着かないようすである。「心配なんだよ、わたしノーラルから出たことないし、社交場での振る舞いなんてわからないし。あいつわたしが王都で有名なんて言ってたけど、ほんとうかな? 田舎者だし、笑われないかな? 王都ってどれくらい広いんだろう、馬車で3日かかるって……あ! 闘技場もノーラルより大きいよね、きっと。見てこれるかな、中にはいれるかな、見てみたいな。でもやっぱり不安! 兄さんも一緒に行こうよ、なんか緊張してきた、試合より緊張してきた!」

 リーズが一気にしゃべり、一気に茶を飲みほしたとき、いきおいよく誰かが扉を叩いた。

「来た? ずいぶんはやいね」

「ちがう。コルチカ」リーズは玄関へ飛んでいく。「やっぱり!」

 扉の先にはコルチカが元気よく笑っていた。「遊びにきた!」

 リーズの父親の死の責任を感じていたロスカの少年コルチカは、それ以来村に来ることはなかった。だが領主が死に状況が一変したと知ると、再びこうしてリーズに会いに来るようになった。大切な友人であるリーズの父親は、コルチカが盗みはしていないと信じてくれた。リーズも、どんな過酷な状況に陥っても信じてくれたのだ。

 あのとき、リーズに会いに行こうとした3年前のあの日、思い返すととてつもなく恐ろしい考えが心を支配していた。コルチカの生まれ故郷は常にあらそいが起こり、1日1日を生きるのに精一杯だった。食物不足は当たり前で「目にはいるものを持ち帰る」ことは誰もがやっていた。それが誰の所有物であるかなど関係なかった。ここノーラルの畑にひろがるみずみずしい緑が目にはいると、コルチカは地中に眠る命の源が気になり、その場で足をとめ、しばらく畑を見ていた。セザンに流れ着いてから空腹になることはなかったが、習慣が迷いをもたらした。しかしコルチカは手を触れず、歩みはじめた。当時を振り返ってみても、盗みを思いとどまった明確な理由はわからない。ただ、それをするより一刻もはやくリーズに会いに行き、自分の釣った立派な魚を見せびらかし、共に笑い合いたい。それだけだったように思う。たったそれだけのことであるが、のちのコルチカには偉大な決断となったのだ。もしあのとき盗みをしていれば、たとえリーズに信じてもらえたとしても自分が心から笑える日は永遠になく、体に泥水をため込んだまま偽りの顔で生きるだけだったろう。自分を信じてくれたリーズの父親にもリーズにも、堂々と顔を合わせることができなくなるのだ。ほんのささいな決断がコルチカにとっておおきな誇りとなった。なによりも自分の魂にとって潔白であることの重要性が、深く心に刻み込まれたのだった。

「はいって! いまお茶を飲んでるの。コルチカも飲んでみて!」リーズはコルチカを招き入れた。「ひとりで来た? なにもされなかった?」

「平気、平気」コルチカは得意げに答えてリーズの隣に座り、ロレンツがいれてくれたお茶を飲んだ。

「どう、おいしい?」ロレンツがむずかしい顔で唸るコルチカに聞く。

「よくわからねえ。まずくはないよ」

 コルチカが答えるとリーズは、「わたしも! よくわからない。ただの水とはちがうってことだけはわかるけど」声をたてて笑った。

「あのさあ、リーズ。おまえ王都に行くの?」唐突にコルチカがたずねる。

「明日からちょっとだけ。誕生会に誘われた」

「誕生会? ふうん。そうじゃねえよ、なんか闘技場の王さまとかってやつ。ノーラルにいてもなれんの? 王都に引っ越すの? 兄ちゃんはどうすんの?」

「よくわかんない。そういうのも聞いてこようかな。コルチカは? ウォールレストに行くの? 行けるひとと行けないひとがいるってヘクターさん言ってたけど」

「おれはいけねえ。ウォールレストってとこにいるのは太陽神派のやつらだもん。なんていうか、民族がちがう。宗教もちがう。おれはあいつらが嫌いだ。あいつらがおれたちの国を乗っ取った。ロスカの帝都を攻撃してるのは国を盗られた生き残りのやつらだ。あいつらだっておれみたいな異教徒は受け入れない」コルチカの口調は熱をおびていった。

「ロスカは複雑だね。もうずっと戦争状態なんだろう?」不憫な思いでロレンツが聞く。

「そうだ。コーマックさんも言ってたけど、セザン人は自分たちは神に見捨てられたって言ってるんだろ? けど、そんなことはない。神はロスカに災いをもたらした。400年前太陽神が降りてきて、もっと争えってけしかけたんだ。ほんとうはどうだか知らねえけど、ずっと戦争が続いてるのは事実だ。ほんとうに見捨てられてるのは、ロスカのほうなんだ」コルチカはじっと一点を見つめ、遠い故郷を思い出していた。「でももういいんだ。おれはもうロスカには帰らねえ。リーズ、ひまだったらあそぼうぜ。剣闘ごっこがしたい」そう言って、剣を振り回すしぐさをした。

「いいけどコルチカ弱いんだもん。練習にもならない」リーズは笑いながら立ち上がった。

 ふたりは一斉に家をとびだすと、集落をめざした。村をでる途中アルベルトとすれちがったが、かれは気まずそうに目をそらし、足早にその場を通り過ぎた。

「リーズ、勝負しようぜ」コルチカは突然走り出した。

 リーズはコルチカのあとを追ったがすぐに追い越すと、いつものように集落を1周し、山林へはいって最終地点と決めている大木へよじ登った。

「遅い」リーズは地上で息をきらしているコルチカを見下ろした。

「おれも足ははやいほうなんだけどなあ」コルチカも器用に木を登る。「おまえほんとうに女? あの闘技場でも最初ばれなかったんだろ? みんなリーズを男だと思ったわけだ」

「まあね、ちょっと複雑な気持にはなったけどね。よし、コルチカ、探索の続きをしよう」リーズは山奥を指す。

 ふたりは木からおり、地面におちている武器になりそうな太い枝を探した。

「おまえがいなくなるとつまんなくなる」拾った枝の品定めをしながらコルチカがつぶやく。

「まだどうなるかわかんないよ。あいつに勝てなかったらキングにはなれないわけだし」離れたところでリーズも枝を探している。

「おまえが負けるとは思わないけどな」

 適当な枝を見つけるとかれらは山奥へと進んだ。探索と称する山中の冒険はかれらにとってたのしい遊びのひとつだった。見知らぬ木の実を食べ、発見した洞窟にはいる。まだ危険な目にあったことはないが、もし野獣にでも出くわせば、持っている武器で戦う。人骨などは落ちていないか、正体不明の生物に会いはしないか、はるか昔山賊が埋めたとされる宝を掘り起こせないか、リーズはこういった類の遊びを好んだ。

 この日も探索に夢中になり、気が付いたときには夕方近くとなっていた。リーズはコルチカと別れ、急いで家にもどった。

 家に着くと、小綺麗な身なりをした少年が赤い布を手に抱え、食卓の椅子に上品に座ってロレンツと話をしていた。ハーシュメルトはリーズを見ると、ロレンツに断りをいれ、席を立った。

「こんにちはリーズ。これ、どうかな? きみに似合う色だとおもって仕立ててもらったんだ」ハーシュメルトは持っていた赤い布をリーズの前で広げてみせた。

「なにこれ! きれいな色! こんなの着れないよ! 似合うわけない!」なめらかな布を触りながらリーズが言う。

「そうかな? 大袈裟なドレスは嫌だろうと思って、控えめにしたんだけど。レースはないし、首元まで襟はあるし、下は長いスカートだけど、すこしも足を出したくないなら何か穿いてもかまわない。形はすっきりしてるから、色は派手でもちょうどいいくらいだよ」

 説明されるあいだリーズは光沢のある赤い衣装からずっと目をはなせず、心は揺れ動いていた。

「どうするかは王都の女の子たちを見てから決めてもいいよ。どのみちこれはきみにあげる。ノーラルを発つのは明日の朝になるけど、もう決めてくれた?」かれはリーズに衣装を渡す。

「うん……聞きたいこともあるし、偵察のつもりで……行こうかな」

「よかった!」ハーシュメルトは手をたたいて笑顔を見せる。「じゃあ明日の朝、また迎えにくるよ。お兄さんが来られないのは残念ですけれど、リーズがぼくと戦うときは、ぜひアストレーヴに来てくださいね」兄妹を交互に見ながらかれは言った。

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